May'n - Key Person 第26回 -

May'n

ひとりでも生きていけるけど、 誰かがいたらもっと広がる

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』。第26回目は2005年に弱冠15歳にしてメジャーデビューし、海外でも活躍するMay'nが登場。ファンから“部長”の愛称で親しまれる彼女がキャリアを重ねるうちに気がついた自分の弱さや、自分に素直になることで広がった音楽の楽しさを語ってくれた。

May'n

メイン:2005年、弱冠15歳にしてメジャーデビュー。POPSからROCK、DANCE、R&B;と幅広く歌いこなす実力派女性歌手。アニメ、ドラマ、映画、ゲームの主題歌を担当し、数多くの作品がトップチャート入りを果たし、日本武道館や横浜アリーナにて5度に渡り単独公演を開催。2010年から海外ツアーも敢行し、世界16都市で単独公演、海外フェスでは大トリを7カ国9カ所で務め、中国最大手のSNS「WEIBO」アワード「WEIBO Account Festival in Japan 」にて、日本人として初の3年連続受賞するなど、全世界で精力的に活動中。圧倒的な歌唱力と伸びのあるハイトーンヴォイスで国内外を問わず人々を魅了し続けているアーティストである。

オーディションに受かって “やっと夢が始まった”と思った

──May'nさんは3歳の頃に安室奈美恵さんに憧れて“歌って踊れるアーティストになりたい”という夢を持ったそうですね。

最初は“セーラームーンになりたい!”という感じで、本当になれるかどうかは分からないけど、可愛くて、歌がうまくて、踊っている姿も素敵な安室奈美恵さんに憧れていました。そんな時に幼稚園の先生が“この子は歌って踊るのがすごく好きみたいだし、歌が上手だから何かやらせてみたほうがいいと思う”と私の母に言ってくれて、母も“そうなのかしら!?”みたいな(笑)。半分親バカなところもあったのかもしれないですね。9歳の頃に観ていた『ASAYAN』(テレビ東京で放送されていたオーディション番組)がきっかけで歌手への道を身近なものに感じるようになって、“こういうのを受けたら歌って踊れる人になれるんだ”とオーディションを確実な手段として認識して、受けてみたいと思うようになりました。

──その後は数々のオーディションに挑戦し続けて、2005年に中林芽依名義でメジャーデビューされましたが、当時は15歳で、その年頃ならではの葛藤もあったのではないかと思います。

デビューのきっかけになったオーディションを受けた時は13歳で、中学2年生の終わりくらいに事務所に入ることが決まったんですけど、“ようやく受かった”という気持ちがありました。それまでオーディションには全然受からなくて、中学生になると進路も決めないといけなくなってくるじゃないですか。両親も応援してくれていたけど、“進路を考えるために一度区切りをつけなさい”と言うようになって。でも、名古屋の高校には絶対に行きたくなかったんですよ。本当は小学生の時から芸能活動ができる中学校に行きたいと思っていたので、名古屋の高校に進学する気はまったくなくて、そんな中でやっとオーディションに受かったから、今思えばすごく早いけど、“やっと夢が始まった”と思ったのを覚えています。でも、そこからうまくいかず、お仕事をできる日数も少なくなってきて、高校では周りの子も芸能活動をしていたから、自分だけお仕事がないまま友達はだんだん忙しくなっていくのを見て、“なぜ私は東京に出てきたのかな?”と考えたこともありました。

──大人になってからの3年間と学生の頃の感じ方は違うので、より敏感になりますよね。

めちゃくちゃ焦っていました。たったの3年間とも言えるけど、今思えばすごく長く感じた3年間だったと思います。

──しかも上京されてからは寮生活で、逃げたくなったことはありませんでしたか?

