荻野目洋子「少年の最後の夏」青春の苦い思い出こそグローイング・アップ 夏の終わりに聴きたいとっておきの1曲

夏の終わりに感じる切なさの正体。荻野目洋子「少年の最後の夏」

10代の夏に経験した良いことも悪いことも、それぞれの出来事は大人になるためのイニシエーション(通過儀礼)である。もちろん大人になった今だからこそこんなことが言えるのだけど。きっと、憧れていた大人の世界に近づくことと、もう子どもではいられないという不安定な心の揺らぎが、歳を重ね記憶として昇華されることで懐かしさと一抹の寂しさを綯い交ぜにするのだろう。

あの頃の純粋無垢な自分に戻りたい―― そんな叶わぬ郷愁こそが、夏の終わりに感じる切なさの正体だと思う。そして、夏が終わる… とは、大人になって振り返ってみたときに感じる心の成長痛なんだ。

さて今回は、本日、2022年9月28日に最新マスタリング、世界初のSACDハイブリッド化を施しタワーレード限定でリイシューされた荻野目洋子の7枚目になるオリジナルアルバム『246コネクション』に収録された「少年の最後の夏」を取り上げてみたいと思う。ちなみにこのアルバムのオリジナルは1987年7月16日にリリースされている。

これは、劇場版『バリバリ伝説』のエンディングテーマとして以前に僕がコラム『しげの秀一の傑作漫画「バリバリ伝説」と 荻野目洋子「少年の最後の夏」』で取りあげた曲だけれど、さらに「大人への成長」の視点を加えてみたい。

荻野目洋子『246コネクション』プロデューサーは売野雅勇

荻野目洋子のアルバム『246コネクション』は、売野雅勇をプロデューサーに迎え、国道246号沿線と避暑地を舞台にしたコンセプトアルバムである。収録されている「少年の最後の夏」は、劇場版『バリバリ伝説』のエンディング曲として採用されたものだ。その歌詞は、ひとりのバイク少年と、それを見守っていた少女の淡い気持ちがベースになっている。

 ねえ何を隠したかったの
 街角に背を向けて
 あゝ愛だけで救えないものが
 哀しいけどあるね

同級生だろうか… 事故によりこの世から去ってしまったと思われる歌詞の内容は、その出来事を通じて少女が遠巻きに回想する彼への淡い気持ちと、やるせなさという行き場のない心の機微を描いている。

心苦しい内容の歌詞だけれど、筒美京平のメロディはマイナー調に偏ることなく、むしろ微かな希望を感じさせるようなリズムと旋律を用意していた。

劇場版『バリバリ伝説』も、勝利を掴み取った絶頂から一気に突き落とされるような哀しみを誘う結末なだけに、映画のエンディングで流れたこの曲によってスクリーンに見入っていた観客は随分と救われただろう。荻野目洋子の伸びやかな声が、切なさだけではない勇気のような気持ちを感じさせてくれたのだから。

さて、『バリバリ伝説』の細かい内容は割愛するけれど、この「少年の最後の夏」の歌詞描写は、物語に登場する主人公のライバル聖秀吉(ヒデヨシ)と、その妹である知世の関係性に似ているな… と思ってしまった。

荻野目洋子の声に惚れた売野雅勇と筒美京平

ヒデヨシの本当の気持ちをわかってあげられなかった妹の知世…。両親を交通事故で亡くしたというのに、兄のヒデヨシはバイクを止められない。そしてその大切な兄も事故で亡くしてしまう。哀しさのなかに内包する「どうしてわかってあげられなかったのか」というもどかしさが、歌詞の内容にカブる―― このあたりの微妙なニュアンスを、荻野目洋子の歌声はしっかりと表現している。

荻野目洋子は “元気っ子” のイメージが強い。大ヒット曲「ダンシングヒーロー」のアクティブな振り付けや眩しいくらいの笑顔など、その明るさは誰もが認めるところだろう。けれどその声質に関しては、ただ明るいだけではなく、心の柔らかい部分にそっと触れるような独特のトーンを持っているのだ。伸びやかなハイトーンから低く落ち着く音程の流れに身を任せると、知らずに切なさを感じてしまうのはそのせいである。

「少年の最後の夏」を手掛けた筒美京平は売野雅勇の歌詞を受けて、荻野目洋子の声が持つ “哀愁の成分” が強くなり過ぎないようにしたのだろう。それは、このアルバム『246コネクション』全体のイメージを考えてのことじゃないかな?

『週刊女性PRIME』2021年のインタビュー記事で売野雅勇が語っていたけれど、そもそもこのアルバムは筒美京平から声が掛かったのが始まりだという。

「実は、荻野目作品は京平先生から書きたいって言われたんだ。何作か(彼女への作詞提供が)続いていたころ、先生から “荻野目さんに曲を書きたいから、レコード会社に頼んでくれない?” って言われて。だから、’87年発売のアルバム『246コネクション』は先生の希望から生まれたんだ」

―― そう、売野雅勇と同じく筒美京平もまた荻野目洋子の声に惚れ込んだのだ。

「少年の最後の夏」の歌詞で思い出される青春の記憶

 寂しさ分かってあげたら
 友だちでいられたの…?
 あゝ座れない椅子がひとつだけ
 青春にはあるね

夏の終わりといえば、一番印象に残っているのは、僕が高校生活のほぼ全てを費やしたバンド活動。友だち… いや、それ以上に認め合った “仲間” と文化祭に向けて練習を重ねた日々。たとえそれが9月半ば過ぎに開催される文化祭であっても、それは僕にとって間違いなく “夏” の祭典だった。

 ねえ誰に話したかったの
 眼を閉じたその時に
 あゝ座れない椅子がひとつだけ
 青春にはあるね

そしてこれも以前のコラム『山下達郎「いつか(SOMEDAY)」の演奏に挑んだド素人軍団の試み!』で触れているけれど、高校三年生のときに、僕はリーダーとして山下達郎のコピーバンド率いて文化祭のステージを目指していた。ただ、直前にメンバーの病気入院が決まり、僕の判断で当日の演奏を断念してしまった。

病気になった子はコーラスの要だったし、彼女がいなければ散々なステージなのは目に見えていた。けれど、僕の妥協できないエゴイズムによって他のメンバーの気持ちを押さえこみ、彼ら、彼女らの大切な思い出になる一日を奪ってしまったんだ。完璧じゃなくても、散々なステージになったとしても、あのとき演奏するべきだったんじゃないかと…。それはいまでも悔やまれて仕方ない。記憶の湖に沈めたはずの澱のような思い出だけど、たまに湖面に現れては小さな波紋を残してまた消えてゆく。

大人への成長… 痛みを伴った経験に比例する青春の証

「少年の最後の夏」の歌詞で繰り返されるフレーズ――

 あゝ座れなかった椅子がひとつだけ
 青春にはあるね

この部分の歌詞が、あのとき僕の取った一連の行動や判断に繋がっているように思えてならない。この棘は今でも心の大事なところに刺さったままで、この歳になってもまだ自らの戒めとして大事な場面で機能することがある。

「本当にギリギリまで手を尽くしたのか?」という自問自答にいつまでも苦しめられる。答えなどない。つまり悔やんでも悔やみきれないのだ。苦い経験だけれど、この高校三年生の文化祭の出来事がなければ今の僕はない。

大人への成長とは人それぞれだけど、みんなの心の奥底にしまっている真夏の大冒険の記憶とは紛れもなく青春の証そのもの。そこに感じる郷愁の度合いは、自身の痛みを伴った経験に比例すると思うんだ。

カタリベ: ミチュルル©︎たかはしみさお

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