ビートルズ圏外に出て、自分らしさを臆することなく発揮したジョージ・ハリスンのもうひとつの傑作『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』

『Living in the Material World』('73)/George Harrison

今回は思い切ってビートルズのメンバーのソロアルバムを取り上げてみる。ジョージ・ハリスンの『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(原題:Living in the Material World)』(‘73)。

思い切って、と腹を括ってみせたのは、ビートルズ関係は専門の研究者や執筆者がごっそりおられ、信憑性の高い原稿をまとめるビートルズ・ライターが列をなしている。ファンの中にさえ、とんでもない博識の方がおられる。だから、専門外の私などが書くよりも、こっち方面は彼らに任せるに越したことないと、つい思ってしまう。でもまあそんなことで気弱になっていてはいけないと気を取り直し、取り上げてみたいと思う。なにせ名盤と信じて疑わないジョージの絶頂期の一枚なのだから。

本作はジョージのアルバムとしては巷では影の薄い一枚ということになっている。それもこのアルバムを取り上げたくなった理由のひとつである。影が薄いだと? そうなのか?

仮に影が薄いとして、そうさせている原因を探ると、本作はスタジオ作としては彼の一世一代の名盤『オール・シングス・マスト・パス(原題:All Things Mast Pass)』(‘70)に続く作品であり、これまた彼の燦然と輝く偉業『バングラデシュ・コンサート(原題:The Concert for Bangla Desh)』のあとにリリースされたということも影響しているかもしれない。話題性、世間の注目度、評価も格段に上のものの陰に隠れて…というわけだ。そんなことあるものか!

これは私感だが『リヴィング〜』は完全にビートルズから離れた、ジョージの最初のソロ作と言ってもいいのではないかと思う。なにせ『オール・シングス〜』のいくつかの曲はまだビートルズがかろうじて存続していた時期に書かれていた曲で、近年公開されたドキュメンタリー映画『Get Back』をご覧になった方なら、それらがビートルズのメンバーによってリハーサルが行われていた場面があったこともご存じかと思う。その段階ではジョージは自作の曲をビートルズで発表することも考えていたわけだ。だが、ジョンとポールという強力なソングライターがいるバンドでジョージの作品がアルバムに採用されるのはせいぜい1、2曲であったし、大揉めに揉めたセッションの最中に一度は脱退までしたジョージだから、自分の自信作は来るべきソロ活動の時までとっておくことに決めたのだ。結果、作りためた珠玉の曲を揃えた『 オール・シングス〜』が傑作となったのだ。

だから、持ち駒(曲)を使い果たした後、ソロ・アーティストとして新たに曲を書き起こし、コツコツと制作したのが『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』だと言えるのではないか。レコーディング・セッションもコンパクトなものになっている。参加メンバーは以下の通り。
* George Harrison - Vocals, Guitar
* Nicky Hopkins - Keyboards
* Gary Wright - Keyboards
* Klaus Voorman - Bass
* Ringo Starr - Drums
* Jim Keltner - Drums
* Jim Gordon - Drums
* Jim Horn - Sax, Flute
* Zakir Hussein - Tabla
* John Barham - Strings

知られざるスライド名人、 ジョージのギターの上手さが随所に

ここで注目すべきは本作がギタリスト、ジョージ・ハリスンがはっきり示されたアルバムだという点である。クレジット上、ギタリストはジョージただ一人なのだ。他のアルバムだとクラプトンやデイブ・メイスン、ジェシ・エド・デイヴィスらの名前が並んでいるものだから、アルバム上でいいギター・プレイがあっても「これはやっぱりエリックかもな…」と、ギタリスト・ジョージの存在が希薄だったのだ。

ビートルズ時代でもそうだが、ギタリストとしてのジョージについて語るのはなかなか難しい。自身、映像の中でアドリブが苦手だという風な発言を残していたように、リード・ギタリストとしての手腕は正直言ってそれほどではない。リズム・ギタリストとしてもジョン・レノンのほうが上手かったりする。「ブラックバード(原題:Blackbird)」でポールが弾いてみせたような巧みなコードテクニックをジョージに求めても無理だ。