仕事がないからとにかく時間がいっぱいあったんですよ。だから、ヴォイストレーニングにいっぱい行ったり、キャベツ1玉を98円で買って、それをお昼ご飯にして節約しながら作詞作曲を習い始めて、時間があるぶん“今の自分ができることをやろう!”ってすごく忙しくしていました。落ち込む暇がなかったんですよね。今だったらもっと落ち込めたはずなんですけど、当時は“落ち込む暇があったらジムに行きたいし!”って感じで。あの時に習ったことで今も活きていることはたくさんあるので、よく腐らずに頑張っていたと思います。

「ダイアモンド クレバス」は たくさん変化し続ける曲

──2008年にはTVアニメ『マクロスF』に登場するシェリル・ノームの歌パート担当に抜擢され、同時期に“May'n”に改名されましたが、当時のブログに書かれていた由来の“音楽界のメインアーティストなれるよう、みんなにとってのメインテーマな歌を歌えるよう”という言葉からも、大きな決意を抱いての再出発だったように思います。

とにかくたくさん歌いたいというのがあって、それまではお仕事がなかったので“もう一度、歌える場が待っているかもしれない”“これを掴まなきゃ”という想いで練習をして、『マクロスF』のことを調べて、人生を懸けていました。他にも候補の方がいらっしゃる状況と伺っていたのでずっと必死でした。

──シェリル・ノーム starring May'n名義で発表した楽曲をきっかけに大きく知名度を上げたMay'n さんですが、ご自身にとってのアニメの世界はどんな存在ですか?

知らない感情や忘れかけていた感情を引き出してもらえるものですね。特にシェリル・ノームの曲を歌っていると、シェリルの人生も込みで歌わせていただけるので、本当にいろんな人生を経験させていただけてるなと実感します。“愛”とか“戦い”とか“正義”とか、いわゆるアニメだからこそ歌いやすいワードって絶対にあると思うんですけど、それは日常でも感じることだと思うんですよね。普段は忘れかけているだけで、みんな何かと戦っているし、誰かに負けたくないという気持ちがあるはずで、“正義”って言葉を使うとアニメっぽいかもしれないけど、信念とかそれぞれの正義を掲げながら歩んできていると思うので、それを真っ直ぐに届けることができるのはアニメがあってこそなんだと思います。

──アニメの世界観が前提にある中で、特に「ダイアモンド クレバス」はMay'nさん自身からも滲み出ているような振り絞った勇気を感じる歌声が印象的でした。

レコーディングではシェリルのことだけを考えて、シェリルが歩んできた人生とか、抱えている状況を感じた上で歌いたいんですけど、私の身体を使って歌う以上、私の人生も自然と声に滲み出てくると思っているので、その湧き上がってくる想いには蓋をせずに乗せていたいとは常に思っています。特に「ダイアモンド クレバス」は一番変化してきた歌だと感じていますね。最初にレコーディングした頃はまだ不安もあったし、この先の自分にどんな未来が待っているのか分からないけど、この曲で頑張っていきたいという想いもありましたし。それがたくさんの人に聴いていただけて、海外でも大合唱してくれて。今は歌っているとそういう思い出や景色が浮かぶんです。当時の不安な気持ちを思い出す時もあるし、今目の前に広がる景色に感謝をしながら歌うこともあるし、ふとシェリルが降りてきて“シェリルだ!”と思うパフォーマンスをする時もあるし、自分が“こう歌おう”と意識しなくてもたくさん変化し続ける曲だと思います。

いろんな角度から 自分自身を見てあげたい

──May'nさんがファンの方から“部長”と呼ばれているのは、どんなきっかけがあったんですか?

これは改名する前から言っていて、最初はブログに書いた親父ギャグだったんですよ(笑)。食べるのが好きなので、“今日も食べすぎちゃったわ~。デ部部長やわ! ははは!”みたいなことを言っていたのが広まって、“部長”って呼んでくれるようになったというだけなんですよ。“部長”という肩書でレギュラー番組をやっていたこともあって広がっていったという感じですね。

──ひょんなことがきっかけにはなりつつも、May'nさんはもともと人を引っ張っていくような性格の方なのでしょうか?

