薬物依存に陥り、逮捕された俳優高知東生さん(57)。仕事も家族も失い、どん底を味わったが、依存症仲間と出会い、生き直す覚悟を決めた。孤独と隣り合わせだった人生を見つめ直し、治療に向かう等身大の姿を講演会や交流サイト(SNS)で発信している。9月に鹿児島県霧島市であったセミナーに講師として参加した高知さんに回復の歩みを聞いた。
-2016年6月、ラブホテルで不倫相手の女性と覚醒剤、大麻を所持した疑いで現行犯逮捕された。
「マトリ(厚生労働省の麻薬取締官)が部屋になだれ込んで来た時、終わったと一気に力が抜けると同時に、これでやめられると安堵(あんど)した。思わず『来てくれてありがとうございます』と言ったのはそんな思いからだった」
「日々のストレスを女性と使う薬物で忘れようとし、秘密を持ち合う関係の恐怖が不安を増大させ、薬物に逃げる悪循環に陥った。元妻を愛していたからこそ、絶対にバレてはいけないというゆがんだ認知があり、どんなうそをついたか忘れないようにアリバイノートまで作っていた。これ以上、元妻に迷惑をかけないよう、留置場から離婚届を送った。保釈後、依存症専門医のカウンセリングを受けることになった」
-懲役2年、執行猶予4年の判決。バッシングの嵐の中、19年、「ギャンブル依存症問題を考える会」の田中紀子代表と出会う。
「専門医から薬物依存症と告げられ『病気のわけがない』と受け入れられなかった。遊び友達に勧められ、初めて薬物に手を出したのは20歳の頃。仲間ほしさからだった。やめようと思えばやめられるという根性論を信じて疑わなかった」
「『(元妻と)復縁するのでは』『薬の売人だった』など事実無根の報道であふれて、近寄ってくるのはマルチ商法や宗教の勧誘ばかり。貯金は減り、判決から2年ほど過ぎた時、先行きの見えない不安と孤独から死にたいと思った。今思えば、これが僕の『底つき』(どん底の状態)だった」
「事実と異なる報道に耐えかね、自分の声で発信しようと18年、ツイッターを再開した。SNS上で出会ったのが田中さん。田中さんはギャンブル依存症だった。互いの人生を赤裸々に話し、分かち合う時間に癒やされた。『高知さんが恥だと思っている過去には最高の価値がある。その経験を知って救われる人がいる。一緒に依存症の啓発活動をしませんか』と提案を受けた」
-専門医や田中代表と出会い、治療の中で幼少期を振り返った。
「物心ついた時に一緒に暮らしていたのは母方の祖母と叔父一家。川で捨てられ、流れついた子だと聞いて育った。『捨てるぞ』『出て行くか』という言葉が怖くてたまらない。寂しくて、愛されたくて、でもその気持ちは言葉に絶対にするまいと毎日を生き抜いてきた」
「実母と暮らし始めたのは小学5年の頃。高知で有名なヤクザの親分の愛人だった。母は家を空けることが多く、2日間帰ってこないこともあった。ご飯の代わりに現金が机の上に置かれ、夜中に酔っ払って帰ってきて、タバコを買ってこいと言われた日もあった」
「母は僕が17歳の頃、自殺した。最後に会ったのはその2時間前。自殺後、戸籍謄本で父だと思っていた人が実父ではないことが分かった。実父は徳島の有名なヤクザの親分。誰からも大切にされていないと、心が壊れていった」
「それ以降、どの時を振り返っても、見えと虚勢、金を手に入れて成り上がろうとする自分しか見えてこない。本当は弱虫な男なのに」
-回復し続けるには、同じ依存症の仲間を助ける必要があると語っている。
「仲間と語り合う中で今までいかに自分を偽り、多くの人を傷つけてきたかを痛感した。恨みや恐れ、傷つけた人などテーマごとに過去を全て書き出し、それを仲間に見せて話す。これはきつかった。生い立ちのせいにするわけではなく、自分の生き方、考え方の癖の原因を突き止める作業だ」
「自分の本当の姿がばれたらみんな離れていくんじゃないかという恐怖が偽りの自分を作り上げた。素直にありのままで愛し、愛されることを知っていたら、依存症にはならなかっただろう。過去を振り返る中で、母も母なりに一生懸命愛してくれたことも分かってきた。そのことは本に記そうと思う」
「自分が大嫌いだった。だからこそ、まずは自分を大切にできなければ、大切な人を大事にできないと実感している。ありのままでいても離れていかない人は絶対にいる。今の自分は大好きだ。全国を回り、一人でも多くの人に依存症の問題を考えるきっかけをつくりたい」
高知東生(たかち・のぼる) 1964年、高知県出身。映画やドラマ、バラエティーに多数出演したが、逮捕後に仕事は激減。現在は芸能活動を再開し、自助グループと連携しユーチューブ「たかりこチャンネル」などで依存症問題の啓発に取り組む。