ザ・ビートルズ『Revolver』解説その①:新たな時代の到来と脱アイドル宣言

2022年10月28日に発売されるザ・ビートルズ『Revolver』スペシャル・エディション。この発売を記念して、『Revolver』の解説を連載として掲載。その第1回目。

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『Revolver』発売までの流れ

『Revolver』発売から早50年どころか56年。特に21世紀に入ってからザ・ビートルズの最高傑作の一枚と言われる機会が増えたこの名盤について、まずは発売までの流れを追ってみる。

『Revolver』が発売されたのは1966年8月5日のこと。66年といえばビートルズが日本にやって来た記念すべき年でもあったが、日本だけでなく、世界中に「ビートルズ台風」吹き荒れた激動の1年となった。

2022年は、ビートルズが1962年10月に「Love Me Do」でデビューしてからちょうど60年となる節目の年である。そして1970年に最後のオリジナル・アルバム『Let It Be』が発売され、4人はビートルズからソロへと活動の幅を広げていったわけだが、7年ほどの「現役時代」を、前期・中期・後期の3つや、前期・後期の2つに便宜的に分けることが多い。

アルバムで言うと、1963年の『Please Please Me』から1964年の『Beatles for Sale』までが前期で、1965年の『Help!』から1966年の『Revolver』までが中期、そして1967年の『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』以降が後期、という具合だ。世界的な人気の広がりやコンサート活動を軸に置くと、その区分はわかりやすい。

一方、アルバムやシングルのレコーディングを軸に置くと、前期と後期の2つに分けるほうがいい。上に倣ってライヴ活動の流れのままだと、前期は1963年の『Please Please Me』から1966年の『Revolver』までで、後期は1967年の『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』からになる。長らく入門編として親しまれてきた通称“赤盤・青盤”も、アルバム名にあるとおり、1966年までが前期で、1967年以降を後期というふうに振り分けている。だが、ビートルズのサウンドの変遷をたどっていくと、『Revolver』から後期が始まるといったほうがすんなりいく。活動状況をみても、1966年4月の『Revolver』のセッションからビートルズは新たな道を歩み始めたのがわかるからだ。

新たな道

1962年に「Love Me Do」でレコード・デビューしてから「4人はアイドル」として3年以上、ほとんど休みもなく走り続けてきたビートルズは、ライヴ・バンドとしても確固たる地位をすでに築いていた。しかし、1965年の『Rubber Soul』のセッションでレコーディングの醍醐味を知るや、活動の軸をステージからスタジオへと徐々に移すようになる。少なくとも意識の上では「アイドル」の良し悪しを肌身で感じできたに違いない。

ファン・サービスがアイドルとしての宿命であるとするならば、1966年以降の4人は、「自分たち」のための次なるステージへと目を向けていくようになった、と言ってもいいだろう。ライヴ活動がすでに野球の消化試合のようなものになっていたことは、4人のこんな発言からも伺える。

「僕らは蝋人形同然だった。ファンは演奏を聴かず、突進するのに夢中だった。コンサートは、演奏とは何も関係ない儀式みたいなものでしかない」(ジョン)

「ツアーを続ける価値があるだろうかと思った。僕らは飽きていたんだ。何年にもわたるホテル暮らしから疲れ切ってしまった」(ポール)

「ビートルマニアにもうんざりしていたんだ。もはや名声や成功を素直に喜べる状態になかった」(ジョージ)

「コンサートは退屈なだけでなくミュージシャンとしての技量も落ちていった。寝ているとき以外、常に人に囲まれているプレッシャーも相当なものだった」(リンゴ)

そして『Revolver』の制作でスタジオ入りするまでの3ヵ月間、4人は長期休暇に入った。当初は1966年の初めから3作目の主演映画『ア・タレント・フォー・ラヴィング』の撮影が始まるはずだったが、制作が中止となった。脚本の不出来もその一因だったとは思うが、すでにやる気がなかった、ということだろう。4人が音楽活動からこれだけ長い期間離れたのは、デビュー前の1960年、まだクォリーメンやジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグスを名乗っていた時以来のことだった。その結果、それまでは実質1、2週間で完成させていたアルバム制作が一気に5週間に膨れ上がった。

スタジオでの革新的な音作り

「進歩するにはスタジオしかなかった」とポールがのちに語っていたように、それまでの数年間、ライヴ活動につぎ込んだエネルギーをスタジオでのサウンド作りへと傾けるようになる。曲にもっともふさわしいアレンジへと煮詰めたり、ミキシングにも積極的に関わったりするようになっていった。当時19歳だったジェフ・エメリックという野心的なエンジニアと組んだのが何より大きかった。ジェフは、1962年(まだ16歳!)以降、セカンド・エンジニアとしてビートルズのセッションにもしばしば立ち会っていたが、前任のノーマン・スミスに代わって『Revolver』のレコーディングから本格的にエンジニアとして関わることになり、ビートルズの革新的な音作りに手を貸すことになった。

ジェフの豊かな発想力により、逆回転やループなどのテープ操作や人工的なダブル・トラッキングを施したヴォーカル処理(その後ADTとして定着)のほかに、マイクの立て方など録音自体にも大きな変化が生まれた。さらにシタールやタブラなどのインド楽器、サウンド・エフェクト、ブラス・セクションなどを導入し、“ロック”の枠を優に超えたサウンドと“ラヴ・ソング”から逸脱した歌詞を盛り込んだ革新的なアルバム『Revolver』の制作は4月6日から6月21日までの2か月半で終了。映画『ヘルプ!』公開からわずか1年にしてビートルズは、サウンドにも歌詞にもサイケデリックな香りをまぶした斬新なアルバムで、新たな時代の到来を高らかに宣言。それは脱アイドル宣言といってもいいものだった。

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ザ・ビートルズ『Revolver』スペシャル・エディション
2022年10月28日発売

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