Vチューバー“日雇礼子お姉さん”の中の人に聞く 大阪・あいりんは「どん底から再起させてくれた街」

Vチューバーの日雇礼子お姉さん(右)と労働者に仕事をあっせんする手配師の夜問真肖(やとい・ましょう)

 日雇い労働者の街として知られる、大阪市西成区の「あいりん地区」(通称・釜ケ崎)。ユーチューブでこの街の飲食店や、ドヤと呼ばれる簡易宿泊所などを紹介するVチューバー“日雇礼子(ひやとい・れいこ)お姉さん”の「ドヤ街暮らしチャンネル」がゆるりとした魅力で人気を集めている。チャンネル登録者数は7万人を超えた。
 Vチューバーとは、ユーチューブの動画内で案内役を務める、CGなどで作ったキャラクターのこと。ご覧の通り、礼子お姉さんもアニメ風の美女で、実在はしない。
 ロングヘアに白いタンクトップ姿で、寝起きするのは3畳ほどのドヤ。日雇い労働で生計を立て、仕事終わりにはカップ酒をたしなむ―。そんなお姉さんの生みの親で、動画制作を担う“中の人”は、元日雇い労働者の男性(37)=大阪市西成区=だ。なぜこんなことをしているのか興味を持ち、男性に話を聞いた。(共同通信社=石原知佳)

 ▽24歳であいりんへ
 2009年、男性は24歳でこの街へやってきた。約1年前まで京都府長岡京市で自動車工場の期間工として働いていたが退職。転職先が見つからないまま、失業手当が尽き、借りていた部屋に住み続けられなくなった。大阪市内のネットカフェを転々としたが、収入のないままにそんな生活を長く続けられるはずもない。
 両親は男性が高校生のころに離婚しており、当時父とは疎遠だった。母とは日頃から携帯電話でやりとりはしていたが、仕事が決まらない自分を情けなく感じ、現状は打ち明けられなかった。
 やがて、その携帯電話も使用料が支払えなくなり、母との唯一の連絡手段を失った。

ドヤが立ち並ぶ街中を歩く

 わらにもすがるような思いで、インターネットで日雇いの仕事があると見かけたあいりんへ行くことを決めた。「怖いところなんじゃないか」。不安はあったが、所持金はすでにわずか500円。猶予はなかった。
 たどり着いた街には、生ゴミが散乱し、野良犬がうろついていた。お世辞にもきれいとは言えない光景。路上で寝ている人もいる。滞在初日はドヤに泊まる資金もなく、自らも路上に寝転んで夜を明かした。
 翌日、職業安定所など労働者支援施設が入る「あいりん総合センター」(老朽化で建て替えが決まり、2019年4月に閉鎖。現在は仮移転先で業務を継続中)で仕事を探した。
 初めての日雇い仕事が終わったその日の終わり。もらった給料で、新しい服を買い、ドヤの一室に落ちついた。ボロボロで異臭を放っていた服を脱ぎ、ゴミ箱に捨てた時、涙がこぼれた。「よし、ここから復活だ」。不思議と力が湧いてきたことを覚えている。

かつて仕事を探したあいりん総合センター。建て替えが決まり現在は閉鎖中

 ▽ドヤ街暮らし
 日雇い労働者たちの朝は早い。センターでの仕事探しのピークは早朝5時ごろ。遅くなると、めぼしい仕事はなくなってしまうといい、男性も仕事探しの日は、眠い目をこすりながら、薄暗い中をセンターへ向かった。
 無事その日の仕事が決まると、楽しみだったのは朝食。派遣先へ出発するまでのわずかな時間に、センター2階の食堂で、絶品だった豚汁と卵焼きなどを味わった。「肉体労働が多いので、おなかいっぱい食べて、さあ、稼ぐぞって。景気づけでしたね」と振り返る。
 あいりんで暮らしはじめてしばらくすると、お気に入りのドヤも見つけた。ドヤは古い建物が多く、どこも一部屋3~5畳程度。中には1泊500円で泊まれるところもある。男性が定宿にしたのは、センター近くの1泊1200円のドヤ。エアコンや冷蔵庫も付いていた。1泊1400円の別のドヤは少し高かったが、大浴場付き。ここも気に入っていた。
 普段の食事は近くの激安スーパーで、半額になった総菜を買って済ませることが多かった。カツ丼や天丼が350円で食べられる定食屋にもよく行った。休みの日は、あんみつがおいしい甘味どころへ出かけ、礼子お姉さんのように時折カップ酒を買って帰った。

