沖縄復帰の年から「おもてなしの心」乗せ…無事故で50年、引退を迎える85歳の個人タクシー運転手が見続けた沖縄観光

 沖縄が日本に復帰した1972年に個人タクシーを開業し、無事故無違反で半世紀。北谷町の米須一雄さん(85)がこのほど、沖縄総合事務局陸運事務所から表彰を受けた。主に沖縄を訪れる観光客を県内各地に案内してきた50年間は、沖縄の観光が大きく飛躍した期間でもある。安心安全を第一に、おもてなしの心でお客さんに接してきた米須さんのように、現場で働く一人一人が沖縄観光を下支えしてきた。 個人タクシーを開業する前は58年から14年間、法人タクシーに乗務した。運転免許を持っている人が珍しい時代で、タクシー乗務員の初任給は警察官の3倍ほど。花形職業だった。

 交通事情は今とは大きく異なった。車は右側通行で左ハンドル。信号機は少なく、交差点には警官が立ち、手旗信号で交通整理をしていた。ウインカーが装備されている車も少なく、左折や右折、停止は窓から腕を出して合図した。

 72年に個人タクシーとして開業し、75年の海洋博の頃は「休みがないくらい客を乗せた」という。「いい旅の第一条件は安全であること」と考え、安全運転で案内してきた。「当たり前のことを一つ一つやってきただけ」と謙遜するが、30年以上前に乗せたお客さんから今でも便りが届くほどだ。

 半世紀で沖縄観光の形も変わった。観光地を見て回る旅から、体験型へとシフトした。レンタカーの台頭もあり、新婚旅行の案内は減った。今は観光タクシーのメーン客は修学旅行となっている。乗務員の収入も変化した。「個人タクシーを一生の仕事にしたいと思っている優秀な人が安心して働ける処遇、本物のおもてなしをできるような研修制度を考える必要がある」と業界の課題を挙げる。

 2020年始めに食道がんの治療で入院した。体調はよくなっているが、コロナ感染予防のため休業しており、9月末で個人タクシーを廃業する予定だ。「家族が支えてくれたからここまでやってこられた」と感謝する。「私は毎日のように首里城を見ていたけど、母ちゃんは一度も行ったことがない。復元されたら今度こそ、一緒に見に行きたいね」と笑顔を見せた。

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