“報道テロリスト”金平茂紀に与えられた使命|山口敬之【WEB連載第18回】 9月一杯で「報道特集」のキャスターを降板させられた金平茂紀氏。金平氏とは一体どういう人物なのか。かつてともに仕事をした山口敬之さんが金平氏の本性を暴く!

統一教会に感情をあらわにした金平茂紀

9月一杯でTBSの報道番組「報道特集」のキャスターを降板させられた金平茂紀が、9月22日に行われた旧統一教会の会見に姿を現した。

教会側は冒頭でこう発言した。
「今回の安倍元首相の銃撃事件以降、様々な報道を通じて世間を大変お騒がせしましたこと、ならびに日本国政府、そして国会議員の皆さまに大変なご迷惑をお掛けしましたことを心からお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした」

これに対して金平は感情をあらわにした。
「過去の教団の加害行為によってひどい目に遭った人に対する謝罪がなかった」

「テレビの報道の立場から被害者、元信者の方から被害の実態を取材した実感と、(教団側の)今後の改革と称するものの方向が、あまりにも落差がありすぎて頭がクラクラする思いですよ。一体何を考えているんだと思いますね」

この金平の発言を聞いて、私のほうこそ頭がクラクラした。

金平茂紀こそ、凄惨な事件の無辜の被害者を蹂躙して全く恥じない、ジャーナリズムとは無縁のテロ支援キャスターだからだ。

被害者を蹂躙して恥じない金平茂紀

1974年8月30日午後0時45分、東京・丸の内の三菱重工業本社ビルエントランス脇の植え込みに仕掛けられた2つの時限爆弾が炸裂した。

この爆発の衝撃で三菱重工本社の玄関ロビーは大破、爆風と飛び散ったガラス片等により8人が死亡、376人が怪我をした。

これだけの大きな被害が出たのは、使われた爆弾が天皇陛下をお召し列車ごと爆発する計画のために用意された高性能爆弾だったからだ。

この凶行を指揮したのは、極左テロ組織「東アジア反日武装戦線」のリーダー、大道寺将司だ。この男が書いた「犯行声明」が残されている。

三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である。

今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である。“狼”の爆弾に依り、爆死し、あるいは負傷した人間は、『同じ労働者』でも『無関係の一般市民』でもない。彼らは、日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。

“狼”は、日帝中枢地区を間断なき戦場と化す。戦死を恐れぬ日帝の寄生虫以外は速やかに同地区より撤退せよ。

“狼”は、日帝本国内、及び世界の反日帝闘争に起ち上がっている人民に依拠し、日帝の政治・経済の中枢部を徐々に侵食し、破壊する。また『新大東亜共栄圏』に向かって再び策動する帝国主義者=植民地主義者を処刑する。

最後に三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に警告する。

海外での活動を全て停止せよ。海外資産を整理し、『発展途上国』に於ける資産は全て放棄せよ。

この警告に従うことが、これ以上に戦死者を増やさぬ唯一の道である。

— 9月23日東アジア反日武装戦線“狼”情報部

三菱重工爆破事件を含む10件の連続企業爆破事件に関与し、自ら惨殺した無辜の市民を「帝国主義に寄生する植民者」と呼んで冒涜した死刑囚・大道寺将司は1987年に死刑が確定した。

大道寺将司によって殺められた被害者

大道寺将司によって三菱重工爆破事件で殺害された「被害者」は以下の方々だ。

・37歳の三菱信託銀行課長→即死
・28歳の船舶エンジニア→即死
・49歳の鉱業会社社員→即死
・50歳の三菱重工社員→即死
・38歳の製造業の所長代理→即死
・23歳の会計士事務所事務員→脳損傷と全身打撲で病院収容後死亡
・41歳のデザイン会社役員→脱血ショックで病院収容後に死亡
・51歳の三菱重工主任→病院収容後、翌日死亡

被害者を悼まず、加害者を悼んだ金平茂紀

一方、死刑囚・大道寺将司は犯行後43年も生き永らえ、2017年5月24日多発性骨髄腫により収監中の東京拘置所で死んだ。

この残虐なテロリストの訃報に、東京拘置所にまでいそいそと足を運んで大道寺将司の死を悼んだのが金平茂紀だ。

私はこの機会に、金平が死を悼んだ大道寺将司によって惨殺された三菱重工爆破事件の被害者一人ひとりを、もう一度悼むこととする。

1974年のあの日、日本バルカー工業所長代理だった山﨑隆司さん(38)は、商談のため静岡県から上京し、建物から出たところで犯行グループが仕掛けた爆弾が炸裂して即死した。11歳を筆頭に3人の子供のパパだった。