お気に入りの甘味どころ

 実際に暮らしてみると、この街には「働いて、メシ食って、寝て、普通に生活している人がたくさんいた」。仕事先でいっしょになる人たちには、「なんとか生活を立て直そうと、もがいている人も多いと感じた」
 仕事にも慣れ、お金もたまり、日払いだったドヤの料金を月払いできるようになった。そうして一時は暮らしも落ち着いたが、30歳になった頃、仕事を見つけられない日が続き、体調を崩した。働けない中でお金が尽き、どうしようもなくなり、交番を訪ねた。母が捜索願を出し、心配してくれていたことを知った。
 その後、男性は大阪府内の母親宅に身を寄せた。しばらく休養し、今はウーバーイーツなどのアルバイトをしながら、大阪市内で1人で暮らしている。

 ▽礼子お姉さん誕生
 「世紀末の街」「歩いていたら襲われる」。あいりんを離れた後、インターネットで街の名を検索すると、偏見に満ちた言葉たちが目に入ってきた。かつての自分も、根拠のない不安を感じていたことを思い出した。でもここは「僕をどん底から再起させてくれた街」。今は、前向きに暮らす人たちがたくさんいることも知っている。
 現地を知らない人たちに、少しでも街の雰囲気を味わってもらうにはどうしたらいいか。自分にも何かできないかと考えた時、ひらめいたのが“礼子お姉さん”による街案内だった。

ユーチューブに初登場時の日雇礼子お姉さん

 「初めまして。バーチャルその日暮らしお姉さんの日雇礼子です。私の仕事は大阪のディープな場所やライトな場所をあなたたちに紹介することなの」
 2018年3月、礼子お姉さんが登場する動画を初めて公開した。お姉さんは笑顔のかわいい、親しみやすいキャラクターに仕上げた。表情やしぐさは、男性がVRゴーグルを装着し、コントローラーを握って実際に動きを付け、合成している。せりふは機械音声だそうだ。
 「礼子お姉さんは、自分の分身というより、先輩ですね」。仕事が見つからず苦しかった時に声をかけてくれた日雇いの先輩、いっしょに働いた優しかったあの人や、おもしろかったあの人も。あいりんで出会った人たちの面影を重ね、お姉さんのキャラクターをつくっていった。
 現在までに投稿した動画は計約80本。当時利用していた飲食店やドヤはもちろん、あいりんを離れてからも街を訪れて情報収集し、新規開拓したドヤやセンター閉鎖後の様子も紹介した。次第にファンが増え、雑誌や新聞にも取り上げられた。

 

解体工事中のドヤ。男性が宿泊したこともあった

▽変わるあいりん
 あいりんは今、変化の中にある。大阪市西成区によると、1960年に約3万人だった地区の人口は、2020年10月時点で約2万人に減少し、高齢化も進む。日雇い労働者数や、日雇い労働のあっせん数もピークだった1990年ごろと比べ、大幅に減っているという。
 一方、海外などからの観光客が増え、バックパッカーの滞在先として人気に。路上のゴミは少なくなり、街はきれいになった。駅周辺の再開発も進み、近隣では星野リゾート系列の大規模ホテル「OMO7(おもせぶん)大阪 by 星野リゾート」も開業。話題を呼んでいる。
 ドヤも減少傾向という。福祉アパートや観光客向けの宿泊施設に看板をかけ替えたり、取り壊されたりするところも増えてきた。男性が実際に泊まったことのあるドヤもつい先日解体された。街を歩いてドヤや飲食店の看板を見れば、当時より値上げした料金の案内も目につく。

近隣で開業した「OMO7大阪 by 星野リゾート」

 「街がきれいになり、いろんな人が行き交うようになったのはとても良いこと」と男性は喜ぶ。一方、どんどん姿を消すドヤや、各種料金の値上げにはさみしさと不安も感じている。「あいりんには、崖っぷちにいる人間を受け入れてくれる場所であってほしい。この街がそうでなかったら、僕もどうなっていたか分からない」
 礼子お姉さんのユーチューブチャンネルはこれからも続けていくつもりだ。「変わっていく部分も含め、あいりんのありのままの日常を伝えていきたい」。お姉さんの優しいまなざしを通して、今日も街を眺める。

近隣で開業したホテル「OMO7大阪 by 星野リゾート」でプリンを食す男性。礼子お姉さんも訪れる予定

  「あいりん地区」とは
 JR新今宮駅南側一帯の約0・6平方キロメートルを指し、安価で泊まれる簡易宿泊所が密集する。
 高度経済成長期以降の建設現場や大阪万博開催に尽力した労働者たちの拠点として機能した一方、かつては労働者の暴動が起きたり、人の出入りが激しかったことから、事件の容疑者が潜伏先に選んだりする例もあった。

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