東ローマ帝国の日食観測記録から4~7世紀の自転速度の変化を推測

【▲ 図1: 1962年から2022年までの地球の1日の長さ、つまり自転速度の変化が緑色の曲線で表されている。 (Image Credit: II VII XII / WikiMedia Commons (Public Domain) ) 】

地球の “現在” の自転周期は約24時間ですが、自転周期を決める自転速度は時代を経るごとに少しずつ遅くなっていることが分かっています。しかもその速度低下は一定ではなく、短期的には加速することすらあります。自転速度を低下させている主な原因は潮汐力ですが、その他にもマントルや外核の対流、内核の回転速度の変化、巨大地震や氷河の移動による質量分布の変化など様々な要因が絡んでおり、影響の度合いが変化するために、速度低下も一定にはならないのです。

【▲ 図2: 2017年8月21日にアメリカ合衆国で観測された皆既日食。皆既日食は古今東西様々な人々が記録してきたと同時に、その観測範囲がとても絞られる天文現象である。 (Image Credit: NASA/Aubrey Gemignani) 】

自転速度が変化する原因やその影響度を分析したい時には、過去の自転速度の変化を詳しく知ることで、その手がかりを得られる可能性があります。その際に利用されるデータが皆既日食の観測記録です。

皆既日食は地球からみて太陽と月がぴったり重なることで起こる現象です。太陽が欠けて空が暗くなり、影の周囲に太陽コロナが見える現象は、古今東西人々の関心を集め、記録が残されやすいという特徴があります。また、暦の正確性は文明を維持するための基本かつ重要な要素のひとつであるため、古代から正確な測定が行われてきたという特徴があります。

そしてなにより、皆既日食を観測できる地域 (皆既帯) は幅百数十kmの帯状と限られており、その正確な位置は地球の自転の影響を受けます。過去に起きた皆既日食の日時は正確に求めることが可能であるため、当時の皆既日食の記録と照らし合わせて計算上の日時とのズレを算出すれば、過去の自転周期の変化率を知ることができます。

しかし、皆既日食のデータに基づく自転速度の変化率は、過去の観測記録の正確性に掛かっています。皆既日食の観測記録は、古い時代になればなるほど記録の数自体が少なくなり、観測場所にも偏りが生じます。それに、観測精度や情報量の低下、更には記録そのものの信頼性も検討しなければなりません。

例えば、地球の自転速度の変化を推定する研究では、最も古いものでは紀元前700年頃の記録も使用されることがあります。これに対し、国際的な時刻の基準についての現代の定義では、天体記録を採用する期間は紀元後 (西暦) 1623~1955年の間と定められています (※) 。

※…1623年以降となっているのは、記録の正確さに加えて、月食や星食といった日食以外の現象も記録が残っているからです。また、1955年までとなっているのは、これ以降は原子時計と電波干渉計による正確な自転速度の変化が観測できるようになったためです。

【▲ 図3: 601年3月10日に観測された皆既日食に言及した文献。原典は650年頃にコプト語で書かれたと推定されているものの、現在は17世紀頃に書かれたアラビア語の文献をコプト語に翻訳したものしか残っていない。 (Image Credit: Hayakawa, et.al. / British Library) 】

そんな古代の天文記録でも、特に不確実性が高いのは4~7世紀の期間です。この時代は、地中海にまたがって存在していたローマ帝国の東西分割統治が決定的となり、そのうちの東側の領域が安定して栄えていた時代に当たります。現在ではその国家を東ローマ帝国 (ビザンツ帝国) と呼称します (※) 。

※…プレスリリースでは「ビサンツ帝国」として書かれておりますが、一般にビサンツ帝国は東ローマ帝国の7世紀以降の時代を差して使用されることや、広辞苑第7版では「ビサンチン帝国」が「東ローマ帝国」の別称扱いになっていることに基づき、この記事では東ローマ帝国の名称を使用しました。

