死者・失踪者続出の怪異「魔神仔」伝説を徹底解説! 台湾ホラー『紅い服の少女』2部作ついに日本上陸

『紅い服の少女 第一章 神隠し/第二章 真実』©2015 The Tag-Along Co., Ltd ©2017 The Tag-Along Co., Ltd

いま、台湾ホラー映画が熱い。台湾本土で大ヒットし、Netflixで配信されるや日本でも大きな話題となった『呪詛』(2022年)をはじめ、人気ホラーゲームの映画版として同じく大ヒットした『返校 言葉が消えた日』(2019年)、過激な暴力描写による異色作『哭悲/THE SADNESS』(2022年)、都市伝説に基づく王道ホラー『呪われの橋』(2020年)、シビアな本質を秘めた学園ホラー『怪怪怪怪物!』(2017年)など、質量ともに充実した作品群が日本でも観られるようになり、映画ファン/ホラーファンの支持を受けているのだ。

こうした“台湾ホラー映画ブーム”の皮切りとなったのが、2015年製作『紅い服の少女 第一章 神隠し』だった。公開当時から人気を呼んだ本作は、台湾映画好きの間では早くから注目されていたものの、なかなか日本公開が叶わず、このたび公開から7年を経て待望の日本上陸となった。2年後の2017年に製作された続編『第二章 真実』は、同年の台湾映画として興行成績No.1というメガヒットを達成。この伝説的な2部作を、日本では2本立てで観ることができる。

スリリングなサスペンス・ホラー『第一章 神隠し』

『紅い服の少女』2部作の特徴は、物語としては前後編に近い構造になっていながら、まったく異なるジャンルのホラーとして作られていることだ。第一章はスリリングなサスペンス・ホラーといった趣で、謎の失踪事件が相次ぐという恐怖の連鎖や、“紅い服の少女”が映像に映っている仕掛けなどは、『リング』(1998年)をはじめとする日本製ホラーの影響も大いに感じさせる。

第一章の主人公であるラジオDJのイージュンは、不動産屋で働くジーウェイと交際して5年目になる。ジーウェイは結婚を意識しているが、イージュンはその気になれなかった。そんなある日、ジーウェイの祖母・シューファンの友人であるリーが失踪。数日後、リーは街に帰ってくるが、入れ替わるように今度はシューファンが姿を消した。

ジーウェイがシューファンを探す中、職場にリーのビデオカメラが届く。そこに残された映像に映っていたのは、ハイキングをするリーたちの後ろをついてくる“紅い服の少女”だった。人々はやがて、山に住む魔物・魔神仔(モーシンナア)が事件の原因ではないか? と噂するようになる。そして、とうとうジーウェイまでも行方がわからなくなってしまった。代わりに戻ってきたシューファンは、イージュンに「あの子の名前を呼んでしまった」と訴え……。

失踪事件をめぐるサスペンスのなかで“紅い服の少女”の恐怖を描く『第一章 神隠し』は、93分という上映時間ながら、結婚に踏み切れない男女の関係性や家族の絆、主人公・イージュンの過去、台湾の急速な都市化によって失われゆく歴史や伝承など、さまざまなテーマを巧みに織り込んだ意欲作。当時まだ続編が作られるかどうか未定だったこともあり、独立した物語として十分に楽しめる一本だ。

その完成度の高さは今となっては当然のことで、2部作の監督を務めたのは、のちに『目撃者 闇の中の瞳』(2017年)、『The Soul:繋がれる魂』(2021年)を手がけるチェン・ウェイハオ。いまや台湾映画随一といってよいスリラー映画の名手だが、長編監督デビューとなった本作から演出力の高さをいかんなく見せつけた。脚本のジェン・シーゲンも『返校 言葉が消えた日』をのちに執筆する気鋭で、緊迫する恐怖と切ない人間模様を並行して語る筆力を早くも発揮。ふたりの才気がほとばしった仕上がりとなっている。

実在の怪奇事件に基づく物語

さて、『呪詛』や『返校 言葉が消えた日』『呪われの橋』がそうだったように、この『紅い服の少女』も台湾の歴史や事件から着想を得た一作である(もっとも『返校 言葉が消えた日』は、特定の事件というよりも近現代史を下敷きにした作品だったが)。本作のタイトルロールである“紅い服の少女”とは、1998年に台湾の人気心霊番組『神出鬼没』に投稿された1本のホームビデオに登場し、人々を震え上がらせた存在なのだ。

まずは実際の映像をご覧いただきたい。

――1998年3月、とある一家がハイキングのために台中市・大坑にある山を訪れた。その直後、家族のひとりが謎の死を遂げる。葬儀のあと、遺族たちがハイキングの様子を撮影したビデオを再生したところ、そこには奇妙なものが映っていた。死亡した男性が笑う表情をよく見ると、口の中に牙のようなものが見える。しかも家族が並んで山道を進んでいる後ろを、紅い服を着た少女がついてきていたのだ。その顔は青ざめ、目は落ち窪んでいるよう。あろうことか家族のうち、その少女の存在を覚えていた者は誰もいなかった……。

