【追う!マイ・カナガワ】甲子園優勝旗「白河の関越え」 身近で支えた元神奈川球児が語る感動

瀬谷高時代は通算20本塁打以上を放つスラッガーだった杜さん=2016年の神奈川大会3回戦から

 「優勝した仙台育英に、横浜の県立瀬谷高出身のコーチがいるんです」─。夏の甲子園で仙台育英高(宮城)が東北勢初優勝を飾った翌日、瀬谷高OBの団体職員男性(56)=横浜市南区=から「追う! マイ・カナガワ」取材班に、喜びの声が寄せられた。104回の歴史を数える全国選手権大会で初めて深紅の優勝旗が「白河の関越え」を果たした感動を、元神奈川球児が支えていたとは─。杜(もり)の都で日本一のナインに寄り添ってきた杜秀介コーチ(24)に、「すごく密な青春」について聞いてみた。

 8月22日の決勝。仙台育英高は下関国際高(山口)を8─1で下し、東北勢初の全国制覇を成し遂げた。甲子園のアルプススタンドで控え部員の引率をしていた杜さんは約1カ月間、レギュラーたちとは別行動だった。「うまくいかないことの方が多かった。選手たちがグラウンドでもがき苦しむ姿を見ていたので、全てが報われた瞬間だった」とナインをねぎらった。

◆親のような立場で

 「青春ってすごく密」─。新型コロナウイルス禍で高校3年間を過ごした選手たちを思って、優勝インタビューで語った須江航監督(39)の言葉は、多くの共感を呼んだ。昨春、コーチに就任した杜さんにとっても濃密な1年になっていたという。

 現3年生は初めて1年間指導してきた教え子だ。普段は「寮監」として選手61人と生活を共にする。「親元を離れた子が将来、恥ずかしくないように自分が親のような立場で」と朝晩の点呼や食事管理などの生活指導に当たる。

 また4人の指導陣の中で最も若いことから高校生との距離も近く、選手とはやりのユーチューバーの話で盛り上がったり、悩みの相談相手になったりもする。

 高校時代は通算20本塁打以上を放ったスラッガーだった。ドミニカ共和国で野球を学ぶなど熱心な指導で知られる平野太一監督(37)=現県立川和高部長=の下で「私学を倒そうと仲間とやってきた」と振り返る。

 その言葉を体現したのは、2016年の3年夏の神奈川大会3回戦。相手は前年夏の全国覇者・東海大相模高だった。2─7の九回に一気に1点差に迫り、王者を追い詰めた。杜さんにとってこの試合が「後悔が残って大学でも野球を続ける運命になった」と言う。

◆タテジマに縁感じ

 東北公益文科大(山形)では4年時から学生コーチを務めた。卒業後は「指導者に」と神奈川県の教員採用試験を受験したが、不合格。進路未定のままくすぶっていたという。

 卒業前に一筋の光が差し込んだ。「仙台育英高が野球部のコーチを探している」と大学の監督から紹介された。15年夏の甲子園決勝で東海大相模高に敗れるなど春夏3度の全国準優勝という東北の名門からのまさかのオファー。自身も最後の夏は東海大相模の「タテジマ」に敗れた杜さんは「とても縁を感じた。こんなチャンスはない」と迷いなく、社会科教員兼コーチとして赴任した。

 夢のような夏が終わり、寮に戻ってきた部員から金メダルを触らせてもらったという杜さん。自身も夢見た夏の栄冠に「重かった。やっぱり目指した価値がある」と声を弾ませる。さらに甲子園から戻ったナインらの顔つきには「たった1カ月間会わなかっただけで大人になっていて驚いた」と実感を込める。

 高校時代の恩師とは今月10日の練習試合で再会した。教え子の成長ぶりに平野部長も「最初はコーチなんてできるかなと思ったが、本当にたくましくなった」と目を細める。

 新チームは19日、宮城県秋季大会3回戦に勝利し、ベスト8に進出した。「2年生の子たちにも日本一の景色を見せられるように手助けをしていきたい」と杜さん。教え子との密な青春を、これからも歩み続ける。

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