学生の時から学級委員とか…それこそ部長とかはよくやっていました。人前に立つのが好きなので、体育祭とか合唱コンクールでも張りきっていて、“みんな頑張るよ!”“ほら、そこの男子!”みたいな(笑)。だから、“部長”って呼ばれるのはしっくりくるところがあります。シェリル・ノームの歌姫像は大事にしたくて、自分を出しすぎたらそれが壊れるんじゃないかと葛藤していた時期もあったんですけど、“今までの自分があったからこその今”と素直に思えるようになったことで、より部長がしっくりくるようになったというか。みんなに届ける言葉もよりナチュラルになったと思います。

──周りの人を引っ張っていける人は群れから一歩出た立場にいるから、そのぶん孤独も伴うのではないかと思うのですが、May'nさんにはそういった部分はありましたか?

学生の時は負けず嫌いで目立ちたかっただけでしたけど、デビューしてからあまりお仕事がない時は、本当の自分のちょっと前に立って“いやいや、今できることあるでしょ!”“立ち上がってレッスンに行こうよ!”と言い聞かせて頑張っていて、逆に言うと素直に悩むことができなかったんですよね。悩み出したら立ち上がれないことを分かっているからこそ、落ち込みそうになると早めにすくい上げてしまう自分がいるというか。“それって私の弱いところだったな”と、あとから気がついた時がありました。だから、自分の弱さに向き合える人をすごいと思うし、誰かの前で弱音を吐けたり、つらい時に涙を流せるのって必要で、落ち込んで何もできなかったとしても、そうやって自分に正直になれる強さを感じるんですよね。私はそれができなかったので、そこに関してコンプレックスを感じていたかもしれないなって。だから、今は意識的に本当の気持ちに正直になってあげようとか、“今、泣きたいんじゃないかな?”“本当はめっちゃつらくない?”って心の声に耳を傾けてあげたいと思っています。がむしゃらに笑顔で進み続けていた時期があったからこそ、今はより素直になれているのかもしれないですけどね。悩む前に這い上がっていたのを、落ち込むことができなかった弱さだと思う反面、最高にポジティブだなと思う自分もいるんですよ。だから、いろんな角度から自分自身を見てあげたいんです。

May'nの喜怒哀楽を引き出してもらった

──2008年にシンガポールで初の海外イベントに出演して以降、2010年にはアジアツアーを開催されたりと活動の規模が広がっていますが、2011年2月発表のミニアルバム『If you…』に収録されている「Phonic Nation」を聴くと、“自分はひとりだ”と感じる心を大事にされているようにも思いました。

確かに他の曲でも“ひとり”っていうのは歌詞にすることがあって、“人は必ずひとりで生まれ、ひとりで死んでいく”みたいな気持ちで生きていた時期もありました(笑)。だから、“ひとりで強く生きねば”みたいなのがモットーだった時もあって。

──今ではそれが変わっているんですか?

そうですね。それも間違いではないと思うけど、最近は“ひとりでも生きていけるけど、誰かがいたらもっと広がるよね”って思うんですよ。誰かと一緒じゃなきゃ生きられないわけじゃないけど、誰かと一緒にいたら、ひとりで生きていくよりもいろんな未来が待っているかもしれないとすごく思います。だから、人との出会いを大切にしていたいし、出会いを楽しく思っているっていうのは、キャリアを重ねて気がつくようになりました。「Phonic Nation」を作った時は自分自身がまだまだ頑張るっていう力強い想いがありつつも、この世界にはたくさんの人がいるってことにびっくりした時で。2008年にシンガポールに行って、“同じ空が本当に続いているんだ!?”ってことを初めて実感したんですよ。飛行機でずっと窓の外を見ていたら、“空ってつながってる!”って(笑)。住む場所が違えば言葉も違うけど、それぞれの場所に頑張っている人がいるって。今でも自分で歌っていてグッとくるというか、ひとりで生きているけど、ひとりが世界にたくさんいることの心強さ…なので、ひとりでいてもひとりじゃないというメッセージに自分も背中を押されています。

──May'nさんは活動していく中で価値観が変わるような出来事をたくさん経験されていると思いますが、ずっと変わらずに原動力になっているものって何だと思いますか?

