史上最年少ドライバーの素顔は現役高校生「驚きだった」契約の顛末【WEC富士でズバッと直撃/ジョシュ・ピアソン】

 マシュー・バキシビエールベン・キーティングフェルディナンド・ハプスブルクと、WEC世界耐久選手権を戦う気になるドライバーをご紹介してきたこのコーナー。続いて紹介するのは、ユナイテッド・オートスポーツUSAの23号車からLMP2クラスに出場するアメリカのティーンエイジャー、ジョシュ・ピアソンだ。

 ピアソンは今季、WEC史上最年少の16歳でシリーズに参戦を開始するやいなや、開幕戦・セブリングでクラス優勝を果たすという衝撃のデビュー。こちらも最年少参戦となったル・マン 24時間では、初参戦ながら非凡な走りでクラス6位という順位に貢献した。

「この少年は一体何者?」誰もがそう思ったはずだが、そもそもなぜ彼は強豪ユナイテッド・オートスポーツのシートを得たのだろうか。その経緯を説明してくれたのは、ユナイテッドのチームオーナー、リチャード・ディーンだ。

「僕は日本でのレース活動を終えて、イギリスでチームを始めたんだけど、そのチームで昔スティーブン・シンプソンというドライバーがフォーミュラ・ルノーに乗っていたんだ。スティーブンは、その後アメリカに渡ったんだけど、僕らはずっといい友人だった。その彼が、カート時代のジョシュのコーチだったんだよね。それで、1年半ほど前、彼から連絡が来て、まだ14歳だったジョシュを紹介されたんだ」

「普通、アメリカでレースをしている少年にとっては、インディ500で優勝することが夢なんだけど、『ジョシュはスポーツカーレースやル・マン に対しての野望を持っているし、とても才能がある』って言うんだ。だからレッドブルリンクに行って集中テストをしたんだけど、ジョシュのパフォーマンスは素晴らしかった。それで契約することになったんだよ」

ピアソンがアレックス・リン、オリバー・ジャービスとともにドライブしているユナイテッド・オートスポーツUSAの23号車オレカ07・ギブソン

 こうして、若くして世界選手権のドライバーに抜擢されることになったピアソン。これは彼にとっては、驚きのできごとでもあった。ここからはピアソンに話を聞こう。

「最初、スティーブンとリチャードが話を始めた時は『冗談だろ?』って思っていたんだ。テストに参加した時も、いきなり速く走ろうっていう感じではなくて、1日かけてクルマのことを理解して、次第に速く走ればいいと思っていたんだ」

「そしたらテストの結果、契約することになって。彼らがどうして僕を欲しがるのか、その時は分からなかったんだ。アメリカにいた僕には、ヨーロッパでやっているレースのドライバー・カテゴライズっていうのもよく分かっていなかったし。プラチナとかシルバーとかね(※LMP2クラスは3人のうち1人、シルバーのドライバーを乗せる必要がある。ピアソンはシルバー)。でも、契約するってなった時は、それはやっぱりちょっとした驚きだったよね」

WEC開幕戦セブリングでLMP2を制したユナイテッド・オートスポーツUSA23号車の(左から)オリバー・ジャービス、ポール・ディ・レスタ、ピアソン

■インディ・ライツ参戦も、大学進学も視野に

 さて、そんなピアソンはどんなきっかけでレースを始めたのだろうか。また、16歳という若さで耐久レースのキャリアを積み始めたわけだが、シングルシーターに興味はないのだろうか?

「2歳の時に、父親が家の近くのコースでレースに出るのにくっついて行ったんだけど、そこでレースにすごく興味を示して、同じ2歳の時に初めてカートに乗ったんだ。その時のこと? もちろん覚えてないよ(笑)」

「でも、6歳とか7歳ぐらいからはカートを本格的にやるようになった。もちろん、夢としてはインディに出て、500マイルレースで勝ちたいとも思っているよ。去年まではF4より少し速いU.S.F2000にも2年間出場していたし、来年以降はインディ・ライツに乗れるチャンスがあったらいいなとも思っているんだ」

「その一方、今年僕はWECにフル参戦を開始して、来年もそれを続ける予定だ。このカテゴリーのいいところは、自分よりも年上の経験豊富なドライバーたちとクルマをシェアできること。同じクルマを運転することで、先輩たちのデータを見て、自分に足りない部分とか、もっと進歩させられる部分を知ることができるんだ」

 まだ16歳ということで、彼は現役高校生でもある。卒業までにはもう1年勉強しなければならないそうだ。しかし、レースのために欠席日数が増えるので、足りない分はオンラインでの授業も受けているそう。卒業したら、大学進学も考えている。

 そんなピアソンにとって、今年最大のハイライトと言えば、やはりル・マンということになる。24時間という長さだけでなく、世界3大レースの一つということで、イベントの規模もそれまでとはケタ違いだったはずだが、彼にとって初のル・マンはどんなものだったのだろうか。

史上最年少の16歳で2022年のル・マン24時間レースに出場したジョシュ・ピアソン

「ものすごく緊張したよ。その前にデイトナ24時間レースにも出ているんだけど、デイトナの場合にはドライバーが4人。でも、ル・マン は3人だからものすごく疲れるし、何よりレースの平均スピードが速い。最高速もだけど、平均で時速200km以上だし、ブレーキングが難しいコーナーだってたくさんある。だから、最初に走った時はものすごくドキドキしたよ。それに疲れた。レース後はものすごくたくさん寝られたよ(笑)。レース中も、クルマを降りたらすぐに寝られたけど」

「それから16歳っていうことで、すごく多くの人から話も聞かれた。みんないろいろと興味深い質問をしてくれたし、とても独特な体験だったよ。でも、みんなが話を聞きに来るから疲れたとか飽きたっていうことはなかったし、とにかく最年少ドライバーとしてル・マンの記録に残ったというのは素晴らしいことだと思う」

 クルマから降りている時には、物静かな普通の少年という印象のピアソン。「アメリカ人は、あまりヨーロッパや日本に旅行する機会がないから、富士のレース後には2日間ほど、東京探検をしたい」と語ってくれたが、いったい何を見に行ったのか? きっとその時には、チームメイトのオリバー・ジャービスから習ったばかりの『スミマセン』や『コンニチハ』『アリガトウ』を駆使したに違いない。

富士スピードウェイはもちろん初走行。走行初日を終えたピアソンに「何も見ないでコース図を書いて」とリクエストすると……かなり正確に筆を走らせてくれた。

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