41歳のデザイン会社役員だった桜井秀雄さんにも、同年代の妻と10歳の長女と7歳の次女がいた。

遺体の損傷が激しく最後に本人確認が終わった三菱重工業の環境装備部主任だった石橋光明さん(51)も、妻と一人息子の中学3年生明人君(14)を遺して逝かざるを得なかった。

当時の新聞によれば、東京・大田区の自宅に殺到する報道陣を前に、明人君は涙を見せることなく気丈に振る舞い、近所のおばさんに労わりの声をかけられると、一言だけ「悔しい」と唇を噛み締めていたという。

父の遺体が収められた棺を前に首を垂れる明人君の後ろ姿を捉えた写真は、当時8歳だった私も覚えている。

光明さんの享年は51歳。私より6歳も若い。そして私より6歳年上の明人さんは、今62歳になっているはずだ。大道寺将司によって理由もなく殺された8名のかけがえのない命。残された明人さんら多くの遺族は、その後の人生を逞しく生き抜くことが出来ただろうか。

報道の使命とは、まずは何をおいてもこうした無辜の被害者に寄り添い、犯人グループに怒るという「素直な正義感」の発露としての報道に徹することだ。

大道寺らの犯行を厳しく糾弾する報道をキッカケに、明人君ら犯罪被害者をどのように社会に包摂し救済していくかの議論が高まり、事件から6年後の1980年「犯罪被害者等給付金制度」が作られた。これこそが、テロとテロリストを憎み被害者に寄り添うジャーナリズムが成し遂げた、ささやかな抵抗の証だ。

ところが、ジャーナリストを自称し、報道番組のキャスターを務めている金平は、こうした報道の正義とは真逆の人間だった。

戦後史上最悪の爆破テロを主導し、しかもその被害者を冒涜したテロリストを、今更のように悼んだのだ。金平の投稿を見て、大道寺に殺された天上の被害者・山﨑隆司さんは、桜井秀雄さんは、石橋光明さんは、どう感じるだろうか。

石橋さんの忘れ形見である明人さんは、父を惨殺したテロリストの死を悼む金平の投稿を見て、何を思っているだろうか。こんな金平には、統一教会問題だろうが何だろうが「被害者への謝罪がない」などと他者を糾弾する資格は絶対にない。

そして金平の問題は、被害者の感情を顧みない「非常識な人物」ということにとどまらない。金平こそ、大道寺将司の暴力革命思想をそのまま現代に引き継いだ「報道テロリスト」なのだ。

「最も政治家にしちゃいけない人間なんだよ」

金平は2005年5月に、TBSの報道局長となった。この直後、当時TBS政治部にいた私は報道局長室に呼ばれて、金平と向き合った。

金平がモスクワ支局長を務めていた90年代前半、私はロンドン支局にいたから、ロシアの騒乱の現場などで一緒に取材をした経験もあり、記者としても人間としても互いによく知っていた。

当時、私は政治部で外務省を担当していたこともあり、北朝鮮情勢などについて意見交換するつもりだった。ところが金平は、私が報道局長室に入るなり、不快な香りのするお香を焚いた。まるで不浄なものを忌み清めるように。そして開口一番、こう言った。

「安倍晋三っていうのは、最も政治家にしちゃいけない人間なんだよ」

唐突におかしなことを言うので、私はその真意を訝りながらこう尋ねた。
「直接取材したことがあるんですか?」
「あるわけないだろ。ろくな人間じゃないのは、あの弛んだ顔だけ見てもすぐわかる」
「どこがそんなに気に入らないんですか?」
「あんな極右政治家が官房長官をやっているということだけで、俺は我慢がならないんだよ」

感情を抑えきれない様子の金平の発言はもはや理解不能だった。金平は社会部記者を経て、「筑紫哲也ニュース23」のディレクターなどを務めていたが、政治部の経験はなかった。

直接取材したこともない政治家に対して、まるで不戴天の敵のように怒りを爆発させる金平の尋常ならざる狂気に少なからず驚いたのを鮮明に覚えている。

この1年後、TBSは総務省から厳重注意処分を受けた。

2006年7月21日、夕方のニュース番組で太平洋戦争の731部隊に関する特集を放送した際、全く無関係な安倍晋三官房長官の映像に「ゲリラ活動!?」という文字スーパーをかぶせて、安倍氏の印象を不当に貶めたからだ。

「安倍のようなクズが総理になってしまう」

ちょうど2ヶ月後の9月20日には、長期政権を築いた小泉純一郎首相の後継を決める自民党総裁選が予定されていた。だからこの「印象操作」は、総裁選の有力候補だった安倍氏の印象を貶めて総裁選を不利にするという、TBSによる「ゲリラ活動」だったことは言うまでもない。

