400年以上の耐久性ある「和銑(わずく)釜」、3代にわたり埼玉・桶川で制作する釜師 祖父は人間国宝

鋳型を作る作業をする釜師の長野新さん=桶川市内

 現代的なフォルムに表現された独創性あふれるイメージ。今年の埼玉県展や伝統工芸日本金工展で受賞に輝いたのは釜師(茶釜を作る人)の長野新さん(50)だ。人間国宝で、釜師の祖父の代から桶川市内に工房を構える3代目。日本古来の伝統の技を受け継ぎつつ、茶釜を現代に生かそうと試みる。新さんは「常に進化しなければ衰退する。令和の感覚で作品を作りたい」と語る。

 桶川市内の静かな住宅街に「長野工房」は位置する。20畳程の工房に足を踏み入れると、筒状の甑炉(こしきろ)があり、砂の鋳型が並ぶ、まさに鋳物が生まれる場所だ。

 名古屋出身の祖父・初代長野垤志(てつし)さん(1900~77年)は絵描きを目指して上京するも、関東大震災をきっかけに美術鋳造の道へ。

 初代は、日本古来の技法で製練した鉄「和銑(わずく)」を使った釜制作技術を復興した名人。50年前、新さんの父で2代長野垤志さん(81)と共に桶川に工房を開いた。新さんは国立高岡短期大(現富山大)金属工芸専攻卒業後、会社員に。だが創作意欲は消えず、山形の鋳物屋で修業、30歳で長野工房に戻り茶釜の制作を始めた。

 茶釜は茶道具の一つで、湯を沸かす鉄製の釜。砂で鋳型を作る、溶かした鉄を流すなど400以上ある工程を手作業で行う。新さんは、20点程度を同時進行で制作し、半年から1年かけて完成させる。

 長野家3代にわたり、取り組んできたのが和銑釜の制作だ。和銑とは砂鉄をたたらで製錬した日本の鉄。幕末ごろまで釜を制作するのに使われていたが、近代以降、外国の鉄鉱石を原料とする「洋銑(ようずく)」が主流に。新さんによると、洋銑の釜が20~30年で穴が開くのに対し、和銑釜はさびに強く、400年以上の耐久性がある。そして何より「沸かした湯がおいしい」のだという。

 途絶えた技術を復元した祖父の代では、和銑釜の成功率は3割程度。父の垤志さんと新さんが研さんを積むことで、成功率は80~90%まで上がった。

 新さんは「レシピのない、絵だけ残る桃山時代の料理を再現しているようなもの。今では使えない金属もあり、昔のやり方を100%踏襲するのは不可能。アップデートしないと守れないのが『伝統』」と語る。

 近年のテーマは地元の景色で、「姥口糸目平釜『岳』」は、桶川市内から眺めた山の稜線(りょうせん)を表現した雄大な作品。「現代の風景から受けるインスピレーションを表現したい」と、作家の気概をにじませる。

 約20年前から茶道を学ぶ。気軽に茶会を楽しんでもらおうと、テーブルでの茶道体験を手がけ、電熱器を備えた卓上用の小ぶりな茶釜を開発。またハリウッド映画に登場する人工天体を模した茶釜などユニークなアイデアを次々と形にしている。新さんは「時代より一歩先の作品を目指している。桶川でものを作ることが誇り」と語った。

姥口糸目平釜「岳」(口径13センチ、胴径284センチ、高さ15センチ)

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