事故で高次脳機能障害になった60歳男性が家族のために実行した「5つの準備」

妹に介護されている兄が、将来のために行った「財産管理委任契約」「任意後見契約」「尊厳死宣言書」「遺言書の作成」「死後事務委任契約」。それぞれどんな効力があるのでしょうか?


相談者は佐藤まさこさん(仮名55歳)です。まさこさんは、20年前に交通事故で高次脳機能障害の診断を受け入院生活をしている60歳の兄について、今後のことが心配で相談に来られました。

兄には、妻と子供がいました。しかし妻は、交通事故後に入院生活をする兄の世話に耐えられず、子供を連れて離婚しました。その後は、まさこさんと母で、ずっと兄の面倒を見てきました。まさこさんは結婚をしており、夫と子供が一人います。家族みんなが介護には協力的なこともあり、この先もまさこさんを含め家族みんなで兄の介護を続けていくつもりだということです。

これから起こりうる2つの問題

今のところ、兄には判断能力があり自分の意思を伝えることができます。しかし、体の自由がきかないため、まさこさんや母が援助することで生活をしています。例えば、財産管理は、キャッシュカードをまさこさんや母に預けて病院の支払いや日常の買い物等を任せている状態です。一見すると、兄から「お願いします」ということ、まさこさんから「わかりました」という了承の上なので問題がないように見えます。しかし、これから障害により同じ年代の人よりも認知機能が早く後退していく可能性がある中では、2つの問題点が考えられます。

判断能力がなくなったあとのお金の管理をどうするか

1つ目は、判断能力がなくなった際のお金の管理と入院・転院・退院や施設への入所や各種福祉サービスの利用などに関する問題です。後見制度でいう「財産管理」と「身上監護」です。本人ではできないので、誰かが代わりに行う必要があります。必要であれば、兄に後見人を選任しなければいけなくなる可能性があります。

ただし、判断能力がなくなったからすぐに後見人を選任しなければいけない訳ではなく、家族間で対応ができている場合も多くあります。後見人の選任をしなければいけないかどうかは、その方の財産の管理状況や生活状況、そして地域なども大きく関係してきます。今回の場合、家族でサポートができていることや生活状況などから考えて、上記の理由での後見人は必要がない可能性が高いとお伝えしました。

時々お金をもらいにくる兄の子供

2つ目は、兄の子供の存在です。まさこさんに聞くと、普段は疎遠になっている兄の子供ですが、お金に困った際に入院先を訪れ、お金をもらいに来ることがあるとのことでした。もちろん、兄が納得をして渡している分には問題ありません。しかし、兄の判断能力がなくなった後、まさこさんがお金を渡してよいのかを判断することは難しくなります。そうなった場合には、財産を管理しているまさこさんがクレームを言われる可能性があります。これについてまさこさんは、兄のサポートはしたいがこうした争いなどはなるべく避けたいとの思いでした。

兄に勧めた5つの準備

前述の問題点を兄に伝えたところ、まさこさんにこれからも生活の援助をお願いしたいと思っていること、なるべく問題にならないようにしたいとのこと、そして自分が亡くなった際には、まさこさんに財産を遺したいという意思をお話してくれました。

その思いを受けて、今後もまさこさんが安心して生活の援助ができるように「財産管理委任契約」「任意後見契約」「尊厳死宣言書」を、亡くなった後のために「遺言書」「死後事務委任契約」を提案しました。

「財産管理委任契約」「任意後見契約」に関しては、前述で後見人は必要がない可能性が高いとしたのになぜ?と思うかもしれません。これについては、2つ目の問題点である兄の子供の存在です。

例えば、兄の判断能力がなくなった後に、子供がお金を貰いに来たとします。そこで財産管理をしているまさこさんに断られた場合「なぜ父親の財産を勝手に管理しているのか」と言われるケースがあります。こうした場合でも「兄の意思で財産管理を任せた」ということが明確になります。兄の子供としては納得のいかない部分はあるかもしれませんが、この契約書があるだけで、法律的にも大きな力を発揮します。

「尊厳死宣言書」とは?

「尊厳死宣言書」に関しては、回復の見込みのない末期状態になったとき、どこまでの延命治療等を希望するか、又はしないのかを明確にしておくものです。延命治療を「しないため」に作成するイメージの方が多いですが、今回は逆になります。もしかしたら、兄の子供は兄が早く亡くなることで財産を相続できると考えているかもしれません。その際、まさこさんに「なぜ無駄な延命治療をしているのか」と言ってくる可能性があります。このような状況でも対応ができるよう、なるべく具体的にどこまでの医療行為を望むのかを記載しておくことが必要となるのです。

「遺言書」と「死後事務委任契約」

「遺言書」に関しては、今のまま何もしないと兄の相続人は兄の子供1人です。まさこさんに財産を遺すことはできません。もし、まさこさんに財産を遺したいと思っていれば遺言書の作成は必須となります。

「死後事務委任契約」に関しては、葬儀、埋葬、納骨などにはある程度の費用が必要になります。こちらも兄が希望する葬儀等の詳細を記載することで、財産を相続できると考えている兄の子供から「葬儀にお金を使いすぎではないか」ということが言われた場合にも対応が可能になります。また、死後事務委任契約の中で、葬儀などに「連絡をしてほしい人」逆に「連絡をしてほしくない人」など、細かく決めておくことも可能になります。これは連絡をしなかった人に「なぜ連絡してくれなかったの」と言われたときに「兄の希望したこと」と言うことができるようにするためです。

そして、兄は、まさこさんに安心して自分の面倒を見てもらいたい、心の負担を減らしたいという思いから提案した全ての対策を行うことになりました。

もう一つの隠れた問題点

実は、今回のケースではもう1つの問題点をお伝えしました。それは、母が亡くなった時の相続手続です。母が亡くなった場合には、まさこさんと兄で遺産分割協議をする必要があります。しかし、兄の障害が悪化して判断能力がなくなっていた場合、兄との遺産分割協議ができません。このような状況を避けるため、母にも遺言書の作成をお勧めしました。

遺言書は「誰に」「何を」遺すのかを決めるために作成するケースが多いですが、それだけではなく、遺言書の内容を実現するための「執行者」を指定することができます。この執行者を指定することにより、相続人に代わって手続きを行い、遺言書の内容に従って財産を分配することが可能になるのです。母へ説明を行ったところ、遺言書を作成したいとのことで、兄の対策を併せて進めていくこととなりました。

相続の問題や解決方法は十人十色

相続の対策は、どうしても法律上の観点から「どうしたらよいのか」と考えてしまうことが多くあります。しかし、本当に大切なことは「どうしたら大切な人が笑顔で過ごしていけるのか」です。今回のケースのように、現在の生活状況からすると必要でないことであっても、みんなが安心して過ごしていくために必要なことは多くあります。この「真の問題点とは何か」を明確にするためには、相談者の声に耳を傾けることが必要です。また、相談者が話をしやすい環境を作る「場づくり」が重要になってきます。相続の問題や解決方法は十人十色です。家族関係、現在の状況、何に不安を感じ、何を解決したいと思っているかをしっかりと聴くことができる専門家へ相談することをお勧めします。

行政書士:藤井利江子

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