児島の映画監督 桑田浩一さん ~ 映画「石だん」のうねりは、次回作「ちゃりへん♪」へ

倉敷市児島に住む桑田浩一(くわた こういち)さんは現役の美容師ですが、休日の月曜日を利用し4作品の映画を制作してきました。

筆者は、3作目「石だん」のクラウドファンディング(以下 CF)で桑田さんを知り、初めてCFに参加。

その試写会で観た映画が素晴らしく、多くの人に紹介したいと思いました。

この記事では映画監督の桑田さんへのインタビューを中心に、これまでの映画制作への想いや次回作「ちゃりへん♪」について紹介します。

桑田さんのこれまでの経歴

桑田さんのこれまでの経歴を簡単に紹介します。

▼滑口の歩道橋より撮影 左手が桑田さんが開業したGallop Hair

とくに注目したいのは、2016年12月に映画制作を決意したこと。

このときの想いが、映画「かみいさん!」のホームページに残されています。

「かみいさん!」を通じ、働くことの意味・生きる事の大切さ・美容というすばらしさを伝えたい。また、児島の下津井も舞台となった映画「ひるね姫」に続き、100%児島発の映画を作り、倉敷市児島の新たなプライド(誇り)の復活を目指しています。

桑田さんは、「かみいさん!」の制作からはじまり、すでに3作の映画を上映。

2022年10月16日には、4作目の映画「ちゃりへん♪」の公開が予定されています。

桑田さんにインタビュー

美容師や映画監督へのきっかけ

──現役の美容師でありながら、なぜ映画を制作しようと思ったのですか?

桑田(敬称略)──

私の父は、稗田中央子ども会の会長であり、毎週地域のソフトボールの審判員もしてくれていました。

その父が、私が小学5年生のときに100万円でビデオカメラを購入

ソフトボールをしている私やチームメイトなどを撮影、映像として残してくれていました。

また私の母は、子ども会で「白虎隊の劇をしたときに、監督や衣装の制作などを担当。

その劇の撮影を父がしてくれたこともあります。

当時、それほど普及していなかったビデオカメラが身近にあったこと、両親で劇を制作するなどが身近であった経験もあり、抵抗なく映画制作をすることができたのかもしれません。

──美容師は、お母さんの影響ですか?

桑田──

私は当時から父・母ともに尊敬していたのですが、父が建設業・母は美容師でした。

父は私に建設業を継いでほしかったみたいです。

しかし覚えているのが、近所にある稗田郵便局の駐車場や床のタイルを施工した経験。

特に郵便局のタイルを全てはったのですが、あまりにも暑い炎天下、体力的にもかなりきつい。

父は残念だったと思いますが、私が中学生のときにはすでに建設業を継ぐことはないと思っていました。

一方で、美容の道に進もうと決意したのも中学生のとき。母に伝えると喜んでくれたのを覚えています。

私が子どものころには、結婚式前の花嫁さんがお嫁に行くときに家で髪を結い支度していました。

そして縁側から家を離れ、近所に嫁菓子を配るという風習があったんです。

子どものころは、そこでもらえるお菓子目当てだったりするのですが、母についていき花嫁姿の支度ができるたびに、「本当にきれいだなあ」と感じていました。

その経験もあり美容の道へ。母の美容師を継ぎたいと思うようになっていましたと思います。

画像提供:桑田さん(CFより)

──美容師への想いから「かみいさん!」が初作品になるんですね?

桑田──

いえ、実は「かみいさん!」の前に、友達を撮影していたことがあるんです。

私が高校生のときに、父がハンディのビデオカメラを当時30万円で買ってくれました。

折しも、原田知世(はらだ ともよ)さん主演の映画「私をスキーに連れてって(1987年11月21日公開)」が流行っていたとき。

スキーを滑りながら友達や映画のワンシーンを真似して撮影していました。

──子どもの頃から、撮影することが身近ですね?

