『ニッサン・スカイラインGT-R(BNR32型)JGTC編』新天地でも最強だったGT-R【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本GT選手権を戦った『ニッサン・スカイラインGT-R(BNR32型)』です。

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 1985年から1993年までの9年間、グループAという規定の車両で争われた全日本ツーリングカー選手権(JTC)。このグループA時代のJTCに1990年にデビューし、1993年のグループA終焉まで29戦全勝という記録を残したのが、BNR32型のニッサン・スカイラインGT-Rだった。

 その強さからR32GT-Rの参戦するディビジョン1クラスは、いつしかR32GT-Rのワンメイク状態になり、R32GT-RはグループA時代の代名詞といえる存在となっていった。

 しかし、グループA規定の終焉にともなってJTCは再編されることとなり、R32GT-Rは全日本級のレースで戦う場所を失ってしまった。そんなR32GT-Rが戦えるステージを……ということで、1994年に新たにスタートしたのが全日本GT選手権(JGTC)であった。このJGTC、1993年に数戦だけ試験的に開催されており、この年からR32GT-RはGTへの参戦をスタートした。

 1993年の車両は、前年のスパ24時間レースで炎上したグループAの車両をベースにニスモが製作したもので、駆動方式は4WDのままとなるなど、メカニズム的にはほぼグループA車両といえるスペックのマシンだった。しかし、グループAにはない派手なエアロを纏い、これが翌年から始まるJGTCでもスタンダードなスタイルとなっていくのだった。

 翌1994年になるとJGTCが本格始動。前年にはニスモが製作したR32GT-R、シルビアという2台だった参戦車両も大幅に増え、R32GT-Rのユーザーも大幅に増加した。そしてこの年からJGTCを走るR32GT-Rには、前年も走った4WD仕様に加え、後輪駆動車も登場。ふたつの駆動方式のR32GT-Rが混走するかたちとなった。

 なかでも前年度チャンピオンのホシノレーシングが走らせるカルソニックスカイラインは、1993年のグループA車からコンバートした4WD車、ニスモが手がけるZEXELスカイラインは、ベースは同じく1993年のグループA車ベースでありながらも後輪駆動へ変更した新車を投入。

 さらにハセミモータースポーツのユニシアジェックススカイラインは、グループAベースではなく、いちからJGTC用のマシンを後輪駆動で製作するなど、グループA時代にもトップチームだったこの3チームは三様のスタイルで、1994年のGT用に新たに車両を仕立てて戦いに臨んでいた。

 そんな1994年のシーズンは、4WD仕様で挑んだカルソニックスカイラインが開幕戦の優勝を皮切りに、2位に2回、4位2回と安定した成績を残して見事前年に続いてシリーズチャンピオンを獲得することに成功した。

 1995年になるとスカイラインGT-Rは市販車がBCNR33型へとモデルチェンジ。それに伴ってJGTC車もR33GT-Rが主力車種となっていき、R32GT-RはJGTCでの役目も終えることになった。

1994年の全日本GT選手権を長谷見昌弘のドライブで戦ったユニシアジェックススカイライン。
1994年の全日本GT選手権を戦ったZEXELスカイライン。鈴木利男がステアリングを握った。
1993年の全日本GT選手権チャンピオンカーは1994年、コクピット館林GT-Rとしてエントリー。ドライバーは袖山誠一と山路慎一が務めた。

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