自民党本部に響く怒声 離婚後の「親権」を巡る専門家会議の試案、議員の“横やり”で急きょ延期

離婚後の共同親権導入を巡り、紛糾した自民党法務部会=8月26日、東京・永田町の党本部

 日本で父母が離婚すると、子どもの親権はどちらか一方が持つ。「単独親権」と呼ばれる民法の規定だが、これを改正し、父母が2人とも親権を持つ「共同親権」を導入すべきかどうかが、検討されている。法務大臣の諮問機関で、法改正を議論する「法制審議会(法制審)」はこれまで1年7カ月間、議論を続けてきた。メンバーは大学教授や裁判官ら23人だ。
 導入の仕方や当事者の置かれた状況によっては深刻な事態を招く可能性があり、議論は平行線になった。このため法制審は、複数の案を併記した中間試案を用意し、パブリックコメント(意見公募)で国民の考えを広く聞いた上で、さらなる議論に生かす方針だった。
 しかし、そこに“横やり”が入る。自民党の会合で、共同親権導入を強く求める一部の議員が法務省側に怒号を飛ばし、中間試案の取りまとめは急遽延期になった。その後の法制審の部会では、発言した専門家らの大半が「政党の圧力で変えると禍根を残す」などと懸念を表明する異例の事態に。一連の経緯を追った。(共同通信親権問題取材班)

 ▽そもそも親権って? 

 まず親権とは、未成年の子どもについて、身の回りの世話や教育といった「身上監護」や、財産管理をする親の権利と義務のこと。監護には住む場所の指定、職業の許可などが含まれる。婚姻中は父母双方が共同で親権を持つが、離婚後は両方が持つことはできないと規定されている。

 ▽DVから逃れるため、最低限の着替えをバッグに詰めた
 関東地方に住む30代のアヤ=仮名=さんは約2年前、自宅にこんな置き手紙を残し、当時1歳5カ月の息子と家を出た。
 「あなたのDVにもう耐えられません。探さないでください」
  交際時からドメスティックバイオレンス(DV)の兆候はあったが、結婚後にエスカレートした。自分の思い通りにいかないと暴れ、食器を投げつけられた。首を絞められたのは息子が生後7カ月の時。話し合いを求めても暴れ、わめかれ続けた。
 「もうこんな姿を息子に見せたくない」と考え、夫が出張中に「今逃げるしかない」と自分を奮い立たせ、最低限のミルクや着替えをバッグに詰めて家を出た。

息子の書いた絵を見つめるアヤさん=8月9日

 その後、離婚調停が今年に入って成立。最近は落ち着いた日々が続き「息子の笑顔が増えた」と感じる。一方で不安も尽きない。元夫が居場所を突き止め、会いに来たらと想像すると怖い。

 平穏な生活を今後も続けていくために、日本が単独親権制で良かったと感じる。もし共同親権になったら、子どもの進学や就職をどうするかまで、息子に関するあらゆることを元夫と一緒に決めることになるかもしれないからだ。
 元妻である自分に対する腹いせに、例えば息子が望む進学先でも「だめだ」と拒否される恐れだってある。「今やっと安全に暮らせているのに、親権を理由に何かを強制されるのは、振り出しに戻るような気持ち」
 親権制度について議論が進む現状を、こう危惧している。「共同親権になれば、争いの激しい父母の子は、離婚後も再び紛争下に置かれてしまう」

 ▽会いたいけど会えない…「連れ去り」に苦しむ親
 一方、東京都内に住み、息子が2人いる女性カナミ=仮名=さん(46)は共同親権の導入に賛成だ。

 夫は夫婦げんかの際、首を絞めるなどの暴力を振るってきた。そんな夫が1人で家を出て行ったのが、約4年前。別居が続く中、子どものためを思って毎週末、息子たちを夫に会わせていた。しかしある時、夫が当時8歳の次男を「映画に連れて行く」と連れ出した後、返さなくなった。