桑田──

ビデオカメラで撮影することもしていましたが、家族で映画にも興味があったのか、多くの映画に家族でエキストラに参加もしました。

なかでも、王子ヶ岳山頂で撮影した「釣りバカ日誌18(2007年9月8日公開)」が忘れられません。

家族全員でいき、エキストラで参加。檀れいさんの美しさに見惚れつつも、待ち時間なども併せて数時間もかかったわりに、数秒しか映っていない。

本来であれば、がっかりの気持ちが大きいのかもしれません。

しかし多くのスタッフやエキストラが、数秒のために協力、時間をかけ映画を制作することに感動していました。

この経験が、人生のなかでも大きかったのではないでしょうか。

その後、東京や大阪にも行き、多くの作品に出演。

緊張感ただよう撮影現場が好きで、このエキストラとしての経験があったため、映画撮影することに抵抗がなかったかもしれません。

最後のエキストラは、元V6の岡田准一(おかだ じゅんいち)さん主演の「関ケ原」。役所広司(やくしょ こうじ)さんが演じる徳川家康の足軽として参加しました。

それから他の映画に出演することなく、映画を制作しています。

これまでの映画制作について

──そもそも映画を制作すること自体、本当に難しそうですね?

桑田──

映画制作には少なくとも、監督・脚本・撮影・編集・照明・音声・助監督などが必要です。

現在の桑田組は、主に東京から5名に参加してもらっています。

多くの調整などもあり、特に映画撮影前の出演者の皆さんのスケジュール管理がもっとも重要です。

ロケ地の手配、ロケバス・食事の確保、駐車場や宿泊施設、トイレの手配などもあります。

撮影時には、たとえば人工的な音(草刈りや工場など)が入る場合もあります。

そのときには、直接訪問し「申し訳ないのですが、少し止めてもらえないでしょうか?」などのお願いも必要です。

前作までと大きく異なったのは、新型コロナウイルス感染症による影響

東京からの出演者もいるため、皆さんの日程を調整しながら、効率よく可能な限り短い時間で、撮影しなければなりません。

その間に、クラスターが発生すれば、映画の撮影自体が難しくなります。アルコール消毒はもちろん、撮影期間中は禁酒。宿泊所の部屋を可能な限り分けるなど細心の注意を払って撮影しました。

コロナ対策は、これまでにない大変な経験でした。

──なるほど。では1作目の「かみいさん!(2018年10月21日公開)」の撮影は大変だったんでしょうね?

桑田──

本格的な映画監督としての1作目がかみいさん!」です。

この作品はCFもしていなかったため、そもそも予算もなくノウハウもないなかでの撮影。

すべてが初めてで、さまざまなアクシデントがあり、本当に大変でした。

実は、制作発表のときに脚本ができていない、クランクインが1ヶ月遅れたほど。

しかし私の仕事である美容師について、「中卒でも美容師になれる」「ロボットには絶対できない仕事があるんだ!」との想いから映画を制作。

この映画制作を通じ東京で活躍していた大滝明利(おおたき あきとし)さんや星光子(ほし みつこ)さんとの関係も今につながっています。

大滝さんは、ウルトラマンティガ(1996年9月~1997年8月放映)のムナカタ・セイイチ副隊長役を、星光子さんは、ウルトラマンA(エース)(1972年4月~1973年3月放映)の主役の1人でもある南夕子隊員役を始めさまざまなドラマ・番組などに出演しています。

映画「かみいさん!」ポスター

──続いて2作目の「ももの姫伝説Shimotsui(2020年2月24日公開)」です。

桑田──

ももの姫伝説Shimotsui」では、私自身が一度は脚本・撮影・編集まですべてをやってみたほうがよいと思い、特撮の短編映画をスマートフォンで撮影

結果、試写会の直前まで編集していていたぐらい大変な経験でした。

1・2作目ともに体験したのは、映画制作時は寝る暇もなくひたすら大変ということです。

しかし、上映会での観客の反応やアンケートなどを読み本当に感動します。

その感動が忘れられなくて、次も撮影しよう!」と思え頑張っています。

これらの経験を通じ、私は人を巻き込んでいくようなプロデューサーとしての映画監督が向いているのではないかと感じ、3作目の「石だん」につながっていきました。

映画「ももの姫伝説Shimotsui」ポスター

映画「石だん(2021年4月18日公開)」について

──多くの経験や人との出会いがあり、3作目「石だん」につながるんですね!どのような想いで、児島八十八ヶ所霊場を舞台とした映画を撮りたいと考えていたのでしょうか?

