<日中国交正常化50年⑤> 長崎新華僑華人協会会長 張龍一郎さん(58) 永住・移住者の生活サポート

「長崎は第2の古里、仕事人生の始まり」と語る張さん=長崎市内

 中国の経済成長を日本で実感してきた半生だった。東シナ海に面する中国・浙江省出身。中国と日本の合弁の水産会社で働いていた頃、日本人の顧客と接し、日本語を勉強するようになった。当時、中国は社会主義経済。日本の資本主義経済に興味が湧いてきた。
 1993年、福岡へ留学。日本の経済力の高さに引かれ、人生の価値を高めたいと考えたからだ。アルバイトをしながら、福岡大で貿易を学んだ。
 長崎に移り住んだのは2001年。東京に行くより、中国との縁が深い長崎が住みやすそうだと思った。中国の鮮魚を輸入・販売する代理店を興し、長崎魚市場(長崎市)をベースに仕事を始めた。アマダイやシログチ、ノドグロなど日本で手に入りにくい高級魚を船で運び、長崎で卸した。
 日本国籍を取得後、07年に発足した長崎新華僑華人協会に加わり、19年、4代目会長に就任した。この会は、1972年の日中国交回復後、留学や就職のため中国から来崎して永住・移住したり、日本国籍を取得したりした「新華僑・華人」で組織している。
 現在、約100世帯。長崎在住の華僑・華人の相談に乗りながら、安心して暮らせるサポートをしている。協会では日中親善卓球大会を開いたり、中国などで自然災害に見舞われた人たちへの募金を集めたりしている。多くの中国人が眠る稲佐国際墓地の清掃のほか、コロナ禍で入場者が減った孔子廟(びょう)への支援も呼びかけた。民間交流を通して、両国の架け橋になりたい。
 2000年代に入り、中国経済は急速に成長し、国内総生産(GDP)は日本を上回った。それに伴い、商売のスタイルも様変わり。かつては中国から鮮魚を輸入していたが、今は中国で水産加工品を開発し、日本の食品業者などに販売している。中国で仕入れたタチウオやシログチのすり身が多い。かまぼこ大国・日本ならではの商売だ。
 長崎は第2の古里であり、仕事人生の始まりの地でもある。第2次世界大戦や尖閣諸島問題など関係がよくない時期があっても、2千年もの長い歴史の中で考えると、わずかな期間に思える。
 これからの日中両国は、半導体製造や自動車製造など、お互いの得意分野で力を合わせられるはずだ。両国の技術や知恵を結集させ、世界の経済成長につなげられると信じている。


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