先日、鈴木優磨がシント=トロイデンからシャルケ04に移籍する寸前であったことが明らかになった。しかし締め切りに間に合わなかったためにキャンセルとなったとか…。
今回は世界的なスター選手の中から「ギリギリでキャンセルになってしまった超大物選手の移籍」をご紹介する。
ディエゴ・マラドーナ
行きそうだったクラブ:シェフィールド・ユナイテッド
あのサッカー界の伝説的選手、ディエゴ・マラドーナが…もしかしたらシェフィールド・ユナイテッドに移籍していたかもしれない。当時しかもクラブはイングランドの2部リーグに所属していたにもかかわらずだ。
1978年にシェフィールド・ユナイテッドのハリー・ハスラム監督は、若い選手をスカウトするためにアルゼンチンへと旅行に向かった。その時に見つけたのが当時17歳のディエゴ・マラドーナで、獲得のために20万ポンドのオファーを準備したという。
ただ、当時のクラブ上層部がそれを直前で拒否したため、ギリギリで撤回に…。代わりにアレハンドロ・サベーラを獲得している。
ロベルト・レヴァンドフスキ
行きそうだったクラブ:ブラックバーン・ローヴァーズ
今世界でも最も強烈なストライカーの一人であるロベルト・レヴァンドフスキ。ボルシア・ドルトムントでブレイクし、それからバイエルン・ミュンヘンで名を上げ、そしてバルセロナへと行き着いた。
ただ、彼がブラックバーン・ローヴァーズに加入することはほぼ決まっていた。レフ・ボズナニは400万ポンドのオファーを受け入れており、レヴァンドフスキがイギリスに行ってサインするだけだった。
ところがアイスランドの火山が噴火したことによってあらゆる飛行機のフライトが中止になり、その交渉期限が切れてしまった。ただそれだけの理由だった。
ズラタン・イブラヒモヴィッチ
行きそうだったクラブ:アーセナル
イブラヒモヴィッチがアーセナルに加入直前であったことは有名だ。地元のマルメで活躍していた10代の彼を、アーセン・ヴェンゲル監督が練習に呼び、背番号9のユニフォームを手渡した。
物事は順調に進んでいるように見えたものの、ヴェンゲル監督は「君の価値を示すため、テストを受けてくれ」と要請したことが問題だった。イブラヒモヴィッチは「ズラタンはオーディションを受けない」と答え、それを断ったという。
ヤヤ・トゥレ
行きそうだったクラブ:アーセナル
そしてイブラヒモヴィッチと同じように、アーセン・ヴェンゲル監督に獲得される寸前であったのがヤヤ・トゥレであった。
兄のコロ・トゥレがアーセナルに所属していたこともあり、アーセン・ヴェンゲル監督はヤヤ・トゥレが15歳のころから知っていたという。そして2003年夏、プレシーズンのキャンプに参加することになった。
バーネット戦でヤヤ・トゥレは実際にアーセナルの選手としてプレーしていたが、まだ代表選手ではなかったこともあって労働許可証が取得できず、契約は不可能になった。
ダビド・デ・ヘア&ケイロル・ナバス
行きそうだったクラブ:レアル・マドリー、マンチェスター・ユナイテッド
この二人の移籍についての逸話は有名だ。2015年夏、マンチェスター・ユナイテッドとの契約が残り1年になったダビド・デ・ヘアを、レアル・マドリーは本気で獲得しようとしていた。
マンチェスター・ユナイテッドはその代わりとしてケイロル・ナバスの譲渡を要求し、レアル・マドリーはそれを了承。移籍マーケットの最終日にすべての交渉が終わり、あとは手続きを行うだけだった。
しかしながら、その書類は締め切りの2分後に届いたことから撤回に。一説にはマンチェスター・ユナイテッドのファックスが故障したためだと言うが…。
スティーヴン・ジェラード
行きそうだったクラブ:チェルシー
ミスターリヴァプールといえる「ワン・クラブ・マン」だった(当時。後にアメリカへ移籍した)スティーヴン・ジェラード。しかしながら、彼がチェルシーに加入しそうな状況にあったことは有名だ。
2004年に行われたEUROの間、ジェラードは自身や家族に向けられた批判キャンペーンに不満を抱いていた。その後残留を決めたものの、その1年後にチェルシーからオファーを受けてクラブに移籍要求を行うほどの状況になった。
ただ6週間もの熟慮の末、最終的にジェラードはリヴァプールに残り、新しい契約を結ぶことを決めたという。
クリスティアーノ・ロナウド
行きそうだったクラブ:アーセナル
クリスティアーノ・ロナウドがアーセナルへの加入に近づいたのは2003年夏。当時18歳だった彼は、実際にアーセン・ヴェンゲルが率いるアーセナルの練習に参加していた。
ヴェンゲル監督はアーセナルの『9番』が入ったユニフォームを手渡すなど相思相愛だったとのことだが、クラブ側がスポルティング・リスボンの求める移籍金を支払うことに難色を示した。
それは1200万ポンドほどだったが、アーセナルが許可したのはその3分の1。そんなことをしている間に、マンチェスター・ユナイテッドが移籍金を満額支払って獲得に成功していた。
アンドレス・イニエスタ
行きそうだったクラブ:レンジャース
バルセロナで伝説となり、現在は日本のヴィッセル神戸でプレーしているアンドレス・イニエスタ。世界最高の理想的ミッドフィルダーとして高く評価される。
彼がスコットランドの名門レンジャースに移籍する可能性があったのは2004年。バリー・ファーガソンを失ったクラブはバルセロナの下部組織に目をつけ、18歳だったイニエスタに目をつけた。
しかしながらその交渉は頓挫した。イニエスタにとってはそれはかなり幸運だった。
ヨハン・クライフ
行きそうだったクラブ:ダンバートン
ヨハン・クライフはキャリアの終盤でレバンテに所属するなどいくつか驚きの移籍をしているが、その中で最も奇妙なものがスコットランド2部のダンバートンだ。
当時ダンバートンはクラブのイメージと知名度を高めるためにPR活動の一環としてヨハン・クライフに目をつけ、「獲得の可能性は低いだろうが、運が良ければ…」というダメ元のオファーを送った。
ところがクライフは「誘惑された。イギリスでプレーしたかった」と意外な反応をし、前向きな姿勢だったという。ただ「年をとったために筋肉が固くなっていて、寒い国では問題が出る」という状況だったため、最終的には断らざるを得なくなった…と明かしている。
リヴァウド
行きそうだったクラブ:ボルトン・ワンダラーズ
あのサム・アラダイスが率いていたボルトン・ワンダラーズ。今や3部のチームになってしまったが、当時はプレミアリーグでもクラシックなキック&ラッシュのサッカーで異彩を放った有力チームだった。
そして2004年、ボルトン・ワンダラーズはブラジル代表のエースであったリヴァウドの獲得に動き、そのオファーは選手側にも受け入れられていた。メディアでも「ほぼ100%決まった」と言われていた。
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しかしながら、最終的にはギリギリでリヴァウド側から断りの連絡が入り、この獲得は不可能になったとのこと。