この映像は本物なのか、それとも作り物なのかと、放送直後から台湾では大きな話題となった。番組に登場した専門家たちが「なんらかの霊が少女に取り憑いている」「この場所には異常な磁場が広がっている」などと仮説を語ったかと思えば、視聴者の間では「地元住民ではないか」とも推測されたのである。

そこで番組のスタッフが地元の住民を対象に聞き込み調査を行ったところ、証言の内容はさまざまだった。やれ「そんな少女は地元にはいない」とか、やれ「よく似た少女を追いかけたら消えてしまった」とか、やれ「車を運転していたらこの少女がいきなり現れて微笑んだ」とか……。7年後の2005年には、この少女にそっくりな女性が台北にいるとの報告があり、別の番組が本人に取材したところ案の定別人だったという珍事も起きている。

心霊番組『神出鬼没』に投稿された映像が、本当に人間ならざる存在を捉えたものかどうかはいまだに明らかになっていない。そもそもビデオの画質が良くないため、遠くにいる人の表情はどれもはっきり映っておらず、“紅い服の少女”の顔は(たしかに恐ろしく見えるものの)実際には影やノイズの産物にすぎないという説も存在するのだ。しかしその後、“紅い服の少女”の正体は妖怪・魔神仔だという説が一定の信頼を得ることになる。

山の精怪・魔神仔とは?

「魔神仔」とは、台湾で長きにわたり言い伝えられている山の妖怪(精怪)だ。本作『紅い服の少女』も、少女の正体は魔神仔であるという説を採用しており、前述の通り、劇中には魔神仔のエピソードが登場する。ちなみに“魔神仔”の読み方は「モーシンナア」または「モシナ」で、映画の日本語字幕では前者が採用された。

言い伝えによると、魔神仔は山中に入った人間にいたずらを仕掛け、だまして道に迷わせ、どこかへ連れ去ってしまう。その姿は証言によってさまざまで、小猿のようだったとも、まさに“紅い服の少女”の格好だったとも言われるため、決まった形は存在していない(だからこそ都市伝説として語られやすいのだろう)。魔神仔にさらわれた人物の中には「食べ物をふるまってもらった」と証言する者もいるが、実際に彼らが食べたのは虫や泥、糞、雑草などであることが多いという。

本来は怪談の一種である魔神仔だが、登山客が山中で失踪した事件などに絡めて語られる機会が多く、テレビやインターネットの普及によってエピソードが膨らんだことから、そのイメージや性質は多種多様なものとなった。人に危害を加えない妖怪だとも言われるが、魔神仔の仕業だと語られる代表的な出来事には、1972年に花蓮県の奇莱主山で起こった大学生3人の失踪事件がある。大規模な捜索活動にもかかわらず、ついに3人は発見されず、また遺体も見つからなかった。しかも奇妙なことに、3人のものと思われる3組の箸が地面に突き刺さっている様子だけは捜索隊によって発見されたのである。

また『第一章 神隠し』の公開前年にあたる2014年6月には、同じく花蓮県の林田山にて、ツアーに参加していた80歳の老婆が突如失踪する事件が発生。年齢のせいもあり、彼女は足腰が強くなかったにもかかわらず、近くの監視カメラには、信じられないほど軽やかな足取りで山に向かう姿が映っていた。5日後、老婆は失踪した地点から5キロ離れた場所で発見されている。

とりわけ恐ろしい事件は、2016年に苗栗県の關刀山を登っていた老夫婦が濃霧のため遭難したケースだ。3日後に捜索隊が発見した時、すでに夫の姿はなく、負傷した妻だけが救出された。妻の証言によると、夫は「建物と灯りが見えた」と言いながら妻の制止を聞かずに森の中に入り、そのまま戻ってこなかったという。数日後、夫は森の中で首を吊った状態で発見された。

こうしたさまざまな事件や証言を踏まえてから『紅い服の少女』2部作を観ると、監督のチェン・ウェイハオと脚本のジェン・シーゲンが、いかに丁寧に事実を取材し、それらの要素を組み合わせて物語を構築したかがよくわかる。心霊番組『神出鬼没』に投稿された映像は劇中でほとんどそのまま再現されているし、劇中の怪異や事件も実際の出来事がアレンジされたもの。クラシックな台湾の妖怪伝説を、あくまでも現代の怪談として語り直すことに力点が置かれているのである(ちなみに余談ながら、魔神仔が登場する台湾ホラー作品としては、張渝歌の小説「ブラックノイズ 荒聞」もお薦め)。

