連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第51話

 私もバタタ作りや養鶏に限界を感じていた頃で、それもその頃、コチアの下元さんの土地でバラ作りをしていて景気の良かった谷口すすむさんや肥後英樹さんの話も聞いていて、どちらにしようかと迷ったりもしていた。肥後さん達の話を聞けばバラ作りの方が簡単に始められそうな気がして、肥後さんからバラの台木を分けてもらうことにした。台木を根付けた。芽が出て伸びて来た。接木をせねばならない。今度は穂木を肥後さんから分けてもらって接木に頑張った。何千本も接いで接ぎ穂も伸び出した。
 その頃、何人かの仲間からバラ作りよりも電照菊の方が、健康面でも販売面でも初心者には有利性があると指摘されて、バラ作りに対する気持ちが揺らぎ始めた。結局バラ作りは止めることにして電照菊を植えることになった。せっかく接木して作ったバラの苗木は肥後さんに安く受け取ってもらった。菊の販売は日比野さんが引き受けてくれることになった。販売手数料は販売代金の二〇%である。まず良い品質の花を作らねばと先輩の花作りを見学して、意見を聞いたり、菊作りの本も買って読んだりして懸命に勉強した。
 その頃、すでに半年か一年位前から、イビウーナの白幡さんや山下正昭さんが電照菊の栽培を始めていて、菊作りの良さを話していたので、私もこれを選んだことに後悔はしていなかった。
 誰をモデルにしたか特定な人だけではなく、見学して廻った人達の中で自分に出来そうなことから始めた。まず農場の道下東より始め、資金が余りないのでユーカリの丸木で骨組みを作り屋根は竹を丸く渡して巾三㍍厚さ〇・〇五㍉のプラスチックフィルムを張った。
 バタタ作の跡地で肥料分も残肥があり最初の作は良く出来た。その頃の一番売れる品質はポラーレス種の白・黄であった。それと皆が奨める品種としてマルガリーダがあった。私はマルガリーダを主体に植えることにした。
 菊の苗は自分で作ることにして、簡単な自動散水装置を設けた。米もみがらを焼いてくん炭を作りそれに苗木を挿した。電照菊と言う名の通り電球の明るさで開花をコントロールするのである。つまり、菊は日本など東アジアが原産地で、春芽が出て生育を始め、夏成長して、秋になると花芽分化して花をつける。その花芽分化は日照の長短時間に関係し秋の日照時間が一〇時間を切ると成長が止まり、成長点が花芽に分化する。この自然現象を人為的に作り出すのが電照栽培である。この様に電照で調節するのに秋、冬の陽の短い時季に電照してある一定の高さになるまで花芽をつけさせない様にして、そのあと電照を切って花を咲かせる。

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