その歌唱力に驚け!1980年デビューの女性アイドル・柏原芳恵の名曲ベストテン!  歌手としてその実力を多くの人に認められた女性アイドル

10月1日は柏原芳恵の誕生日。歌唱力が光る10曲セレクト!

1980年デビュー組の女性アイドルといえば、松田聖子、河合奈保子、そしてもうひとり、忘れてはならないのが柏原芳恵である。デビュー40周年となった2年前には、「KU・ZU ~ワタシの彼~」という新曲をリリース。今でも精力的に歌手活動を続けている。今回はそんな彼女について語ってみようと思う。

「ちょっと大物、夏ひとりじめ。よしえはNo.1。」

―― というキャッチフレーズでデビューした芳恵。デビュー年こそ聖子や奈保子、岩崎良美に差をつけられ、新人賞レースでは鹿取洋子や石坂智子にも先を行かれていた感じがするのだが、翌1981年からグングンと実力と人気を伸ばしていった。3年目(1982年)になると、『明星』『平凡』などの雑誌で聖子・奈保子とともに三人娘として扱われることも多かった。

そんな芳恵、当時の女性アイドルの中では特に歌手としてその実力を多くの人に認められていた気がする。日本レコード大賞で3年連続最優秀歌唱賞にノミネートされた(1985年から1987年まで)というのがその証だろう。演歌系の歌手がこの部門でノミネート(しかも3年連続)というのは、よほどその歌唱力が評価されていないと成し得ないことだと思う。

ところで、10月1日は柏原芳恵の誕生日だ。それをお祝いする意味で、彼女が歌ってきた作品の中から、個人的に好きな曲を10曲挙げてみた。みなさんはすべてご存じだろうか。

第10位:花梨

1982年10月1日リリース。
名前が「柏原よしえ」から「柏原芳恵」に変わった最初の作品。松任谷由実や財津和夫、大瀧詠一などのニューミュージック系アーティストを作家陣とする聖子に対して、芳恵が選んだ作家陣は中島みゆきや谷村新司、松山千春などのいわゆるフォーク系。この曲はその第一歩といえる。高低差のあるクセの強い “チンペイメロディー” を歌いこなす芳恵に、歌手としてさらに成長していこうとする覚悟が見えた。

第9位:し・の・び・愛

1985年9月11日リリース。
THE ALFEEの高見沢俊彦作詞・作曲。オリジナルは高見知佳(シングル「セザンヌの絵」B面)。タイトルから想像する通りの不倫ソングだが、当時これを高田みづえの結婚披露宴で歌ったという、なかなかに大胆なエピソードがある作品でもある。この曲で2年ぶり2回目の紅白歌合戦に出場。会場に掲げられた「おかえりなさい芳恵ちゃん」という横断幕が印象に残っている。

第8位:A・r・i・e・s

1987年5月1日リリース。
テレビドラマ『アリエスの乙女たち』主題歌。リリースされた1987年は、聖子と明菜を除く大半の80年代前半アイドルがかなりトーンダウンしていた頃で、そんな状況下でのオリコン最高13位は立派。ドラマの主題歌だったというアドバンテージがあっただけでは成し遂げられなかった記録だと思う。歌手としての存在感をアピールできたからこそ成し得た記録だろう。ミステリアスな雰囲気のイントロが波乱万丈なドラマに合っていた。

第7位:㐧二章・くちづけ

1980年10月25日リリース。
ご本人も出演していたコルゲンコーワトローチのCMソングとして当時テレビでよく耳にした。出だしの「好き好き好き好き」という歌詞と、途中の「アアア〜」という少し色気を感じる部分のギャップが大きくて、あどけなさと大人っぽさが同時に味わえる。㐧二章がくちづけなら㐧一章が出会い? ということは㐧三章って何? などと想像をたくましくするタイトルでもある。

6位:最愛

1984年9月5日リリース。
個人的に中島みゆきによる芳恵作品の中で一番だと思っている。ピアノから静かに始まる別れのナンバー。エンディングに向かってだんだんとドラマティックに展開していく中で歌われる「でも一番に好きだったのは わたし誰にも言わないけど死ぬまで貴方」というフレーズが印象的。特にラストの「死ぬまで貴方〜ぁぁぁあ〜わたし誰にも言わないけど 死ぬまで貴方ぁ~」と繰り返す部分は聴き手に強烈な印象を与える。オリコン最高位は8位だが、HOT100に19週チャートインするロングセラーとなった。

