机たたく小泉純一郎総理、感情揺れぬ金正日総書記 同席者が語る2004年の日朝首脳会談の真実

日朝首脳会談に出席し、金正日総書記(右)と握手を交わす山崎正昭氏(左)=2004年5月22日、平壌

 2004年5月22日、当時官房副長官だった山崎正昭参院議員は、首相の小泉純一郎氏とともに北朝鮮を訪問した。02年以来2度目の日朝首脳会談に同席し、既に帰国していた拉致被害者の子ども5人を連れ帰った。山崎氏は「子どもを飛行機に乗せるまで、日本には帰れないと覚悟を決めた。真剣勝負だった」と振り返る。

 訪朝の3日ほど前、小泉総理から突然「同行してくれ」と頼まれた。02年10月に帰国した小浜市の拉致被害者、地村保志さん、富貴恵さん夫妻=ともに(67)=らの家族8人を取り戻す目的だった。

 02年の日朝平壌宣言で、北朝鮮は拉致問題に対し「適切な措置を取る」と約束したのに、子どもたちは1年7カ月も北朝鮮に残されたままだった。取り戻せる確信がどこまであったのかは分からないが、総理は2度目の訪朝を決断した。

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 北朝鮮に向かう機内で、総理から「山崎君、向こうでは物を食わないでおこう。何が入っているか分からないから」と言われ、持参したおにぎりを食べた。

 首都平壌の順安(スナン)空港から、会場の大同江(テドンガン)迎賓館まで車で移動した。トンネル内は、ともっている照明が少なく、暗かった。運転手は「節電のため」と言った。電柱は木製だった。

 迎賓館に到着し待機していると「金正日(キムジョンイル)総書記が来たので、玄関で出迎えてください」と言われた。総理は「なんでこっちが出迎えなければいけないんだ」と怒った。私は「まずい」と思い「北朝鮮はそういうシステムですから」と説得し、一緒に出迎えた。

 首脳会談で総理は「北朝鮮は大事な隣国だが、このままでは国際社会が認めない」というような発言をしながら、机をバンバンとたたいた。隣にいた私は「やばいな、けんかになるな」と思った。真剣勝負だった。金総書記は冷静で、感情の揺れは見えず、声も大きくはなかった。

 総理は「(拉致被害者の)家族は連れて帰る」と言った。金総書記は地村さん夫妻と(被害者の)蓮池さん夫妻の家族については同意したが、(被害者の)曽我ひとみさんの家族についてはしぶった。

 曽我さんの夫ジェンキンス氏は元米兵で、日本に行けば米国に身柄が引き渡されることに強い懸念を持っているということだった。金総書記は「連れて帰りたいなら、(日本側が)説得してほしい」と言った。既に曽我さんの家族は別室で待機していた。会談を終え、われわれは別室に移動し、ジェンキンス氏と、2人の娘と対面した。

 私は日本から持参した曽我さんの写真、手紙、音声テープを渡した。3人とも、それを見て泣いた。

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 2002年9月に初の日朝首脳会談が開かれてから17日で20年となった。福井県内の関係者に、当時の拉致を巡る状況や、いまだ解決に至らない現状への思いを聞く。

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