今年は秋から邦画が豊作らしい 『マイ・ブロークン・マリコ』『LOVE LIFE』 茶一郎レビュー

はじめに

お疲れ様でございます。茶一郎です。映画スクエアpresents 「スルー厳禁新作映画」前回からお時間が空きましたが第4回目。今回も2本立てです。もう9月になりまして、ここから年末にかけて洋画の目玉作品が少なくなる一方、邦画の層は厚くなるという、そんな2022年秋から冬になりそうです。ということで今回の「スルー厳禁新作映画」では9月にご覧頂きたい邦画2作品『マイ・ブロークン・マリコ』そして『LOVE LIFE』をご紹介いたします。どちらもパワフルな作品であり、同時に2作品とも同じテーマ……「人は喪失とどう向き合うのか?」という、コロナ禍の作品として共鳴する、時代とリンクした2作品でございます。今回は『マイ・ブロークン・マリコ』『LOVE LIFE』2本立てでお願い致します。

どんな映画?-『マイ・ブロークン・マリコ』

『マイ・ブロークン・マリコ』はとってもとってもシンプルな物語の映画。ブラック企業で営業として働く主人公シイノがある日、親友のマリコが亡くなったことを知る。娘が亡くなったのにも関わらずお通夜もお葬式も開かないマリコの両親。シイノはマリコの両親から遺骨を奪い、旅に出る。亡き親友の遺骨とのロードムービーが『マイ・ブロークン・マリコ』です。

原作思い出し泣き

『マイ・ブロークン・マリコ』の原作は2019年に発表された平庫ワカさんの同名漫画で、これかなり話題になりましたのでご存じの方も多いかもしれません。私も連載後、単行本で読みまして、まぁ泣きました。ボロボロと泣いた。そして今回の映画版もかなり忠実に原作を映像にしていますので、映画冒頭から原作思い出し泣きが起こりまして、やや冷静に評価ができていないという、原作の強度を誠実に映像にした一本である事は間違いないです。

原作漫画は150ページ程度の短い作品ですが、ほとんど足さず引かず85分の短い長編映画としてパッケージした、かなり原作リスペクトを感じました。特に主人公シイノのキャラ造形ですね。このシイノという人物はブラック上司に屈しない強さを持っているが悪く言えば粗野で、言葉遣いも荒々しい、親友のマリコを「ダチ」と呼ぶ。感情と体がシンクロしているように感情むき出しで動く人物。永野芽郁さんが彼女の今までのイメージとはかけ離れたこのシイノを、漫画からそのまま飛び出してきたかのように体現していて、もうこの永野芽郁=シイノを見るだけで原作思い出し泣きという私でございました。やや台詞回しもシイノの爆発的な感情表現も、漫画そのママですので、映画としては慣れるまでに時間がかかるかもしれませんが、冒頭からシイノの感情が暴走していますので、邦画にありがちな過剰な演技表現も自分はそこまで違和感なく観ることができました。もう冒頭から漫画のあのシイノの感情表現を基準として進む、物語も描かれる感情も衝動的な一本です。

「喪失」とどう向き合うか?

このシイノと“ダチ”マリコの遺骨とのロードムービー。実際は一人旅ではありますが、シイノのマリコの思い出の回想、過去と現在を交互に映す、原作通りの作劇をそのまま採用しているため、まるでシイノとマリコが二人で旅をしているような、シイノと遺骨の旅、シイノと心に大きな傷を負ったマリコの記憶との旅。シイノが喪失と向き合う「喪に服す」一人のロードムービーであると同時に、『テルマ&ルイーズ』のような女性連帯、シスターフッドの高揚感も感じる二人のロードムービーになっているのが、原作同様この『マイ・ブロークン・マリコ』の魅力かと思います。この魅力も原作から抽出しています。魅力を逃していません。

タナダユキ監督の作品としては、代表作の『百万円と苦虫女』も当てもなくさまよう女性主人公と実家に置いてきた弟との手紙を通じたコミュニケーション、どこか一人のロードムービーだけど、二人のロードムービーでもありました。『ロマンス』は二人のロードームービー。監督前作にあたる『浜の朝日の嘘つきどもと』も、主人公がかつて出会った恩師の意志を継ぐという、現在と主人公の記憶を行ったり来たりする、現在と過去との距離感が本作に連なっている印象です。

本作『マイ・ブロークン・マリコ』は監督自ら映画化を望んだという事で、過去作と重なる、きっと監督ご自身も過去作の経験を活かせると踏んでの映画化だったんじゃないかと妄想します。そして主人公が喪失と向き合う「喪に服す」旅という意味で、是枝裕和監督の初長編監督作『幻の光』から、昨今の作品の一つの特徴でもある。『ノマドランド』、『ドライブ・マイ・カー』の後半。コロナ禍の作品としてリンクする物語だと思います。