じゃあ、ジョージはアカンのか? と言われたら、そんなことはない。効果的に弾く、ということではピカイチの人だと思う。その一例を挙げてみよう。1991年にクラプトンとともに奇跡の再来日公演があったのも今では懐かしいが、東京ドームでの公演、観客席にいて、ジョージのギタリストの凄さを垣間見た瞬間がある。全曲で弾きまくるクラプトンに対して、ジョージは控え目にしか弾かない。それは弾かないというよりは、弾けなかったのかもしれないが、それでも時折挟む彼のギターが実にいい按配で、しかも味があるのに驚かされたのだ。終盤、お約束の「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(原題:While My Guitar Gently Weeps)」をやる。ソロはふたりで弾く。先行のクラプトンは盛大に音を伸ばし、ビブラートをかけ、むせび泣くように弾く。そのあとを継ぐようにジョージが遠慮がちではあるけれど、切なく、美しいフレーズのリードを短くキメたのだが、このジョージのギターのほうが曲想をとらえているというか(そりゃ作者だもの)、しっくり来ると思ったのだ。仰々しく弾いたクラプトンのギターは感動を伴わず、ただ「ごちそうさまでした〜」とため息と満腹感しかなかったのだ。この時の公演はCD化され、『ライヴ・イン・ジャパン / ジョージ・ハリスン with エリック・クラプトン and ヒズ・バンド』として発売されている。
※もちろん個人の感想であるから、やっぱりクラプトンは素晴らしかったと思う方も当然たくさんおられると思う。

話を『リヴィング〜』に戻すと、ジョージがその独特の感性でギタリスト、特にスライド奏法のプレイヤーとしての力量を世間に知らしめたのも本作だったのではないかと思う。それほどに、本作収録の多くの曲から、彼のスライド・ギターが聴こえてくる。本来はオープン・チューニングを用いたブルースに多用されることが多いスライド(ボトルネック)奏法だが、ジョージの場合はブルース臭がほとんどないというところが、他のスライド・ギターのプレイヤーと大きくスタイルを異にしている。泥臭さとは無縁のメロウなトーンも一聴して彼だと分かるもので、もしかすると、インドのシタールのサスティーン(音の伸び)と共通するものを、彼はスライド奏法に見出したのかもしれない。スライド奏法は本作以前からプレイしていたが、そのテクニックに関してはたぶんジェシ・エド・デイヴィスあたりから伝授されたのではないかと思う。

その、ジョージのスライド・ギターが最も効果的に使われたのがアルバム冒頭を飾る「ギヴ・ミー・ラヴ(原題:Give Me Love(Give Me Peace On Earth))」で、12弦のアコギのストロークに続き、クリーントーンの伸びやかなスライドで見事なイントロを決めている。間奏のソロもジョージのスライド演奏の中でも最高のものの一つだろう。アルバムからの先行シングルとして発売されると、Billboard Hot 100で「マイ・スウィート・ロード(原題:My Sweet Lord)」以来2度目となる第1位を獲得したほか、世界各国のシングルチャートでトップ10入りを果たすなど、文字通り大ヒットを記録。特に同時期にチャートインしていたポール・マッカートニー&ウイングスの『マイ・ラヴ(原題:My Love)』よりも上位にランクされたことは溜飲を下げるというか、ジョージは嬉しかっただろう。

続く「スー・ミー、スー・ユー・ブルース(原題:Sue Me, Sue You Blues)」は先にジェシ・エド・デイヴィスに提供した曲でセルフ・カバーとなるが、ここでもシンプルだが抜群のスライド効果を出している。ソロパートで珍しくブルースっぽさも少し。これはジェシ・エド・デイヴィスのバージョン(彼の名盤『ウルル(原題:Ululu)』に収録)と聴き比べると面白いだろう。ジェシのものはさすがスワンプ・ロックの代表選手らしく、アーシーで土臭いブルースに仕上がっている。アレンジ、プレイヤー違いで同じ曲がこうも変わるのか、といういい見本だ。