台湾流パニック・ホラー『第二章 真実』へ

台湾に伝わる魔神仔の伝説を現代にアップデートし、丁寧な作劇による現代ホラー映画として語り直したのが『第一章 神隠し』ならば、続く『第二章 真実』は、魔神仔の“妖怪性”や台湾文化を大胆にフィーチャーしたパニック・ホラーとなった。作品のテイストやホラー演出の違いに驚かされる人も少なくないだろう。

物語の主人公は『第一章 神隠し』のイージュンから、社会局家庭内暴力センターに勤めるシングルマザーのリーに交代する。近隣住民から「娘・ヨンチンの姿をしばらく見ていない」との通報を受け、同じくシングルマザーであるリンの家を訪ねたリーは、ヨンチンが隠し部屋にいるのを発見して保護する。そんな中、リーは娘のヤーティンが妊娠していることを知り、本人の意志を無視して中絶させようと考えていた。反発したヤーティンは学校から帰宅せず姿を消すが、監視カメラに映っていたのは、“紅い服の少女”に連れられてどこかへ向かうヤーティンの姿。一方、リンは「“紅い服の少女”の正体を知っている」と語り……。

台湾文化という観点で言えば、物語のキーパーソンは、リーの娘・ヤーティンの恋人であるジュンカイだ。寺の一族に生まれたジュンカイは、病や悪魔と戦う力を持つ道教の神・虎爺(フーイエ)の役目を担い、“紅い服の少女”をめぐる失踪事件に深く関わっていく。『第一章 神隠し』はあくまで現実的なホラーだったが、『第二章 真実』は宗教的な要素が絡み、民間の占いである「ポエ占い」も登場。これはゲーム版『返校』にも登場したが、2枚の石を投げ、その組み合わせで自分の選択や判断が正しいかどうかを占うものだ。

“いいとこ取り”かつ課題もあぶり出す時代の写し鏡

『第二章 真実』は前作とは異なるトーンで台湾文化を取り上げ、現代社会の中で扱ってみせる。そこで描き出すのは母娘の絆であり、やはり過去との対決であり、現代社会と既存の文化の衝突だ。物語は『第一章 神隠し』の要素も取り込みながら堂々の完結へ突き進むが、特筆すべきは、やはりこの映画が“警告譚としての妖怪もの”というオーソドックスなあり方を貫いていること。古くから存在する妖怪たちは、今を生きる人間になんらかの警告をするために現れるものだというお約束を、『紅い服の少女』もきちんと踏襲する。残酷だが胸を打つ人間ドラマとともに、前進を続ける現代社会への警告をやってのけるのだ。

もっともそれゆえに、2部作の物語が保守的な価値観に立っている部分は否定できない。妊娠や出産という要素が物語の鍵を握っているが、ジェンダー/フェミニズムの観点から見れば、展開や描写が旧来の価値観に根ざしているという批判は避けられないだろう。しかし、そもそも急速な現代化/都市化によって伝統的な存在である魔神仔が居場所を失い、その結果として恐怖が起こるという警告譚なのだから、現代的・先進的な価値観を肯定するには題材としての相性が良くなかったとも言える。

また『紅い服の少女』2部作は2015年/2017年製作だから、こうした価値観のギャップは、この5~7年間のうちに社会の価値観がいかに変容したかを測る基準にもなるだろう。たしかに価値観の古さは感じるが、年月を遡って作り手の責任や倫理観を問うよりも、むしろ時代の変化や今後のあり方、さらに時代に即した形で妖怪文化を更新していく方法に目を向けることもできる作品だ。それに、良くも悪くも時代をそのまま反映するのが映画というメディアの特質なのである。

台湾の伝統的な文化や伝承、宗教を描きながら、現代のホラー映画として完成させ、さらに豊かな物語性で観るものを惹きつけるという特徴は、近年の台湾ホラーにことごとく共通するものだ。ブームの先駆けとなった『紅い服の少女』は、まさにその“いいとこ取り”であり、同時にその後の課題も炙り出した2部作。その後、シリーズとしては前日譚となる第3作も製作されており、こちらは『人面魚 THE DEVIL FISH』(2018年/ビビアン・スー主演)という邦題で、日本では2020年に単独で公開済みだ。監督・脚本家は異なるが、物語や登場人物はリンクしているので、2部作を観た後だとさらに楽しめる。ぜひ3作そろって堪能してほしい。

文:稲垣貴俊

【参考文献・参考資料】・何敬堯、甄易言(訳)『[図解]台湾の妖怪伝説』原書房:2022年・瀟湘神、NL(訳)「山の中に潜む恐怖 ――現代台湾魔神仔実話」『怪と幽 Vol.003』角川書店:2019年・台湾恐慌的红衣小女孩,真相是…・映画『紅い服の少女 第一章 神隠し/第二章 真実』プレス資料

『紅い服の少女 第一章 神隠し/第二章 真実』は2022年9月30日(金)よりシネマート新宿・シネマート心斎橋他にて一挙公開

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