「鉄道150年」の切手表記に違和感の理由 新橋―横浜の7年前に走った蒸気機関車 「鉄道なにコレ!?」(第34回)

By 大塚 圭一郎(おおつか・けいいちろう)

鉄道博物館(さいたま市)に保存されている「1号機関車」=2018年2月(筆者撮影)

 「鉄道の日」の10月14日を控え、日本郵便は鉄道開業150年を記念した切手を9月21日に発行した。10種類ある84円切手に描かれているのは東海道新幹線の初代型車両「0系」などいずれも画期的な車両だが、切手の片隅にある「鉄道150年」の文字に違和感を抱いた。その理由は、9月23日に西九州新幹線が走り始めた長崎県に通じる―。(共同通信=大塚圭一郎)

 【鉄道の日】日本で最初の鉄道路線が東京・新橋(現在の汐留地区)―横浜(現在の桜木町駅)で1872年に開業した。日本政府が開設し、開業日は当時の9月12日だった。同じ72年12月に太陰太陽暦から太陽暦(グレゴリオ暦)へ変更され、それまでの1872年12月3日が太陽暦で1873年1月1日となった。開業日は太陽暦の1872年10月14日に当たるため、10月14日が鉄道の日に定められた。鉄道の日やその前後には、鉄道会社などが記念イベントを広く開催している。

 ▽鉄道開業150年が新幹線開業に勝る!?

交通新聞社発行のJR時刻表2022年10月号の表紙

 「JR時刻表」(交通新聞社)の2022年10月号の表紙は、新橋―横浜の列車をけん引した蒸気機関車(SL)の「1号機関車」の写真を真ん中に載せた。鉄道開業のために英国から輸入された10両のSLの一つで、1871年に英国で製造された。1997年に国の重要文化財に指定され、現在は鉄道博物館(さいたま市)に所蔵されている。
 表紙のほぼ半分のスペースを占めている1号機関車の写真を挟み、上に「西九州新幹線開業!!9月23日(金・祝) JR九州ダイヤ改正」と記載し、下では鉄道開業150年を記念した巻頭特集を紹介している。
 一見すると、表紙のうち1号機関車の写真から下の3分の2を鉄道開業150年が占めているように映る。西九州新幹線開業、およびそれに合わせたJR九州ダイヤ改正を紹介したスペースを圧倒しており、長崎県在住者からは「西九州新幹線開業も、さすがに鉄道開業150年には勝てなかったか」との声を聞いた。

 ▽意味深な表紙

 ところが、この表紙レイアウトは意味深で「長崎県関連の紹介が表紙の3分の2を占めている」とも受け取れる。すなわち、鉄道開業150年と同じだけのスペースを割いているという見方だ。
 というのも1号機関車は新橋―横浜などで活躍後、政府が1911年に長崎県の私鉄、島原鉄道に払い下げた長崎県ゆかりの存在でもあるからだ。30年に引退して保存されることになった際、島原鉄道は「初代社長である植木元太郎が、苦楽を共にしてきた機関車ゆえに、別れを惜しみ、感謝の意を込めて『惜別感無量』と記したプレートを車体左側タンク部分に取り付けました」(同社ホームページ)という。
 鉄道開業150年と、西九州新幹線の部分開業に沸く長崎県の二つの慶事をともに祝福する。そのためにJR時刻表の担当者が工夫を凝らし、双方の顔を立てるために編み出したのがこの表紙レイアウトだったというのが筆者の見立てだ。

 ▽「鉄道発祥の地」の記念碑がある場所は…

 一方、日本の鉄道の大きな節目に登場した切手に記された「鉄道150年」に違和感を覚えた理由も長崎県に行き着く。その根拠となるのが長崎市の医療機関「長崎みなとメディカルセンター」の前に立つ「我が国鉄道発祥の地」と記された記念碑だ。

長崎市にある「我が国鉄道発祥の地」の記念碑=9月(吉村元志氏撮影)

 東京・新橋界隈でも、横浜市でもなく、どうして長崎県にあるのか。それは1865年に記念碑がある場所から海岸沿いに敷かれた線路を英国製SLと連結した2両の客車が人を乗せて運行されたからだ。新橋―横浜に鉄道が開業した7年も前のことだ。
 長崎市が建立した記念碑の脇にある説明文は「この運転は営業を目的としたものではありませんでしたが、蒸気機関車の運行としては日本で最初のものでした」と説明。黒い鉄の塊が煙をもくもくと吐きながら駆ける様子に「集った人々は驚きの歓声を上げて見物しました」という。

記念碑の脇の説明文=9月、長崎市(吉村元志氏撮影)

 走らせたのは長崎市の名所「グラバー園」にある国の重要文化財、旧グラバー住宅の主だった英国人貿易商トーマス・グラバー。英国から中国へ輸出しようとしたSLや客車を日本に持ち込み、売り込もうとしたようだ。
 線路幅は三重県内を走る三岐鉄道北勢線、四日市あすなろう鉄道と同じ762ミリのナローゲージだったと推定されている。長崎で線路を敷いた距離は約400メートルと言われているが、約600メートルだったとの説もある。

 ▽節目の好ましい言い方は

 長崎で人を乗せたSL列車が走ってから2022年で157年。この史実を踏まえると、新橋―横浜の鉄道開業を記念した切手の「鉄道150年」という表記がふさわしいのか首をかしげてしまうのだ。
 それでは、この節目を何と呼べばいいのか。長崎で実施されたのはあくまでもSL列車のデモンストレーション走行で、営業運転ではなかった。このため、JRグループが広く使っているように日本での「鉄道開業150年」といった言い方ならば適切だ。
 私は長崎新聞政経懇話会で20年2月に長崎市と長崎県佐世保市で講演させていただいた際に「日本初の鉄道は長崎に通ず!」と強調したスライドを用意した。長崎はグラバーによるSL列車走行、1号機関車の払い下げを受けた島原鉄道にとどまらず、鉄道模型が日本に持ち込まれて紹介された先駆けにもなった歴史に敬意を表したかったからだ。
 1853年にロシア海軍のエフィム・プチャーチンが率いる4隻の軍艦が長崎に入港した際、停泊した艦上でSLの模型を日本人に見せた。これは米海軍のマシュー・ペリーが2度目となる来日を果たし、SL模型を持参した1854年より1年早い。
 だが、長崎県で刻まれた鉄道のマイルストーンが語られる機会は決して多くない。地元の鉄道愛好家団体「長崎きしゃ倶楽部」の吉村元志代表世話人は「今年は鉄道営業としては150年となりますが、初めて長崎で鉄道が走ったことが取り上げられないのは地元民として残念でなりません」と話す。その上で「西九州新幹線の開業の機会でもありますので、このことがもっと多くの人に知っていただければと願っています」と期待する。

4編成並んだ西九州新幹線「かもめ」の車両N700S=9月11日、長崎県大村市(吉村元志氏撮影)

 西九州新幹線の武雄温泉(佐賀県武雄市)―長崎の部分開業で博多―長崎の所要時間が最短1時間20分と開業前より30分短くなった2022年は、大きな節目を迎えた日本の鉄道にとって“起点”の一つとなった長崎県を訪れる好機とも言えそうだ。

西九州新幹線を走る「かもめ」=9月12日、長崎市(吉村元志氏撮影)

 ※「鉄道なにコレ!?」とは:鉄道と旅行が好きで、鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」の執筆者でもある筆者が、鉄道に関して「なにコレ!?」と驚いた体験や、意外に思われそうな話題をご紹介する連載。2019年8月に始まり、ほぼ月に1回お届けしています。ぜひご愛読ください!

© 一般社団法人共同通信社