オリビア・ニュートン=ジョン「フィジカル」80年代アメリカで一番ヒットした曲です!  9月26日はオリビア・ニュートン=ジョンの誕生日

オリビア・ニュートン=ジョンといえば、やっぱり「フィジカル」

世界の歌姫と愛され続け、2022年8月8日に永眠したオリビア・ニュートン=ジョン。50年以上の赫々たるアーティスト活動を振り返るなかでいくつかのエポックが数えられる。Re:minder世代のど真ん中80年代というキーワードで振り返るならば、燦然と輝くオリビア・アイコンは「フィジカル」だろう。

1981年9月28日、オリビア33回目の誕生日(9月26日)直後に発売されたシングル「フィジカル」。

通算12枚目のオリジナルスタジオアルバム『虹色の扉(Physical)』アナログLPではB面のトップを飾った。1981年10月3日付けビルボードHOT100に66位で初登場、8週後の11月21日付で1位に到達。当時最高記録となる10週連続1位に輝き、1982年度の年間チャートで首位に輝いた(オリコン洋楽シングルチャートでは1982年1月18日付けから9週連続を記録)。

ビルボード公式発表の80年代シングルチャート集計でも堂々1位に刻まれるまさに80sアイコンヒット。ちなみに10週連続全米1位の大記録は、1992年にボーイズⅡメンが「エンド・オブ・ザ・ロード」で13週連続1位を獲得するまでの10年間破られることがなかったヒットチャートの金字塔のひとつ。こちらは同じ監督ながら歴代映画興収記録を『ジュラシック・パーク』(1993年)破られるまで保持していた『E.T.』(1982年)が “僕らの時代のNo.1ヒット映画” として刷り込まれているように、「フィジカル」もラジオのオンエア回数とレコード売上で算出される数字が証明する、文字通りフィジカルな “僕らの時代のスーパーヒット曲” だった。

センセーショナル過ぎたMV

記録以上に記憶に残るのは全盛MTVを背景にヘヴィローテーションされたミュージックビデオだった。

イメージチェンジという言葉以上に当時衝撃を与えたサラサラロングからのバッサリ一新ショートヘアのオリビア。破いたTシャツとバンダナで健康的に、時に挑発気味なカメラ目線も送りながら展開するセクシャルなエアロビクス。まだ同性愛が一般的認知される前の時代での鍛え抜かれた男性同士のサブプロット。

――「フィジカル」のミュージックビデオは時代のフロントで文字通り軽やかなステップを踏んだ。センセーショナルな話題は反感も買うのが常。1981年8月に開局したばかりのMTVには賛辞と抗議の声が殺到した。過激すぎるという解釈でユタ州では「フィジカル」は放送禁止になった。

元々はティナ・ターナーのために書かれた曲?

「フィジカル」は元々ティナ・ターナーのために書かれた曲だった。オリビアの同郷オーストラリア人ソングライターのスティーヴ・キプナーとイギリス人アーティストのテリー・シャディックによるもので、ティナが自分にはセクシー過ぎると判断したことでマネージャーを介し楽曲はオリビアの盟友プロデューサー、ジョン・ファーラーの預かりとなった。

信頼するジョンの勧めではあったが、オリビアンは躊躇した。『オリビア・ニュートン・ジョン自伝』(シンコー・ミュージック / 2022年刊)のなかで彼女は回想している――

「私はパニックに襲われた。歌詞が際どいと感じたから。いやらしすぎた? “もうおしゃべりはおしまい、あとは横になるだけ。わたしのなかの野生の部分をあなたが引き出しているのよ”」

―― 70年代から世界中を魅了し続けるクリアヴォイスに裏打ちされる隣にいる女の子という健全なイメージを失うことを恐れた瞬間だった。しかし彼女は持ち前の探究心で前に進んだ。

映像作品集「レッツ・ゲット・フィジカル」もベストセラーに

「身体を動かすエクササイズについての曲にするのよ! そうすれば別のところへ目を向けさせる… 二重の意味をもたせるのよ。ビデオならそれが出来るわ」

作り手の思惑とブラウン管から溢れ出す魅惑が交差しながら「フィジカル」は1981年〜1982年のショウビズ界最大のエポックとなって、リスナーはオリビアを80年代の新しい扉を開いたエポックメーカーとして迎え入れた。アルバム『虹色の扉』(名邦題!)全曲を含むビデオ集『レッツ・ゲット・フィジカル』も大ベストセラーとなり、作品をそのまま放送したテレビ番組は全米視聴率35%を突破した。

80年代の主流となるポップミュージックとオリジナル映像の融合を成功させたパイオニアとしても絶賛される。これが、マイケル・ジャクソンの「スリラー」の1年前、映画『フラッシュダンス』の2年前のことだった……。オリビアは先述の自伝で振り返る――

「私のキャリアを新たなレベルに押し上げてくれた。当時この曲のことで不安を覚えていたと思うと実におかしく感じる。今の時代にラジオで流れている曲と比べるとまるで子守歌のようだから」

ちなみに「フィジカル」で印象的なギターを弾いていたのはTOTOのスティーヴ・ルカサーだった。80年代最大のヒット曲「フィジカル」での演奏、マイケル・ジャクソン『スリラー』での客演、そしてグラミー6冠に輝く『TOTOⅣ〜聖なる剣』。1981年〜1982のルカサーの活躍だけでまた別のコラムが書けそうだが、それはまた別の機会に。

カタリベ: 安川達也

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