様々な国を取り込んで拡大し、都市国家の性格を強く持つ東ローマ帝国の記録を辿ることは一般に困難です。東ローマ帝国の公用語はギリシャ語であり、他にシリア語やラテン語の記述も存在します。しかしながら、多くの記録は引用や翻訳が何度も重ねられており、信頼性の評価が困難です。加えて、占星術や吉凶に関連して皆既日食が書かれている場合、比喩表現の中に記録が織り交ぜられていると、それが起きた正確な日時や、そもそも実際に起きた現象なのかという点で疑問が生じます。

例えば601年に記された皆既日食の記録は、恐らくコプト語で記述されたと思われる原典が現存しておらず、現在ではアラビア語で書かれた文献のゲエズ語訳版しか残っていません。また、皆既日食を思わせる記述も単に “太陽が暗くなった” としか書かれておらず、正確な意味が不明なものもあります。

名古屋大学高等研究院の早川尚志氏らの研究チームは、4~7世紀に東ローマ帝国で書かれた文献資料を調査し、信頼性の高い5つの皆既日食の記録を割り出しました。該当する日食が起きた日付や観測地点などを、以下の図4に示しました。なお、393年11月20日と512年6月29日の皆既日食についても、発生した事実と対応する文献資料が見つかるものの、情報不足や関連研究の乏しさから、今回は採用されませんでした。

【▲ 図4: 今回の研究で調べられた、東ローマ帝国で4~7世紀に観測された5つの皆既日食。 (Image Credit: 彩恵りり) 】

今回の対象となった5つの皆既日食のうち、2つは観測地点を絞り込むことができませんでした。また、シミュレーションで再現されたのは皆既日食ではなく食分の大きな部分日食であり、空が完全には暗くならなかったはずの日食でも「星が見えた」と記述されていることがあり、シミュレーションの結果と合わないものもありました。

このように、一部の観測記録については不確かさが大きなものが存在しましたが、それでもなお同様の先行研究より不確かさが小さなものもあり、全体としては地球の自転速度の変化幅を推測することが可能となりました。

【▲ 図5: 今回の研究で対象となった、皆既日食の観測記録による5つの自転速度の変化率 (赤色のエラーバー) と、そこから割り出された4~7世紀の自転速度の変化率 (黒色の曲線) 。 (Image Credit: Hayakawa, et.al.) 】

研究チームは割り出した地球の自転速度の変化幅を当てはめることで、4~7世紀における地球の自転速度の変化率を割り出しました。すると、4世紀から5世紀初めにかけては自転速度の低下が穏やかになり、5世紀中頃から7世紀にかけては低下が急激になっていた可能性が導き出されました。

導き出された自転速度の変化率は、他の記録の信頼性を確認するために用いることもできます。今回の対象となった5つの皆既日食のひとつである601年の皆既日食は、歴史的研究からアンティオキアで観測されたと推定されていますが、ニキウで観測された可能性もわずかながらあります。しかしながら他の史料と照らし合わせれば、これはアンティオキアで観測された可能性が最も高くなります。

一方、720年に日本で成立した『日本書紀』には628年4月10日に飛鳥で観測された皆既日食 (推古天皇の日食) が、656年に唐 (中国) で成立した『隋書』には616年5月21日に洛陽で観測された金環日食 (皆既日食とする説もあり) が記録されていると長年言われておりますが、これらは従来疑問視されてきました。しかし、601年の皆既日食がニキウではなくアンティオキアで観測されたと仮定すると、これらの日食の記録にも符合することがわかりました。

今回の研究では、これまで迫ることのできなかった古代の日食の記録を元に、過去の地球の自転速度の変化を推定することができただけでなく、他の地域での記録とも符合する結果が得られました。さらに多くの歴史的な記録を分析し、より正確な自転速度の変化を推定することができれば、地球の内部構造の推定、未来の自転速度の変化の予測、他の史料の内容の分析など、幅広い応用が期待できます。

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文/彩恵りり

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