「アメリカの世論は、広島・長崎への原爆投下が間違っていたと考える方向に動いている」「核兵器を二度と使わない」という最低限の意思確認さえできなかったNPT再検討会議

 核軍縮と核不拡散の道筋を話し合う核拡散防止条約(NPT)再検討会議が8月、またもや決裂した。約4週間にわたり米ニューヨークの国連本部で開かれた末に破談となったのは、ロシアが最終文書採択に反対したのが理由だ。最終文書は、ウクライナ南部の原発に言及しており、ウクライナに侵攻しているロシアには承服できない内容だった。

米海軍調査団の報告書にある現在の原爆ドーム周辺の写真(国家安全保障公文書館提供)

 米国、英国、フランス、ロシア、中国の核保有五大国は「核兵器を二度と使わない」という最低限の意思確認さえできず、国際社会には深い失望感が広がった。ロシアによる核使用は現実味を帯び、警戒感は拭えない。歴史上唯一、核を実戦で使用した米国で、市民は広島、長崎への原爆投下をどう受け止めているのか。専門家に話を聞いた。(共同通信=山口弦二)

 ▽「日本の人々を不必要に犠牲にした」

 原爆投下の経緯を長年研究している米国の歴史家、ガー・アルペロビッツ氏(86)は「(原爆投下は)間違った決定だったと考える市民がゆっくりと、少しずつ増えている」と説明する。

 「政府も軍も情報機関も、第2次大戦の早期終結に原爆は必要ないと分かっていた」。今年5月、小鳥がさえずる首都ワシントンの自宅の裏庭で取材に応じたアルペロビッツ氏は「必要ないのに多数の市民を殺害した。それは戦争犯罪だ。政治的理由のための殺人だ」と断言した。

ガー・アルペロビッツ氏

 一方で「米国の政府が原爆投下を戦争犯罪だったと認める日は来るだろうか」と問うと「それを政治家が認めるのは難しい」と語る。

 1945年8月、広島への原爆投下が報じられたとき、9歳のアルペロビッツ少年は米中西部ウィスコンシン州の自宅のベッドルームにいた。天井からは米軍機とドイツ軍機の模型がつり下がっていた。近所の住民は通りに出て戦争の終わりを喜んだ。もう誰も死なずに済む。アルペロビッツ少年は飛行機模型を燃やして祝福した。

 高校では、アインシュタインのような原子物理学者になるのが夢になった。原爆は「原子力の魔法」として、心の中で大きな存在になった。しかし、それから数年で考えは大きく変わる。

 「トルーマン大統領は、ソ連が第2次大戦に参戦すれば日本は降伏するから、軍事的に原爆は必要ないことを知っていた」。そう論じ始めたのは1960年前後だった。機密解除されたスティムソン元陸軍長官の日記を閲覧し「政権内部の議論を目にすることができた」ことが契機で、1965年7月に著作「原子力外交 広島とポツダム」を出版。「原爆投下の主な目的は戦後のソ連に対する脅しと抑止だった」と主張した。「ソ連を抑えて世界平和を実現するという政治的利益のため、日本の人々を不必要に犠牲にした」

 ▽歴史教科書に「多様な見解」が登場

 第2次大戦後の米国では「原爆投下は戦争終結を早め、米兵の犠牲を抑えるため、軍事的に不可欠だった」という正当化論が主流となってきた。アルペロビッツ氏の主張は極めて少数派で、著書は「多くの人に批判された」。

 出版直後のニューヨーク・タイムズ紙の書評欄では、トルーマン政権当時の閣僚で、上下両院の合同原子力エネルギー委員会議長も務めたアンダーソン上院議員が手厳しく論評した。「事実に沿っていない」「ショッキングで不正確な判断」「客観性を欠く」。アルペロビッツ氏は「タイムズ紙の編集者は有力な原爆支持者を評者に選んだ」と苦笑する。

 2015年4月、NPT再検討会議の開幕を前に核兵器廃絶を訴えパレードする被爆者ら=米ニューヨーク

 ただ「国民の世論は時を経てゆっくりと、原爆投下を疑問視する方に動いている」と語る。原爆投下直後の1945年8月に米国で実施された世論調査では、原爆使用を「支持する」との回答が85%に達し、「支持しない」の10%を圧倒した。だが2020年8月には「原爆投下は正しかった」が39%で「誤りだった」の33%と拮抗した世論調査もあった。

 「戦中世代の男性が亡くなり、人々は別の角度から考え、自分の息子や娘が戦争で亡くなることを考えられるようになってきた。今なお原爆投下を支持しているのは(主に)白人男性だ」 米国の高校の歴史教科書「アメリカン・ページェント」には1987年版から、第2次大戦を扱う項目の最後に「多様な見解」という欄が設けられ、アルペロビッツ氏の説にも言及した。原爆正当化一辺倒に陥らないようにする姿勢だ。

 だが、結論は変わらない。2020年の最新版でも「ソ連を威嚇することは日本に対する原爆使用の付加価値だったかもしれないが、ソ連の振る舞いに影響を及ぼすことは、この重大な決定の主な理由ではなかった」と結論づけている。

 ▽「流れは間違いなく原爆に批判的な方向に進んでいる」

 「教科書は非常に慎重だから」と意に介さないアルペロビッツ氏は、楽観的な見方だ。「私の本を読んだ高校生や大学生から今でもメールが来るし、最近はどんどん肯定的になっている。非常に長い時間がかかるが、流れは間違いなく原爆に批判的な方向に進んでいる」 大きな流れでは、原爆投下は間違っていたと考える方向にゆっくりと動いている米世論。ただ、今この瞬間も、ロシアが核兵器を使用する可能性は否定できず、NPT再検討会議は核保有国間の信頼醸成という役割さえ果たせなかった。

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議で演説する岸田文雄首相=2022年8月1日、米ニューヨーク

 「米国の世論が原爆投下に否定的な方向に動いていることは核軍縮のために間違いなく有益で重要だ」。だが、アルペロビッツ氏は、現在の国際情勢は「大規模な核兵器削減に向けた真摯な議論からは程遠い」と指摘する。核軍縮に向けた市民の関心をさらに高める必要があると強調した。

核拡散防止条約(NPT)再検討会議が決裂し、疲れた表情を見せる議場の外交官ら=8月26日、ニューヨーク

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