第5位:No.1

1980年6月1日リリース。
アイドル、しかも中学3年生(当時14歳)の女の子が歌うデビュー曲としては、かなり刺激的な曲だった。阿久悠はまだ少女だった彼女の中に潜んでいるコケティッシュな部分を捉えてこの歌詞を書いたのだろうか? 当時『紅白歌のベストテン』でこの曲を歌っているところを観たのだが、「男の瞳は指先のように ドレスを一枚ぬがしてしまう」という歌詞を、ビキニ姿で腰をクネクネと捻りながら歌っている姿はかなりの衝撃だった。都倉俊一が書いたこのメロディーは半音階で動くところが多く、歌うとなかなか難しくて、芳恵はよくこれを歌いこなしたなぁ、と改めて思う。

第4位:ト・レ・モ・ロ

1984年2月29日リリース。
テクノ歌謡としてその筋のマニアには評価が高い曲。当時の最新鋭であったシンセサイザー、フェアライトCMIを駆使した船山基紀の編曲が斬新だった。作詞:松本隆・作曲:筒美京平というゴールデンコンビによる作品でもある。バックコーラスは「想い出がいっぱい」のH2Oが担当。この曲の前は松尾一彦、松山千春、中島みゆきなど、ニューミュージック・フォーク系のアーティストによる作品が続いていたので、デジタルサウンドに載せた芳恵の歌声はとても新鮮だった。

第3位:春なのに

1983年1月11日リリース。
柏原芳恵の代表曲といえば文句なしにこれなのだろう。中島みゆきの世界観がこんなにも芳恵に合うとは思わなかった。当時、中学や高校の卒業式でもよく歌われていたと聞く。この曲で芳恵は歌手としてのスタンスを確立した気がする。ところで「記念にください」と言ってもらったボタンを「青い空に捨てます」ってところに「おいおい、ボタンもらっといて捨てるんかい!」とツッコむ人も多かったが、あれは好きな人への想いが成就できなかったという心の痛みを、その相手が着けていたボタンを捨てることで、気持ちの整理をつけたのではないかと私は解釈している。それはある種の復讐なのかもしれない。ちょっと怖い。

第2位:ハロー・グッバイ

1981年10月15日リリース。
柏原芳恵最大の売上となった曲。アグネス・チャンや讃岐裕子のカバーだが、芳恵がオリジナルだと思っている人のほうが多いだろう。この曲のヒットにより、芳恵の人気は一気にジャンプアップした。この曲との出会いで、その後の芳恵の方向性が見えたのではないだろうか。そして芳恵自身がそれをよくわかっているからこそ、この曲を大切に歌い続けているのだと思っている。

第1位:ガラスの夏

1981年5月25日リリース。
柏原芳恵が歌手としてブレイクするきっかけとなったのは「ハロー・グッバイ」だとみなさんお思いでしょうが、私としてはシングル5枚目のこの曲だと思っている。デビュー曲「No.1」から前作「乙女心何色?」までに際立つ、少し浮わついた感のある曲とは違い、シリアスなマイナー調のメロディーと、一転して明るく展開するサビとの対比で、歌手として着実に実力をつけてきたことがわかる。シングル売上枚数も初の10万枚超え、『ザ・トップテン』で初のTOP10入りを果たした曲でもある。

―― 以上が私の好きな柏原芳恵作品ベストテンである。もちろん、ここに入れたかった曲は他にもたくさんある。真夏にあえてセンチメンタルな路線で勝負した「夏模様」(1983年6月29日リリース)、「ト・レ・モ・ロ」のデジタルサウンドをさらに深く突き進めた「悪戯NIGHT DOLL」(1984年5月30日リリース)、そして中島みゆきが書いた「カム・フラージュ」(1983年12月1日リリース)、「ロンリー・カナリア」(1985年1月9日リリース)なども名曲だ。ほとんどの曲がサブスクで配信されているので、ぜひ聴いてみていただきたい。芳恵の表現力の幅広さと歌唱力に驚くはずだ。

みなさんが好きな芳恵の曲はどれだろうか? これをお読みいただきながら、改めて芳恵作品を聴き返してくださったら嬉しい。

カタリベ: 不自然なししゃも

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