<南風>愛情

 上京する1日前、鼻歌交じりで荷造りをしていると母から「うれしそうだね」と少し寂し気な顔で当面の生活費にと茶封筒に入ったお金を渡されたが、夢と希望でいっぱいで「明日から行ってくるね」と笑顔で淡々と会話を終えた。アルバイトしながら専門学校に通っていた姉からも、社会人おめでとうと薄いピンク色のしゃれたスーツをもらって無邪気に喜び、社会人生活の第一歩が始まった。

 生活にも仕事にも慣れた頃、顔も性格も似ているがどちらかというと苦手で話すことなどないと思っていた父が会いに来た。何だか憂鬱(ゆううつ)な気分で会話も弾まないが、帰る際「ハイ、お土産」と生活必需品やアメリカンのポークやスープ、お菓子がたくさん入った布製のボストンバックを渡された。

 肩に掛け、アパートに向かう駅の階段であばらの骨がくっつくほどの重さで息が上がった時、冷たくあしらった自身の行動に情けなさを覚え、父の思いがこの重さだと思うと感謝でいっぱいになった。走馬灯のようによぎる私に寄り添う家族を思い出す。母の精いっぱいの愛情表現の茶封筒だっただろう。姉だってなけなしのお金だっただろう。

 家族から直接的な愛情表現の言葉を聞いた記憶はないが、あらゆる場面で目に見えない間接的な愛情があったことに気づく。大人になり、子を持ち、社会と関わり合う中で、相手に与える見返りを求めない無償の愛を意識するように心がけていたが反対に愛情は与えられるものではなく、自分で感じ取るものなかもしれないと思うようになる。実際、たくさんの人から優しさと愛をもらい、支えられ今の私があるのだから。

 今は便利なSNSでコミュニケーションをとることができる時代だが、私はこれからも接触型コミュニケーションを優先し、五感をフルに使って人の優しさと愛に触れていきたい。

(澤岻千秋、御菓子御殿専務取締役)

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