「こいつナニモン!」 Jリーグスカウトが唸った別格MFと超争奪戦だった超高校級FWとは

Jリーグ史上最多優勝を誇る“常勝”鹿島アントラーズ。チームをスカウトとして支え続えてきた椎本邦一さんが、内田篤人の冠番組でもあるDAZNのFOOTBALLに出演した。

旧知の間柄である2人は様々な話題でトーク。内田が「獲得したなかで一番争奪戦になった選手」、「他のチームでプロ入りして即試合に出れると思った選手」と聞くと、椎本さんはこう答えていたぞ。

「(争奪戦)一番はヤナギ(柳沢敦)だな。

全部じゃないかな、1チームだけこなかったのかな。

ヤナギはすごかった。今でもFWはヤナギが一番だったな、高校時代。

うまいし、ボールのない時の動きとか、本当にできていた。ダイレクトでボールを落とすのもうまかったし」

(中盤だと柴崎)岳…そうだな、でも、(小笠原)満男。満男はプロになってからすごいなと思った」

13番を背負い鹿島のエースに君臨した柳沢は、Jリーグのほぼ全クラブが獲得に乗り出すほどの争奪戦だったそう。

内田も「動き出しならぬ、ヤナギ出し」がすごかったと振り返っていた。

椎本邦一さん

「(プロで即通用すると思ったのは)小野伸二。彼は別格だよね。

だって、あの満男が言うんだよ、伸二はもう全然別格だと。

でも、そう思った、高校時代も、こいつナニモン!って。

(それでも獲得にいかなかったのは、鹿島は)本山雅志とかいってたから。

あの時には西に本山がいて、東に伸二だった。

今でも思うけど、彼らの年代が一番レベルが高い、高校とか見ていて。稲本潤一、高原直泰、新井場徹…」

やはり日本サッカー史上最高の天才である小野伸二は高校から別格だったそうで、彼ら1979年世代はこれまででも一番のレベルにあったと感じているとか。

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ちなみに、高校時代は無名ながら、鹿島が獲得した選手は昌子源(現ガンバ大阪)だそう。

椎本さんは「見たのはインターハイ1回戦、あいつは鳥取の米子北高校だったじゃん。その相手が(鹿島の地元)茨城県の代表だったの、だから、応援いかなきゃいけないなと、1回戦で負けたら困るからって。そこで行って見つけた」と明かしている。

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