桑田──

もともと、映画を撮りたいと考えた一番の目的は児島地域の活性化です。

過去に児島がブームになった時期があり、それは1988年の瀬戸大橋博のときだと思っています。

多くのパビリオンも出展され、児島地域でもっとも観光客が訪問したのではないでしょうか。

それ以降、児島が盛り上がった記憶がありません。

また歴史が好きで、古書などから児島八十八ヶ所霊場を知りました。

瑜伽山・金毘羅両参りが盛り上がったときが、児島に人が押し寄せていたと思います。

映画撮影のために、これまで児島霊場を10回ぐらいロケーション・ハンティングしていますが、小さい遍路宿が多く残っていたことに驚きがありました。

稗田大師堂では、会陽(えよう:西大寺で有名なはだか祭り)があり、たくさんの餅を炊き接待もしていたらしいんです。

▼現在の稗田大師堂

過去にも児島が盛り上がった時期があり、圓明僧正(えんみょうそうじょう)が苦労して開場した児島八十八ヶ所霊場なのに、200年後には誰も知られていない状況が残念

今では、私が「石だん」や「ちゃりへん♪」を撮影することになったことも、指名されたのではないか?とも思うようになってきました。

岡山市や水島は空襲にあい焼野原となりましたが、幸いにも児島は戦火を逃れ、多くの寺が残っています。

これらの石だんや寺社なども後世に残していきたいです。

児島が好き児島に住んでいる人しかわからないと思っています。

──ポスターやフライヤーで、まず目に入る「石だん」の書が素晴らしいですよね?

桑田──

いきなりお寺や神社に訪問して、ロケ地などとして協力をお願いしてもなかなか難しいですよね。

そのようななかで、題字を岡山県佛教会の会長である般若院の本山瑞峰(もとやま ずいほう)師にお願いできたことが大きかったのです。

「石だん」ポスターの題字が本山会長に書いていただけたことで信頼してもらえるようになり、多くのお寺や神社からも「協力をしてもいい」と、変わってきたように感じました。

本山瑞峰師はこの題字を書くときのイメージを次のようにお話しされていました。

お寺の石だんで子どもたちが楽しそうに遊んでいる。そこは暖かい春の陽だまりとなっていて、ところどころにタンポポが咲いている。

桑田さんの目指す作品の雰囲気から、本来の石は硬く冷たいものですが、この題字では暖かく包んでくれる綿のような「石」を表現。

」は、階段に人生を重ねました(いわゆる山あり谷ありですね)。様々な人生経験を通して大きく成長して欲しいと願って書きました。

▼「第五十五回岡山県書道連盟展」で展示された「石だん」の書。

本山瑞峰師より、写真掲載承諾済

──次に、ポスターやフライヤーのロケ地も素晴らしいです。

桑田──

上映会などを開催すると一番聞かれるのが、ポスターやフライヤーのロケ地です。

プロの女性カメラマンにお願いし、私の愛車(ジムニー)を石だんの下ぎりぎりまで寄せ、屋根の上から撮影しています。

こちらの札所は、尾原にある五十番札所の慈眼院の門前にある石だんです。

児島八十八ヶ所霊場でもこれほどの石だんは珍しく、画角にこだわりました。

こだわって撮影した結果、素敵な写真が撮影できました。

▼石だんポスターの撮影風景

画像提供:桑田さん(Facebookより)

──最後に一言いただけますか?