やっぱり好きっていうパワーですかね。好きなものや趣味から始まったものを仕事にすると、趣味ではなくなってしまうし、好きではなくなってしまうかもしれないと、いろんな人が葛藤する部分だとは思うんです。私は好きだからこそ頑張り続けることができていると実感しているので、この先どんなに悩むことがあっても好きな気持ちさえあれば乗り越え続けられると思っています。最初は歌が好きなところから始まったけど、ライヴをするうちにワンマンライヴも好きになったし、ファンの方と過ごしていく中で好きなものが増えていって、それが原動力につながっていると思いますね。

──そんなMay'nさんにとってのキーパーソンとなる人物は?

自分の人生観が変わったなという視点では、ヴォイストレーニングでお世話になった佐藤涼子先生です。佐藤先生と出会ったのは2015年で、私が喉を壊して休業をした時だったんですよ。そんな時に自分の引き出しを増やしていく大切さを教えてくれたのが先生で、私は歌へのこだわりが強かったから“May'nと言えばこれ”という軸が固まっていたんですけど、“引き出しを増やしておいて損はないんじゃない?”と言われて。“使うか使わないかはあなたの自由だけど、まずは増やしておいて、求められた時にパッと出せるものがあるのは必要なことよ”と教えていただいて、確かに今の自分にあるものを磨いていくだけじゃなくて、増やしていく楽しさもあると気づかせてもらいました。あと、先生はよく“人間力を高めなさい”とおっしゃるんです。要は自分に正直になって自分を知りなさいと。先生と初めて会った時に、“May'nは優等生すぎて人間味が感じられないから、本当に何を思っているのかが分からない”と言われたんですよ。“人には喜怒哀楽があって、いろいろムカついたことがあるはずなのに、あなたは全然出していないでしょ?”と。

──先ほどお話していた、自分を奮い立たせて頑張っていた時のような。

私もそういう“うわっ、嫌だな”と思う感情はあるんですけど、それは出しちゃいけない感情だと思ってずっとしまい続けていたんです。そうしたら、先生が“誰にも言わないから、最近あったムカついた話を全部教えて”とおっしゃったので、そこで初めてワーッと話した時に“May'nのムカつく話って超楽しい!”って言ってくれたんですよ。人間として持っちゃいけない感情はあると思いますけど、先生に“ちょっとしたものはそうやって出していったほうが、もっと人間としての魅力が深まるのよ”と言われたのが、私にはすごく新鮮で。それまでは喜怒哀楽の喜と楽しか考えていなかったけど、それからは全部に目を向けるようになりました。表に立つ上で発信しないほうがいいことはあるけど、MCでも“ありがとう”とか“楽しかったよ”だけじゃなくて、“昨日はこんなことがあったんだけど、今日は楽しかった!”と素直に言えるようになってからは音楽もさらに楽しくなったので、May'nの喜怒哀楽を引き出してくれた佐藤先生には本当に感謝しています。以前は練習をする時はいつも鏡を見ていて、ライヴでも完璧に魅せたいと思っていたんですけど、喜怒哀楽に敏感になってからはその瞬間の気持ちをキャッチしてパフォーマンスをするように変化していって、カッコ良く歌う曲でも楽しんだり、MCで“この曲なんでこんな笑顔で歌っちゃったんやろ?”とか言うようにもなりました。そうしたら生きやすくなったし、May'nとしてパフォーマンスしやすくなったのは本当に大きな変化です。

取材:千々和香苗

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