次男への思いを語るカナミさん=8月22日午後

 別居親と子どもが会う「面会交流」の約束を夫は守らないため、次男には約2年間会えていない。日本は、面会交流を強制できる仕組みになっていない。次男が自分のことを忘れてしまわないか、夫が一方的にカナミさんの悪口を吹き込み「洗脳」されてしまうのではないかと不安な日々を送る。
 カナミさんは現在、長男と暮らしており、兄弟が引き離された状態だ。「法改正されなければ、このまま会えないままなのではないか」と不安を吐露した。
 離婚訴訟は継続中だが「親権を失いたくないから、離婚はしたくない」と複雑な心境を語る。これ以上、次男から遠い存在になりたくないと願っている。

 ▽「全案併記」幻の中間試案
 人口動態統計によると、2020年の婚姻件数は約53万組で、離婚は約19万組。「3分の1が離婚する時代」とも言われ、離婚後の親権は身近な問題になりつつある。約19万組のうち約11万組には離婚時に未成年の子どもがいた。母親が親権を持つ割合は約9割とされる。
 共同親権か単独親権かは、当事者の置かれた立場によって意見の対立が激しい。法制審での議論の推移を見守ってきた法務省幹部は、こう表現する。「単独派も共同派も理屈があり、どれだけ議論しても溝が埋まらない」 

 このため、法制審が取りまとめる予定だった中間試案では、複数の案を併記する形を取った。具体的には「単独親権のみを維持する」「共同親権を選択できるようにする」の両案を並べ、さらに、共同親権選択制を採用するとしても「原則は単独親権」あるいは「原則は共同親権」。また、子の日常の世話をする「監護者」を定めるかどうか、定めるとして監護者にどこまでの権限を認めるのか―など、論点ごとに案を細分化していた。
 

 共同親権を選んでも、監護者になった親にだけ親権行使を認め、もう一方には事後通知で足りるとする案もあり、グラデーションのある内容が並んでいた。子どもにとって最善の利益を確保し、同時にDVや虐待への対応も求められているためだ。

 この試案をパブコメにかけ、国民から幅広く意見を集める見通しだった。

 ▽「壁耳禁止」も、扉越しに廊下まで響いた怒号
 事態が急変したのは8月26日。法制審が中間試案を取りまとめる予定としていた30日の4日前だ。
 東京・永田町の自民党本部で開かれた「法務部会」。法務省関連の案件が議論される会合だ。法制審の議論状況について、法務省がこの部会で説明するのは3回目だった。終了予定時刻を大幅に過ぎた頃、共同親権・共同監護の導入を強く求める複数の議員が、大きな声でまくし立て始めた。

東京・永田町の自民党本部

  「この議論は法制審にどう反映されるのか。何のための法務部会だ」「法制審はこんなことしか決められないのか。原則共同親権じゃない。答えられないでしょう。もっとちゃんとやってくださいよ!半端な議論をしているんじゃないんですよ、われわれは」「これなら連れ去り問題は全然解決しないじゃないか!」
 報道陣はこうした部会を傍聴できないが、会議室の扉の近くで耳をそばだてる、いわゆる「壁耳」を一般的にしている。しかし、この日の会合は、家族法制の議題に進んだ途端に「壁耳禁止」が告げられ、記者は部屋から離れた廊下で待機するよう指示された。それでも、議員らの怒号は、扉越しに廊下まで響き渡り、しっかり聞き取れた。
 結局、法務省側が取りまとめを見送る方向を示し、その場を収めたという。
 この議員らが求めているのは、婚姻中と同様の共同親権だ。背景には、法制審に対抗し、北村晴男弁護士が中心となって結成した「民間法制審」という団体がまとめた独自の試案がある。ある法務省幹部はこう推し量った。「ニュートラル(中立)に複数案を併記するだけで、自分たちの推す案が際立っていないと不満を持ったのだろう」

 ▽「禍根残す」「学術会議の介入のよう」法制審で相次いだ懸念

離婚後の子どもの養育について検討する法制審議会の家族法制部会=8月30日、法務省

 4日後の8月30日に開かれた法制審議会の部会では、こうした政治の動きを批判する声が相次いだ。取りまとめを延期したり、試案の内容を変更したりすることを、出席した多くの委員が問題視。「政党の圧力で変えると禍根を残す」「日本学術会議への介入のようだ」「政府、与党の意見で変わるのでは存在意義が問われる」という声が上がった。委員の1人は取材に「(発言した委員の)大半は、法制審の独立性を重視すべきだという趣旨の発言をした」と証言する。
 