他の曲でも随所で彼ならではのスライドが光るが、指弾きのスタイルでも、レスリー・スピーカーを使ったと思しき、情緒的なサウンドを聞かせたりと、曲の雰囲気にピッタリな音色、フレージングを見せるジョージのギターにはハッとさせられる。

どこを切ってもジョージらしい、 繊細で美しい曲ばかり。 インドっぽいメロディーも 巧妙に混ぜるセンス

ソングライターとしても、いかにも彼らしい美しいメロディものがいくつもある。『オール・シングス〜』の流れを汲むような、壮大かつドラマチックな「ザ・ライト・ザット・ハッド・ライテッド・ザ・ワールド(原題:The Light That Had Lighted The World)」や「ザ・デイ・ザ・ワールド・ゲッツ・ラウンド(原題:The Day the World Gets ‘Round)」のような曲、さらにインド音楽にどっぷりハマっている彼ならではの、ラーガ・ロックとでも言うべきミクスチャー感覚あふれるタイトル・チューン「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」もいい。後年、デヴィッド・ボウイがカバーした「トライ・サム・バイ・サム (原題:Try Some, Buy Some)」も名曲だ。この時期のジョージはクリエイティブのセンスが冴えまくっていたのだと思う。

アルバム『リヴィング〜』は、1973年6月22日に発表され、ビルボード・アルバム・チャートで5週連続1位、1973年度年間ランキング第43位、『キャッシュボックス』誌で4週連続1位を獲得し、年間ランキング47位を記録する。

群雄割拠のあの時代、元ビートルズという肩書だけでもある程度は売れたとは思うが、これはなかなか凄い成績である。ちなみに1973年はロック、ポピュラー音楽の“当たり年”とも言われるくらい、ビッグネーム(やがてビッグネームになるものも含め)が名盤を出した年でもある。ハードロック、プログレ、グラムロック、シンガーソングライター…と何でもござれ。サラッと列挙してみると、Pink Floyd / The Dark Side Of The Moon、Marvin Gaye / Let’s Get It On、Stevie Wonder / Innervisions、Don’t Shoot Me I’m Only The Piano Player & Goodbye Yellow Brick Road / Elton John、Houses Of The Holy / Led Zeppelin、Queen / Queen 、We’re an American Band / Grand Funk Railroadといったところがあるかと思うと、“元同僚”もBand On The Run & Red Rose Speedway / Paul McCartney & Wings、Mind Games / John Lennonと健闘。(順不同)。とまあ、有名どころだけでもこんな具合だ。おまけにこの年には“古巣”ビートルズまでが2枚組のベスト盤The Beatles / 1962年〜1966年』(通称『赤盤』)、The Beatles / 1967-1970(通称『青盤』)の2種を出し、どちらもチャートインするという状況だった。その中でジョージの健闘はなかなかのものではないか。

ぜひ、彼が最も輝いていた時期の傑作を聴いてみてほしい。それにしても、新人もベテランも、持てる才能を絞り出すように、しのぎを削っていたあの時代、ずっとドキドキさせられていたな。

TEXT:片山 明

アルバム『Living in the Material World』

1973年発表作品

<収録曲>
1. ギヴ・ミー・ラヴ/Give Me Love
2. スー・ミー、スー・ユー・ブルース/Sue Me, Sue You Blues
3. ザ・ライト・ザット・ハッド・ライテッド・ザ・ワールド/The Light That Had Lighted The World
4. ドント・レット・ミー・ウェイト・トゥー・ロング/Don't Let Me Wait Too Long
5. フー・キャン・シー・イット/Who Can See It
6. リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド/Living in the Material World
7. ザ・ロード・ラヴス・ザ・ワン/The Lord Loves the One (That Loves the Lord)
8. ビー・ヒア・ナウ/Be Here Now
9. トライ・サム・バイ・サム/Try Some, Buy Some
10. ザ・デイ・ザ・ワールド・ゲッツ・ラウンド/The Day the World Gets 'Round
11. ザット・イズ・オール/That is All

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