がんサバイバーの軌跡(3)食道がん 田中耕二さん 一度きりの人生走り抜く

闘病経験を振り返りながら、子どもたちに命の大切さを語る田中さん=邑久小

 がんを乗り越え、社会復帰を果たした「がんサバイバー」の軌跡をたどる連載3回目は、食道がんを経験した田中耕二さん(54)=赤磐市=を取り上げます。

 9月1日、邑久小(瀬戸内市)の体育館で2学期の始業式が行われた。校長の田中耕二さん(54)=赤磐市=は新学期に合わせたこの日、子どもたちに生きる大切さを伝えようと、何週間も前から「命の授業」の準備を進めていた。

 全校児童約700人を前に、「癌」と書かれた紙を壇上で掲げた。その文字は「がん」と読むこと、病院で治療が必要なこと、中には助からない人もいると説明し、言葉を継いだ。

 「実は10年前、先生もがんになりました。もしかしたら死んでしまうかもしれないと思いました」

 2021年4月に同校に赴任してから、児童や教職員に病気について話したのは初めてのことだった。

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 田中さんのがんは44歳の時、年1回の人間ドックで分かった。バリウムを飲む胃のエックス線検査を受けると、食道と胃をつなぐ箇所の流れが悪く、岡山大病院(岡山市)を受診した。

 細胞を調べると、食道にがんができていた。父親をぼうこうがんで亡くし、母親と6歳上の姉も乳がんを経験している。「いつかは自分も」と覚悟していたものの、いざ告知を受けると目の前が真っ暗になった。

 何より心配したのが当時小学4年生の娘のことだ。成長が見届けられないと落ち込んだ時、「お父さん、絶対治してね」と娘から言われた。「まだ死ねない。死んでたまるか」。自らを奮い立たせた。

 幸い「ステージ(病期)Ⅰ」の早期がんだったが、手術で胃を3分の1、食道を約3センチ切除するため、胸と脇腹を大きく開いた。術後は軽くせきをしても叫びたくなるほどの痛みに襲われた。痛み止めは欠かせず、睡眠薬を使わないと眠れない日が続いた。

 何よりつらかったのが食欲が戻らなかったことだ。2週間の入院生活を終え、自宅に帰る途中、娘とハンバーガーショップに立ち寄った。一口食べて「あぁ、おいしい」と思っても、二口目が入らない。おなかいっぱい食べられるようになるまで、1年以上かかり、体重は15キロほど減った。

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 半年に1回の検診を続け、がんはもう大丈夫と主治医からは言われている。だが、手術前の生活に完全に戻れているわけではない。夕食は就寝の3時間前までに済ませる。そうしないと食べた物が逆流し、胸焼けなど不快な症状が現れる。予防のため、上半身を起こしたまま眠る日も多い。

 そんな日々を送りながらも、病気になって良かったと思えるのは、生きる意味を考えることができたからだ。人はいつ何があるか分からない。事故で急に亡くなる人もいる。ならば、今を大切に生きよう-と。

 すると、挑戦する心が芽生えてきた。幼い頃から長距離走が苦手で、ずっと敬遠していたマラソンは、職場の同僚に誘われ、手術の翌年から始めた。自宅周辺を走ってトレーニングを積み、「おかやまマラソン」には1回目から欠かさず出場する。行ったことのない登山に出掛けるようになり、2年前にはオートバイの中型免許を取得した。

 「それもこれも、命あってこそ」と実感する田中さんが特別な思いで臨んだ始業式。闘病経験を話した後、子どもたちに語り掛けた。

 「一度きりの人生だから、苦手なことにもチャレンジして、悔いのない人生を送ろう。先生もみんなと一緒にいられるこの瞬間に感謝して、精いっぱい走り抜きます」

 子どもたちの真剣なまなざしが、舞台に注がれていた。

医療スタッフひと言

岡山大大学院消化器外科 野間和広講師

 現在主流の腹腔鏡やロボット手術と違い、田中さんの場合は精神的、肉体的にも負担は大きかったはずです。前向きに治療に臨めたのは「治して家に帰る」という強い意志があったからでしょう。「命の授業」も素晴らしく、がん経験者であり、教育者でもある田中さんならではの発想です。国民の2人に1人ががんになる時代、子どもたちが正しい知識を学び、命について考える機会はとても重要だと思います。

「生きることの幸せ教えてもらった」

6年生の感想文紹介

 「命の授業」を受けた邑久小の子どもたちは、田中さんの話を聞き、どう思ったのでしょう。6年生が感想文にまとめました。その一部を紹介します。

 校長先生ががんになったことがあるのは初めて知りました。先生はいつも明るくて元気なので、そんなつらいことがあったなんて思ってもみませんでした。がんが怖い病気、亡くなるかもしれないということは前から知っていましたが、話を聞いて改めてがんの怖さを感じました。

 校長先生ががんに負けなかったのは、娘さんへの思いが強かったからだと思います。人はいつか亡くなってしまうので、それまでにやりたいことをして、自分が後悔しないような生き方をするという大切なことを、校長先生の話を聞いて感じました。私もやりたいことをして、自分が満足できる生き方をしていこうと思います。

 ぼくは校長先生の話を聞いて、みんなに生きることの幸せさをもっと実感してほしいと伝えているように見えました。先生はがんを経験して「娘のためにも死んでたまるか」と思いました。その家族と別れるとなったら、悲しいと思います。でも生きていると家族と幸せに暮らしたり、挑戦したりすることだってできます。だから、ぼくには先生が生きていることの幸せさを教えてくれたんだと思います。

 校長先生はがんになっても自分の体よりも娘を思って治そうと思ったのがすごいと思いました。先生は、がんを経験していろいろな事に挑戦していて強いなと思いました。

 先生がなぜこの話をしたのかを考えました。それは、私たちにも「生きること」について考え直してほしいと思ったからです。「今」を大事にして、いろいろなことに挑戦をしてほしいと先生は思ったから、このお話をしたのだと思いました。私も挑戦してみるのは大事だなと思いました。そして、悔いのない人生を過ごしたいと思いました。

ご意見をお寄せください

 病気を経験したとは思えないほどいつも明るく、前向きな田中さんですが、「命の授業」では感極まって声を詰まらせる場面がありました。つらかったんですね。この日の授業は子どもたちの心にきっと刻まれるはずです。皆さんの経験や感想をお寄せください。メール(cancer@sanyonews.jp)、ファクス(086-803-8011)。

病を経て出合ったマラソンは「生きる源」という(本人提供)
「命の授業」に臨む子どもたち。真剣なまなざしが田中さんに注がれる
けん玉で児童と触れ合う田中さん

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