昭和の三大台風「枕崎台風」とは ~知られざる被害の教訓~ 原爆投下まもない広島を直撃

現在、台風の予測のための技術は年々に高度になっていて、多くの方が、事前に備えをしていますが、77年前の1945年9月に日本列島に大きな被害を出した「枕崎台風」をご存じでしょうか?

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「枕崎台風」は、原爆投下からわずか1か月後の広島を直撃しました。

■”昭和の三大台風” 全国で3700人以上が犠牲に

伊勢湾台風

(1959年)・

室戸台風

(1934年)とともに

”昭和の三大台風”

と呼ばれる

「枕崎台風」

…。鹿児島県・枕崎市付近に上陸したためその名がつけられています。

その際、

現地の測候所で観測された気圧は916.1ヘクトパスカル

という記録的な低さでした。現在であれば、特別警報が発表されるレベルです。猛烈な勢力で、上陸後は九州を縦断。豊後水道を通って17日の夜、原爆投下からまもない広島を直撃しました。

当時、気象台だった江波山気象館(広島市中区)には、当日の天気図や気象台の職員が観測した雨や風の記録など、枕崎台風に関する資料が保存されています。

枕崎台風の

犠牲者は全国で3756人

とされています。その

うち2000人あまりが広島県内

の犠牲者です。

広島県の数が突出しているのは、原爆によって通信手段が失われていたため、気象情報が市民にまったく伝わらないまま、大雨や暴風に襲われたという背景もあります。

このあたりについては柳田邦男さんが1975年に発表した

「空白の天気図」

に詳しく描かれています。

「空白の天気図」は原爆投下やその1か月後に襲った枕崎台風について、当時の気象台職員たちの姿を通して描いたドキュメンタリーです。それまで原爆被害の陰に埋もれがちだった枕崎台風の被害の実態を掘り起こしました。

この「空白の天気図」というタイトルについて作者の柳田さんは、以前、取材した際に、「

広島の住民が原爆被災の混乱に加えて、

何も情報もないまま空前の台風災害を受ける状況の象徴として、

このタイトルをつけた」と話していました。

■今、枕崎台風をあらためて調査

そんな枕崎台風について、現在、あらためて調査している研究者がいます。広島大学大学院の岩佐佳哉さんです。

西日本豪雨をきっかけに防災授業などの活動に参加する中で同じように県内の広い範囲に被害をもたらした枕崎台風に注目したからです。

広島大学大学院 岩佐 佳哉 さん

「西日本豪雨では8400か所以上で土石流が発生。(枕崎台風は)それに迫るスケール感…」

そして、これまで犠牲者がゼロとされていた市町でも命を落とす人がいたことがわかりました。

■オヤジは枕崎台風で死んだのに…

岩佐さんが聞き取りをした一人、東広島市に住む 金原 俊文 さんです。

4歳のとき、枕崎台風を経験しました。当時、家は黒瀬川沿いにあり、両親と兄弟の6人で暮らしていました。

あふれた川の水が家の中に押し寄せたため、幼い金原さんを近くの知り合いの家まで送り届けてくれた…。それが、父親との最後の記憶です。

金原 俊文 さん

「体温から息づかいから、それはずっと覚えていますね」

父親は1週間後、近くの川沿いに広がる田んぼの土の中から遺体で見つかりました。

当時の状況は、金原さんの10歳年上の兄が、のちに思い出しながら手記としてまとめています。

一方で、県の災害史では、枕崎台風による東広島市の犠牲者は「ゼロ」のままです。

金原 俊文 さん

「最初からおかしいと…。わしのおやじ、死んでいるじゃないかと。当時、混乱していたのはわからないでもない。原爆の1か月後なので、それは理解するけど。あとから実際に調査したのに、死者数に入れられないのはおかしい」

■実際の犠牲者は少なくとも150人以上多いか

岩佐さんは、各地の郷土資料に書かれている内容を確認したり、遺族への聞き取りをしたりして、あらためて枕崎台風の犠牲者の被災状況を確認していきました。

すると県がまとめた災害史と大きく異なることに疑問を持つようになりました。

岩佐 佳哉 さん

「ある市町村で調査をしたときに県の資料に書かれている死者数と市町村史に書かれている死者数が一致しないことに気がついた」

現在、公式の発表で使われている枕崎台風による広島県内の犠牲者は2012人とされています。25年前に県がまとめた災害史に載っている数字です。

ただ岩佐さんが県内各地の市町村史には、犠牲者がゼロとされる市町でも枕崎台風による犠牲者が出た記述があるケースが複数確認できました。

岩佐 佳哉 さん

「たとえば、これは旧安芸津町の町史。枕崎台風で降雨が続き、裏山で土石流が発生して、家が倒壊して、一家4人が亡くなったと書かれている」

調査の結果、県内の枕崎台風の犠牲者はこれまでの2012人から150人以上多い、2169人だったことが明らかになったといいます。

■”西日本豪雨に匹敵” 土石流の発生スケール

岩佐さんは、枕崎台風による大雨で県内で起きた土石流の数についても再調査しました。使ったのは終戦から2~3年後に、アメリカ軍が撮影した空中写真です。500枚以上の写真に広島県内の広い範囲が記録されています。

岩佐さんは、これらの写真を使って土石流の数を一つ一つ拾っていきました。

広島大学大学院 岩佐佳哉さん

「ここに大きな白い筋があるが、土石流が流れた跡。この位置に大野陸軍病院。当時、京大の方が亡くなった。それが、ここにあった」

その結果、県内で起きた土石流の数は6700か所近くに達していたことがわかりました。県の災害史には載っていない場所で、市町村の郷土史には犠牲者の報告であった場所で、実際に土石流が起きていることも確認できたといいます。

岩佐 佳哉 さん

「県の中で6668か所、土石流が起きた。西日本豪雨が8000か所以上起きているので、規模感・スケール感・範囲の広さとしても枕崎台風は西日本豪雨に匹敵する」

77年前に広島を襲った台風について、あらためて掘り起こすことで明らかになった事実―。

岩佐さんは、今回の研究の成果を防災に役立ててほしいと考えています。

広島大学 大学院 岩佐 佳哉 さん

「西日本豪雨では、県のかなり広い範囲で現象が起こって、いろんな所で『まさか自分が』という声がたくさん聞かれた」

「実は77年前に同じような現象が起きていて、それを知っていれば、もう少し災害に対する意識も変わったんじゃないかなと」

「枕崎台風を含めて過去の災害を振り返ってもらって、また、将来の防災に活用してほしい」

( 取材:RCCウェザーセンター 気象予報士 岩永 哲 )

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