桑田──

以前、児島の過去の映像がないか調べてみましたが、なかなか撮影されておらず残っていないことを知りました。

私が好きな故郷児島について、映像として残したい。

100年後の児島のかたにも見てほしい、と思い映画撮影を開始。

現在の桑田組の関係者のなかでも、「石だん」の撮影監督である渡邊豊(わたなべ ゆたか)さんと強固な関係が築けたことが今につながっていると思っています。

また、ハンブルク日本映画祭で上映された81作品中でも、観客賞および審査員賞の5本に選ばれたことや、岡山市や倉敷市等の学校に講師として呼ばれ「夢について」語ってほしいと頼まれることが多くなったこと、公立中学校の授業で映画を上映するなど、「石だん」公開後は想像以上の大きな反響やうねりも感じています。

「石だん」の上映後に、児島八十八ヶ所霊場を巡る人が5倍に増えたとも聞きました。

そもそも児島八十八ヶ所霊場のお遍路とは、白い衣装を着て巡る理由がいつ死んでもよいようにとの死装束

遍路の途中で亡くなってしまったときに、持っていた杖が墓標になるといった死を覚悟しつつ巡るといった意味もあります。

実際、四国八十八ヶ所霊場にたどり着く前に、この児島の地でも亡くなったかたも多いと聞いています。

そのような背景もあり、圓明僧正が強い願いをもって、児島八十八ヶ所霊場を開場されました。

私の映画を通じて、この円明和尚の強い願いのある児島八十八ヶ所霊場を知ってもらい、海外のかたも含めて多くのかたがこの児島の地を訪れ、巡ってくれればと思います。

次回作の「ちゃりへん♪」も、児島八十八ヶ所霊場が舞台です。

すでに映画も完成。

私の映画監督としての集大成とも思っているため、一人でも多くのかたに映画をみてもらい、100年後の子孫にこの伝統を残しておきたいと思っています。

次回作「ちゃりへん♪」を紹介

ちゃりへん♪」のあらすじを紹介します。

映画PRの動画を見るたびに、映画の上映が楽しみで仕方がありません。

「ちゃりへん♪」のあらすじ

来宮隼人(12歳)は、児島八十八ヶ所霊場「吉祥寺」の和尚の息子。いつも勉強勉強と口うるさい母の美里、お菓子大好きな「ませた妹」美樹、そして愛犬チョコリーナと暮らしている。

勉強よりも友達と漫画を描くのが趣味の新中学1年生。
今気になっていることは、病気になってしまった幼馴染みのアリアの事。

そのアリアが病気の治療で児島を離れてしまうらしい…。
早くアリアの病気が治って欲しい、せめて元気づけたい、
そのために自分に何かできないかと悩む隼人。
そこに、以前児島お遍路して願いが叶ったという老人から「願をかけてみたら」とアドバイスを貰う。
アリアの病気が良くなればと、少しの奇跡を信じ春休みに自転車お遍路(ちゃりへん)をする事を決意。
それを応援する家族と児島の人々。

視聴率目当てに密着する地元局のタレント。少年のひたむきな願いが春の児島を走る。

また、映画「ちゃりへん♪」の予告編と特報の動画が公開されているので紹介します。

映画「ちゃりへん♪」予告編

映画「ちゃりへん♪」特報

今後の上映として、2022年11月20日(日)福山駅前シネマモード 13時受付開始 13時30分上映12月18日(日)には玉野産業振興ビルで予定されています。

もし児島の上映会に行けない人は、福山市や玉野市での上映を予定してみてはいかがでしょうか。

おわりに

インタビュー中、一言ひと言が誠実で穏やかな印象をうける桑田さんですが、一貫して児島が好きだ!という熱く強い想いが伝わります。

次回作「ちゃりへん♪」は、映画監督としても集大成

お話を聞いていても自信作であることを肌で感じることができ、公開が楽しみで仕方がありません。

2022年10月16日の児島での上映会には筆者も予約済み。

今後も可能な限り桑田さんを追い続け紹介したいと思います。

© 一般社団法人はれとこ