コテンのメタ認知で爆速化した、嬉野のシビックプライド

歴史をおもしろく伝えるPodcast「コテンラジオ」を運営する「株式会社COTEN(以下、コテン)」を様々な角度から追いかけている「コテンリレー」。今月は隔月でお届けしている法人COTEN CREWの方に「コテンラジオ」の魅力を伺う「私とコテンラジオ」をお届けします。

法人COTEN CREWの方々に、コテンラジオとの出合いやビジネスにおける影響などをお聞きする「私とコテンラジオ」、第三回は「株式会社大村屋」の代表取締役・北川健太さんにご登場いただきます。

継ぐ気のなかった実家を継いだことで見えてきた、地域の社会課題

まずは北川さんのビジネスについてお伺いしました。

北川
弊社は嬉野にて、天保元年創業の旅館を営んでいます。「大村屋」という屋号です。私で15代目になります。

天保元年は、1830年ですのでまもなく200年を迎えることになりますね。しかも、北川さんはその15代目。物凄い歴史ですね。

北川
大正時代に大火事があり、資料があまり残っていないのですが、文献によると参勤交代の時代からあることは間違いがないようでして、これまでに様々な出来事があったとは思いますが、続いているのは凄いことだなと私も思います。

生まれたときから実家が旅館業だったことを自覚された上で、いずれは継ぐと決めていたのでしょうか。

北川
いやぁ、学生時代は継ぎたいと思っていたわけではないです。もともと音楽が大好きで、音楽雑誌の編集者になりたかったんです。大学も、マスコミ専攻の分野を選択していました。

ただ、その学生時代にアルバイトでインターコンチネンタルホテルのベルボーイをしていたのですが、そのときに、一流のおもてなしをするホテル業のおもしろさを実感しまして。

こういうことをやってみたいと思っていた際に、先輩から「だったら実家でしたらいいじゃないか」と言ってもらい、「あぁ、そうか」と。一度外に出たからこそ、見えてきた世界だったように思います。

そうして、一度社会に出たあと、祖母が社長をやっていた2008年に倒産の危機に直面しました。もうこれまでかなと思っていましたが、地元の方々が「ここまでの歴史があるのに、潰すのはもったいない」と動いていただき、事業再生でなんとか残す道を得ました。その際に、自分が15代目を継ぎました。

決して順風満帆ではない状態での事業承継だったんですね。しかし同時に、この歴史は一朝一夕で紡げるものではないことにも気づけた、と。

北川
そうなんです。実際自分が代表となったあとも、近隣で倒産して廃業していくお宿さんを目の前で見て、たまらない想いもしました。つまり、自分の会社だけがどうこうという視点ではなく、嬉野の温泉街としての道を考えていく必要があると気づいたんです。

まさに、地方創生の視点ですね。

北川
はい、そうした想いから、同世代の仲間と勉強会をしたり温泉街で様々なイベントしたりしてポジティブな息吹を町に根付かせようとしました。縁あってFM佐賀で番組を持たせてもらっています。そうした音声コンテンツを通した活動が、コテンとの出逢いにもなりました。

レッツ!ビートルズ https://www.lets-beatles.com/

音楽雑誌の編集を目指していた北川さんの大好きなビートルズについて語る番組。ビートルズ×嬉野温泉という異色の組み合わせですが、こういう誰に響くのか未知数な状態でコンテンツを作り出せるのは現代ならではなのかもしれません。

プロセスエコノミー的活動の先にいた、コテンラジオ

法人COTEN CREWとしてコテンラジオのポスト資本主義にも共感を示されていますが、北川さんとコテンラジオとの出逢いを教えてください。

北川
はい。旅館業は、多分に漏れずコロナの影響を受けました。何かやらなきゃ、と思っていたときに、Podcastを思い付いたんです。いまも続けていますが、「嬉野談話室」という番組です。もう50回を超えました。

嬉野談話室 https://anchor.fm/ureshino

Podcastをやっていると、自然と耳に入ってくるし友人に薦められたのが「コテンラジオ」でした。あまり歴史が好きじゃなかったのですが、もう、吉田松陰の回で一気にファンになったのを覚えています。「こういう話を授業でしてくれたら、みんな絶対歴史好きになるのに!」と。

吉田松陰の回のことをおっしゃる方は本当に多いですね。インパクトが凄いですし、きっとずっと忘れないエピソードです。そしてまた、吉田松陰という人のいい部分もダメな部分も含めて、パーソナリティとして「知ってる人」という身近な存在になっている気がします。

北川
本当に。それ以降どのエピソードもおもしろくてハマっていきましたし、私自身の仕事にも大きな影響を与えてもらいました。

特に、歴史を振り返ることの大切さは、嬉野のシビックプライドを考えることにつながりました。見せ方次第で結果が変わることも実感しました。

実はある日、祖父が趣味で撮っていた、昔の何気ない風景写真が出てきたんです。そのとき、歴史を残すこと、アーカイブすることの大切さに気付きました。

新しいものや最先端のものも大切ですが、大スターじゃなくても食べていける、そんな時代に突入しつつあることをコテンが教えてくれたように思っています。

旅館にも「こうあるべき」を求めているけど、それって本当なの?と…。

僕らの世代は、ITの波に乗って、様々なデバイスが更新されてきて、本当に多くのプラットフォームを乗り継いできていますが、もうそろそろ、プラットフォームに頼らない、カスタマーの多様性に本気で寄り添うタイミングにきているように思います。インディーズバンドがインディーズのまま食べていいじゃない、と。メジャーから声がかかることだけがゴールじゃないよね、という考え方です。

嬉野のことを、そういう身の丈にあった嬉野の良さを維持しながら発信していけたらという実証実験として、つい最近、「嬉野温泉 暮らし観光案内所」というnoteを始めました。

嬉野温泉 暮らし観光案内所 https://note.com/ryokanoomuraya/m/m671dbf110273

このnoteの中で、クラウドファンディングもスタートしています。祖父の写真の中にあった嬉野は、いまも目の前にあります。この光景をそのままの形で「いい!」と思ってもらえる人とつながっていく。この活動は、コテンのプロセスエコノミーとも通じますし、私の願いも、未来への投資です。高級旅館が好きな人はそういうところに行けばいいし、嬉野の持つ雰囲気が好きな人は嬉野に来てもらったらいい。どちらも存在できる、スペック合戦で闘い疲れない未来に投資したいと考えています。

音楽雑誌の編集者を目指していた時代に培った編集のスキルも、アルバイトで気づいた旅館業の魅力も、実家を継いで感じた嬉野の歴史も、自社だけでなく地域社会へのまなざしを持って事業に取り組む必要性も、北川さんのフィルタをぐんぐんと通って形になっています。

不確定要素の多いちょっと先の未来も、こんな若旦那のいる街ならなんとか乗り越えていける、そんな心強い存在として、これからも嬉野のシビックプライドを盛り上げていかれるのだと思います。

コテンの活動は、「この指止まれ」とコテンが表明してくれたことで、全国各地でモヤモヤとポスト資本主義に気づきつつその想いを顕在化させることのできなかった人たちの背中を押したのではないかと。

コテンの活動から、様々な科学変化が起きようとしています。これからも、そんな輝きの「初めの一歩」を追いかけていきたいと編集部も熱い想いをいただきました。
北川さん、ありがとうございました!

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