親友を亡くした。心に深い深い深い傷を負ってしまった親友を助けられなかった。目の前の大きな喪失に対して、人はどう向き合えば良いのか。この問いに対して、ささやかにアンサーを見せてくれます。喪失を受け入れ未来へ進むことで、どんなに距離が離れていても亡き友人と繋がることができる。偶然にも同時期に公開された、次にご紹介する『LOVE LIFE』と重なる「喪失」の物語という事で、偶然以上の時代精神のようなものも感じてしまいます。ともかく原作の強度をかなり誠実に映像にした『マイ・ブロークン・マリコ』。好きな一本でした。

どんな映画?-『LOVE LIFE』

『LOVE LIFE』では一見幸せそうな、幸福に満ち満ちた主人公一家が描かれます。主人公・妙子は一人息子を連れ、現在の旦那さんと再婚。同じ団地に仲良く暮らす旦那の父(義理の父)と母。映画は主人公の義理のお父さんの誕生日会と息子がオセロ大会で優勝した祝勝会、とてもおめでたい一家の日常から幕を開けますが、妙子に、この一家に、とてつもない悲劇が起こってしまうというのが『LOVE LIFE』の超序盤でございます。この悲劇をきっかけに、一見幸せそうな一家に旦那の元恋人、そして主人公・妙子の元夫が訪れる。主人公がどう悲劇で負ってしまった心の傷を向き合うのかという『LOVE LIFE』です。

家族地獄と最高の団地映画

「一見、幸せそうな家族」。「一見」というのがとても重要で、あらすじや家族構成だけ見ると本当に幸せを絵に描いたような一家なんですが、観客にとってはこの「一見」というのが、言葉通り見て分かるほどに序盤から観客を心をえぐってきます。子供を連れて今の旦那さんと再婚した妙子を認めない旦那の父。誕生日会、祝勝会で旦那の父が妙子のことを「中古」と呼ぶ。何て事を言うんだと。旦那の母親も注意します。「あんたなんて事言うの」そうフォローした後に、妙子に向かって「でも、今度は本当の孫を抱かせてね」なんて言ってしまう。「本当の孫」何だと!?じゃあ妙子の連れ子は「偽物の孫」なのか、と。映画開幕10分も経たない会話劇から家族地獄が煮詰まっている。本当に観ていて心を抉られる、すぐに「一見、幸せそうな家族」というこの「一見、幸せそうだけど実は」という家族の地獄が暴露されます。

また映像的にも「一見」なんですね。本当に本作『LOVE LIFE』は主人公一家が住む、集合住宅、団地、部屋の切り取り方が素晴らしく、どう計算したのか分からないほどの緻密な空間の切り取り方に魅了される最高の団地映画、集合住宅映画だと思いますが。まず妙子と再婚した旦那、連れ子の住む部屋。キッチンが付いているリビングがあって隣に和室がある。冒頭、主人公と旦那が誕生日会兼祝勝会を準備している様子を映しますが、カメラは主人公たち被写体から一定の距離を保って、夫婦の会話シーンで彼らをアップにしない、切り返しの編集もしない、ともすればそのリビングと和室の間の仕切りを画面の中央に映し込むことで、同じ家の中にいるのに別々の世界にいるかのよう。夫婦というより、妙子、その旦那、個人個人それが強く浮き彫りになります。「本当は怖い小津安二郎」じゃないですが、普通のホームドラマにはないどこか不穏な映像がこの家族地獄、夫婦地獄をこちらも言葉通り「一見、幸せそうだけど実は」を映像的に暴きます。

のちに分かりますが、妙子の夫は人と目を合わさない人物。冒頭から夫婦はほとんど目線を合わさない、映像的にも妙子と旦那の目線が同じ軸に並ばない。「目と目を合わす」というのがキーワードになってきます。それを映像で見せる冒頭。おっとっとこの夫婦なんだか不穏だぞという事を映像的に語る見事な『LOVE LIFE』の空間の切り取り方。同じ空間にいる夫婦を映しながら浮き彫りになる「個人」「孤独」。近いけど遠い。

一方、妙子の住む団地の棟から見て、広場、小学校のグラウンドのような中庭を挟んで向かいに旦那の両親が住む団地の棟がある。夫婦同士は「近いけど遠い」でしたが、こちらは「遠いけど近い」と言った具合に切り取るんですよね。本当に上手い。冒頭で妙子が広場を挟んで、向かいの棟にいる旦那の母親と大声で会話をするシーンだったり、全編、主人公がいる棟と向かいの棟、この距離感を物理的には遠いけど、精神的には近いように見せる。これは妙子が遠くに住んでいるはずの旦那の両親に縛られている印象を与えますし、この遠いけど近い距離感がアッと驚く展開に観客を導いていきます。ともかくこの見事な空間の切り取り方、『LOVE LIFE』は素晴らしい団地映画であり、会話劇的にも、映像的にも夫婦地獄、家族地獄を浮き彫りにします。