放送事業を統括する総務省はすぐ調査に乗り出し、3週間後の8月11日、TBSに対して、放送法に基づく厳重注意の処分を下した。この総務省の処分を受けて、社内で最も厳しい処分を受けたのは、このVTRを作ったKという社員ディレクターだった。金平が「筑紫哲也のニュース23」という番組の編集長を務めていた時に部下として昼夜を分たず一緒に働いていた人物だった。

TBS報道局内部では「Kは金平の指示であんなゲリラVTRを作らされたに決まっているのに、Kだけが厳しく処分されるのは酷い話だ」という声が挙がっていた。しかし金平は知らぬ存ぜぬを通して報道局長を続投した。

7月に総務省が厳重注意処分を決めた数日後、ある報道局幹部から私に内々に連絡があった。
赤坂の居酒屋の個室で向き合ったその幹部は衝撃的なことを告白した。

「あの番組が放送される1週間ほど前、俺は金平とKともう一人の合わせて4人で赤坂でメシを食ったんだよ。その場で金平がKに言った言葉が忘れられないんだ」

「金平はKに対して、絡むようにして執拗にこう言っていた。『このままでは安倍晋三のようなクズが総理になってしまう。お前はそれでいいのか?』」

「この時の金平の形相は、尋常ならざるものがあった。ある種の狂人によく似ている。」

「あまりにおぞましくて、誰にも言えなかったんだが、金平が無罪放免で報道局長を続投しているのが許せなくてね」

私も金平が安倍氏への憎悪を隠さず、自分の感情を制御できなくなっていく様子をつぶさに観察した経験があったから、この人物の発言には十分に信憑性があった。

この証言が事実なら、金平はKに直接的な指示をして、卑劣な報道テロを指揮したことになる。そしていざ問題が大きくなると部下に全ての責任を押し付け、自身はのうのうと報道局長の座に居座り続けるという、厚顔無恥の極限例を実践してみせた。

金平は、残虐なテロリスト大道寺将司の死を象徴的に悼んだだけではなかった。その暴力革命思想とテロリズム、そして外道の精神をそのまま引き継ぎ、報道の世界で実践していたのである。

金平を登用し続けたTBS経営陣こそ万死に値する

この「金平印象操作事件」の経緯については、「伊藤詩織」問題ー金平茂紀と望月衣塑子の正体」でも詳述した。

金平茂紀がジャーナリストの姿を借りた極左活動家であることは、まともなTBSの報道局員であれば誰でも察知していた。

ここで問われなければならないのは、極めて危険なテロ容認極左活動家を報道局長とし、露骨な報道テロも不問に伏し、その後12年の長きにわたって報道特集のキャスターとして使うという、異常な判断をしたTBSという会社である。

私は異常な判断が続いた構造を象徴する、異常な会食に同席する機会があった。それこそ、金平グループによる「印象操作事件」で厳重注意処分が出た直後に、TBS経営陣が安倍氏を招いて開いた「手打ちの宴席」だった。

TBS側は当時の井上弘会長、石原俊爾社長と私、安倍氏側は本人と秘書1名が参加して、赤坂の高級料亭で会食をした。井上氏は社長時代から隠然とした力を行使して、実質的に独裁者として君臨していた。

会食前は相当怒っていた安倍氏だったが、宴席冒頭で井上と石原が問題の経緯を説明して深く謝罪し再発防止を期すと訴えると、安倍氏も矛を収めて会食は無難に終わった。

安倍氏側を送り出したあと、井上氏と石原氏と3人で、隣りのバーで一杯やることになった。この時、井上氏は私に驚くべきことを言った。

「あの安倍というのは本当にダメだね。あんな右翼政治家じゃなくて、福田(康夫)さんとか二階(俊博)さんとか、もっとアジアの国とうまくやっていける政治家を称揚しなきゃ」

たったいま平身低頭謝罪して許しを乞うていた安倍氏について、井上氏が嫌悪感を剥き出しにしたのである。井上氏の安倍氏への激しい憎悪と、感情を抑えきれない様子は、金平と全く同質のものに見えた。

どこの会社にも、どこの社会にも破壊思想の持ち主や憎悪の感情を制御できない人物は少しはいる。
しかし当時のTBSという会社は、「安倍晋三はダメだ」と公言して恥じない経営者が、同質の「安倍晋三だけは政治家にしちゃいけない人間なんだよ」と言い放つ人物を報道局長やニュースキャスターとして登用するという、極めて異様な状況だったのだ。

しかし、今回、金平が報道特集のキャスターを更迭されたからといってTBSが改善の方向に向かっているかどうかはわからない。

はっきりしているのは、
「安倍晋三を社会的に抹殺する」という金平に与えられた使命が、暗殺という形で図らずも実現してしまったからこそ、金平は「お役御免」となったということである。

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山口敬之

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