日本唯一のロシア正教女子修道院、ウクライナ侵攻に複雑な思い 「宗教に国籍や民族は関係ない」

復活祭の行事に参加する修道女ら=4月

 人口の8割近くが正教徒であるロシアで教会を率いるロシア正教会。東方正教会のうち最大の信者数を誇る。トップであるキリル総主教はロシアによるウクライナ侵攻を支持。その発言が西側やウクライナで強い批判を呼んだ。日本とは縁遠い同正教会だが、実は東京都内に2カ所の教会、千葉県山武市松尾町に女子修道院を持ち、独自の宗教活動を続けている。正教会の女子修道院は日本でここだけ。ウクライナ出身の修道女もいて、侵攻に対する思いは複雑だ。(共同通信=太田清)

 ▽警察が巡回
 松尾町の修道院には現在、ロシア人の修道女2人と、日本人の修道女見習い1人が在籍。朝4時から始まる1日数回の祈りや修道院の維持管理、敷地内での農作業、月1回程度の司祭による奉神礼の準備のほか、信者らが修道院に宿泊することもあり、その世話などで日々忙しい仕事に追われている。
 今年2月のウクライナ侵攻後、地元の警察が巡回して様子を見に来るようになった。1日4回程度、修道院を訪れ、何も変わりがないか修道女に声をかけることもある。
 修道女のタチアナ・グリシコ(洗礼名クセーニャ)さん(61)は「警察は、侵攻に反発する人が修道院に嫌がらせをすることを警戒しているようだが、ありがたいことに今のところは何も起きていない」と話す。

修道院=9月

 ▽二つの正教会
 日本にはロシア正教会以外にも、日本の宗教団体である日本ハリストス正教会がある。東京都千代田区の大聖堂「東京復活大聖堂」(通称・ニコライ堂)を総本山に古い活動の歴史を持つ。JR御茶ノ水駅近くにあるニコライ堂は日本における東方正教会の代表的建物。重要文化財であり、ビザンチン様式の威風堂々としたたたずまいから全国的に有名で、正教会についてよく知らなくてもニコライ堂については知っているという人も多い。
 そもそもなぜ日本に二つの正教会組織が存在するのか、少し長くなるが説明したい。
 戦前・戦時下の日本で、日本正教会はソ連の影響を受けているとして、日本当局によりロシア正教会と絶縁させられた。その再興を目指して、ロシア正教会のモスクワ総主教庁は終戦翌年の1946年11月、2人の主教を日本に派遣。しかし、連合国軍総司令部(GHQ)は2人の入国を許可せず、代わりに日本の教会を指導するため来日したのが米国の正教会(メトロポリア)の主教だった。
 モスクワ総主教庁の主教が日本の正教会を率いることで、ソ連の影響力が広がるのをGHQが恐れたのが理由とされる。メトロポリアはロシア革命後に亡命した白系ロシア人を中心に独自の活動を行っていた。それまで縁もゆかりもなかった米国の正教会の主教派遣に、日本の一部の正教会信者らが反発。こうした信者はメトロポリアには従わず独自の教会を組織した。
 分離した信者ら(ロシア派)はニコライ堂を離れて新宿などに拠点を構え、日本の正教会は事実上分裂した。1957年にはロシア正教会がロシア派を日本の真の正教会と認定、ニコライ大主教が伝道した歴史ある日本正教会の後継と決めた。こうしてニコライ堂を拠点とする教会(米国派)とロシア派は対立を深めていくことになる。
 しかし1970年には、ロシア正教会とメトロポリアは、ロシア正教会がメトロポリアを独立教会として認めてお墨付きを与えることを条件に、日本の米国派がロシア派と和解し自治教会となることで合意。双方が歩み寄ったことで、長年続いた日本での米ロ両派の対立は終わった。一方、こうした和解の動きに納得しないロシア派の一部は、ロシア正教会の支持も受け、同正教会の日本での出先機関「ポドボリエ」(ロシア語で旅籠=はたご。他国を訪れたロシア正教徒が、祈りとともに宿泊するための施設という意味で使われている)を結成した。今も存続しているが、日本正教会の信者約1万人に対し、ポドボリエは在日ロシア人を中心に200人程度しかおらず、規模の違いは歴然としている。

 ▽なぜ千葉に修道院が
 東京都目黒区などにまたがる林試の森公園に近い「聖アレクサンドル・ネフスキー教会」を中心に活動を続けるポドボリエだが、千葉の修道院創設には、ポドボリエの初代トップとなった日本人、故ニコライ佐山(佐山大麓=だいろく=)大主教が深く関わっている。

ニコライ佐山氏(撮影時期不明)

 佐山氏は1914年に台北で生まれた。日本に帰国後、日本ハリストス正教会で洗礼を受け、東京の神学校を卒業、米国の神学校でも学んだ。日本正教会の分裂後は、佐山氏は当初、米国派に所属。しかし60年代初め、ロシア派に転向した。
 67年には、ロシア正教会から日本の正教会代表に任命された。佐山氏はニコライ堂の土地の所有権を巡って訴訟を起こすなど米国派と激しく対立。しかしその後、ロシア正教会はメトロポリアとの交渉の過程で、当時日本で多数派であった米国派との関係改善を優先する立場から、佐山氏を日本の代表とするとの主張を取り下げ、佐山氏をポドボリエ代表に充てることを提案。結局、米ロ双方の教会がこの案で合意した。
 佐山氏は日本正教会トップになる夢を絶たれ86年に引退。自力で松尾町に修道院を建て、一人祈りの生活を始めた。その後、健康状態が悪化。生涯独身で家族のいない佐山氏の面倒を見るため2003年、ロシア正教会は極東ユジノウスリースクの修道院から2人の修道女を派遣した。佐山氏は08年に93歳で死去したが、現在も2人が修道院を支えている。

 ▽門戸を開く
 2人の日本での生活は既に20年近く。11年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故では、在日ロシア大使館などから日本からの避難を提案されたが、困難なときこそ日本人を助けたいと日本にとどまった。

修道院内の祭壇=9月

 今年2月に始まったウクライナ侵攻で、ロシア人とウクライナ人は反目する関係となったが、修道女のアンナ・ボリシャコワ(洗礼名マクダリーナ)さん(44)は「今も修道院はロシア人、ウクライナ人を問わず受け入れている。実際にウクライナ人の女性信者も修道院を訪れ、祈りをささげている。宗教に国籍や民族は関係ない。戦争が早く終わり、被害に遭う人が少しでも少なくなるよう毎日祈っています」と断言する。
 もう一人の修道女グリシコさんはウクライナ北東部出身で両親はウクライナ人。現在はロシア国籍で、ロシア正教会に所属する身として思いは複雑だが、やはり両民族のために祈りたいとの気持ちは変わらないという。

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 正教会 キリスト教会は1054年、ローマ・カトリック教会と東方正教会に分裂。カトリック教会は西欧に基盤を置き、正教会はロシア、東欧、ギリシャなどで大きな影響力を持つ。正教会は各国の教会組織が独立している場合が多く、ローマ教皇のような全世界の信者を指導する絶対的なトップはいない。神父が生涯独身のカトリックと違い聖職者が妻帯しても良いのも特徴。最大の信者を擁するのがロシア正教会。日本への伝来はロシアのニコライ大主教が1861年、函館の領事館付き司祭として来日したのが始まり。

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