 関係者によると、この日の法制審部会には23人の委員全員が出席。裁判官や法務省職員などを除く大学教授らの専門家は18人。発言しなかった人もいたが、少なくとも12人が異議を唱えた。「政治家は(法制審が最終意見をまとめる)答申後に議論すべきだ」といった発言もあり、専門家らが外部の介入を受けた形になったことに危機感を示している。
 事務局を務める法務省は「議論が熟していないという方向では一致した」と説明している。法制審部会は試案を分かりやすく見直すことでは合意したものの、議論を今後どう進めるかは決まっておらず「一時停止」の状態だ。

 ▽法務省が抱える「苦い思い出」
 法制審と政治を巡っては、法務省に苦い思い出がある。法制審が1996年に答申した「選択的夫婦別姓制度」を盛り込んだ民法改正案は、自民党内の了承を得られず法案提出に至らなかった。法務省幹部たちは口々に言う。「あの時の二の舞いになってはいけないが、この案件は非常にハードルが高いことがはっきりした」「重要案件では議論の経過を与党に報告し、党の意見を法制審に伝えることも珍しくない。夫婦別姓の時のように、答申しても法案提出ができないと意味がない。同じようなことにならないためにも、今の段階で議員の意見を聞くのも仕方ないだろう」

東京・霞が関の法務省旧本館

 ▽「非民主的」立場超え、一致する専門家
 有識者らは今回の事態を疑問視している。東京都立大の木村草太教授(憲法)は議論の途中で政治家の声が影響する恐れを危惧している。「法制審は専門家で構成され、自律的な議論がされる必要がある。改正案を答申後、国会議員の責任で専門家の判断を拒むことはできるが、今回は議論の途中段階。国会議員が介入すべきでない。審議会は専門家の知見を生かす場であり、議員が影響を及ぼしたり判断をゆがめたりすれば、機能を果たせなくなる」
 その上で、議員の対応を批判した。「自民党議員は審議会の存在意義が全く分かっておらず、専門家を尊重していない。菅義偉前首相が、日本学術会議が推薦した会員候補の任命を拒否した問題と根は同じだ」
 同様に疑問視する声は、共同親権派、単独親権派の両方の識者からも、立場を超えて上がっている。

 

立命館大学の二宮周平名誉教授

 立命館大の二宮周平名誉教授(家族法)は、共同親権導入に賛成の立場。理由は「夫婦関係が終わっても、子どもにとって親はいつまでも親。単独だけでなく、共同という選択肢が増えることは、父母双方との関わりを続けることができて子どもの成長にとってもプラスになる」と考えるからだ。

 一方で今回の事態は非民主的と指摘する。「国会の法案審議以前に、政党が非公開の部会で、法相の諮問機関の中間試案に変更を迫るプロセスは民主主義に反する。真に子どものための制度にするため、実態を捉えた調査結果を踏まえて客観的に議論すべきだ」 

 
 DVや虐待問題に詳しい長谷川京子弁護士は、共同親権の法制化に強く反対する。

  「共同親権は父母に同等の権利を与える。しかし子どもは一方の親と暮らし、その世話を受けて育っている。重要な決定は日々の世話の延長上にあり、別居親が同居親の決定を阻止する権利を行使すれば子どもの世話は立ち往生し、子どもの利益を害する。また、父母の激しい葛藤の背後にはDVや虐待が潜むことも多く、『選択制』ではこれを排除できない。協議では加害親の意思が通り、証拠が乏しければ裁判所もDVや虐待を認定できないからだ。共同親権は加害者と被害者の支配関係を継続・悪化させうる」

 法制審に対しては、「誰がどう困っているのか、立法事実を押さえて改正の必要性を論理的に議論するべきだ。先進国でも、離婚後共同監護は、父親の権利要求と子どもの福祉から手を引きたい『小さい政府』志向の政治が結びついて推進され、深刻な弊害を生んでいる。国民の声を聴くパブコメを歪めてまで改正を急げば、国民の福祉を損ねる恐れがある」と警鐘を鳴らした。

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