そして最悪な事にこの家族に悲惨な出来事が襲う。私、試写で見ていましたが、思わず「アッ」と声が漏れてしまう、体温が急激に下がる思いをしました。最悪、理不尽な悲劇が主人公たちを襲い、ただでさえ孤独を感じて、家族における「個人」を強調していた『LOVE LIFE』はより主人公たちに孤独を強制し、彼ら「個人」を浮き上がらせていきます。

監督過去作と描かれる「孤独」

この展開はとても深田晃司監督的と言っても良いかと思います。監督前作にあたるドラマ『本気のしるし』は、これまたパワフルな、恋愛についての恋愛ドラマという意味での恋愛ドラマでしたが、本作に連なるのは特に監督の初期作『歓待』、その変奏版とも言える『淵に立つ』かと思います。

過去の私のレビューで深田作品を「闖入者モノ」なんてまとめた事があります。深田作品は、一見、幸せそうな家族、一見、幸せそうなコミュニティの中にある闖入者、侵入者が訪れ、その家族外の、コミュニティ外の第三者の視点によって、「一見、幸せそうな家族」「一見、幸せそうなコミュニティ」の「一見、幸せそうだけど実は」が暴かれていくと、そういった物語が多いです。

時にその闖入者を主人公として、その第三者の視点が物事を良き方向に進める、明らかにエリック・ロメール作品に影響を受けた『ほとりの朔子』、そのファンタジー版『海を駆ける』なんてのもありますが、先ほど挙げた『歓待』、『淵に立つ』ではその闖入者が余りにも不条理な、もはやシュール的ですらある存在であるというのが本作『LOVE LIFE』に近いです。パゾリーニの『テオレマ』を思い浮かべて頂ければ良いかと思いますが、もはや超自然的ですらある、不条理な闖入者、その闖入者が起こす事故によって家族が崩壊し、いや主人公は家族という呪いからむしろ解放され、個人として再び人生を歩み、家族を再構築しようとします。

『歓待』における古舘寛治さん演じる突然家に来た男、その男が巻き起こす珍事。『淵に立つ』における浅野忠信さん演じるこれまた突然、家に来た男、その男が巻き起こす惨事。これが本作では序盤の不条理すぎる悲劇。加えて家族の元に訪れる主人公の元夫に置き換わっている。重要なのは物語構造の類似よりも、主人公が家族という呪いのようなものから解放され、しっかりと「個人」として生きていこうとするという事だと思います。

妙子もまた悲劇と、突然、彼女の元を訪れた元夫により「個人」として心の傷を向き合うことを強いられる。深田監督、「文學界」のインタビューで自分が描きたいことは「人の孤独」だとおっしゃっている。「孤独について描いた作品」が孤独な観客の心に寄り添えて、観客の心を癒すのではないかと、これは物凄く美しい考えだなと思いました。家族映画、時に恋愛映画というフォーマット、ジャンルで普通の恋愛・ホームドラマで描かれる人と人との繋がりではなく、その物語の中にいる登場人物の「孤独」を、「個人」の物語を描くと、これが深田流ホームドラマ。その現在の最高到達点『LOVE LIFE』でした。

さいごに

家族映画で「孤独」を描く、観客の孤独に寄り添うという美しさ以上に、僕がこの『LOVE LIFE』で強い感動を覚えたのは、そんな孤独を抱え、心に大きな傷を負った主人公に対して、その「心の傷」を、喪失を、悲惨な過去を忘れる必要はないと強く言ってくれることですね。目線を合わせて、目を合わせて。心の傷は癒す必要はないし、癒す事はできないかもしれない、いや癒す必要なんてない、忘れることなんてできなくていい、その大きな大きな喪失を受け入れる事で人生を前に進ませることができるのかもしれない。

この『LOVE LIFE』が強く目を合わせて語ってくれる「喪失」との向き合い方は、『ノマドランド』でもいいです、『ドライブ・マイ・カー』の「おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ」でもいいです、他の同時代の「喪失」と向き合う物語とリンクします。「喪失を忘れるのではなく、受け入れる」。本作『LOVE LIFE』のタイトルは劇中で使用されている矢野顕子さんの曲から取られています。その歌詞「どんなに離れていても愛することはできる」は、奇遇にもコロナ禍のテーマソングというか、愛のパワーは物理的な距離、リモートを超えるんだと。「喪失」と「孤独」「心の傷」について、物語をとっても、この歌詞をとっても、まだまだ続くコロナ禍の邦画として観客の心に感動を呼ぶパワフルな一本になっていると思う『LOVE LIFE』でございました。

【作品情報】
マイ・ブロークン・マリコ
2022年9月30日(金)、TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国ロードショー
ハピネットファントム・スタジオ/KADOKAWA
(C)2022映画『マイ・ブロークン・マリコ』製作委員会

【作品情報】
LOVE LIFE
公開中
配給:エレファントハウス
©2022 映画「LOVE LIFE」製作委員会&COMME DES CINEMAS


茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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