<南風>隠れ武士

 沖縄で「武士」とは空手の達人を言う。「隠れ武士」とは名声を求めず、表舞台に立つことをしない者のことである。現代の「隠れ武士」とは、実戦空手の第一人者として、知る人ぞ知る「具志堅私人」である。天才と言われた彼の豪拳は一撃でマチワラを折り、蹴りの威力はなおすさまじいものであった。具志堅師の指導の中心は組手である。実戦で勝てない空手は武道ではない、が彼の持論で数々の武勇伝を残している。

 ある年、知人である在沖マリンの少尉がフルコンタクトの県空手大会で優勝し、沖縄の空手は大したことはないと豪語していた。具志堅師にその話をした、「本物の武道空手を教えてあげるから道場に連れて来なさい」と即座に言い放った。それを伝えると少尉は歓喜し、相対を応諾した。

 筆者が立会人となり2人は相対した。ルールは自由組手、どちらか一方が“参った”と言う時点で終了。具志堅師は「致命傷は与えないから全力でかかってきなさい」と言い切った。

 少尉は26歳、身長は190センチ超、体重は100キロ近い巨漢だ。海兵隊で鍛え上げた体は鋼のように引き締まり、筋骨隆々である。一方、具志堅師は50歳、身長162センチ、体重65キロ、逆三角形の上半身は実に見事であるが少尉に対すると、まるで大人と子どもである。

 礼をして試合が始まった。少尉が矢声を発しつつ猛然と突きや回し蹴りで攻めかかる。師はそれら全てをかわした。いきり立った少尉が「ウオー」と叫び声を発して右ストレートを全力で打ち込んだ。その瞬間、少尉は吹っ飛ばされ壁に激突して倒れた。師がこねり手の手甲で相手の左顔面を打ったのだ。彼の顔の左半分は真っ赤に腫れ上がっていた。もし師が正拳で打っていたならば彼の顔の骨は砕けていた。少尉は完敗を認め、沖縄空手のすごさを身をもって知ったのだった。

(澤田清、澤田英語学院会長 国連英検特A級)

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