愛生園 入所男性の解剖録一般公開 全国初 「生きた証し」と遺族希望

木村仙太郎さんの解剖録などが並ぶ会場と木村真三さん

 瀬戸内市の国立ハンセン病療養所・長島愛生園に残っていた入所者約1800人分の「解剖録」のうち、1941年に亡くなった男性1人の記録が6日、報道機関に公開された。男性の遺族が「生きた証しを残し、偏見・差別の解消につなげたい」などとして公開を希望、同園歴史館で7日から来年3月末まで展示される。同園によると、全国13の国立ハンセン病療養所で入所者の解剖録が一般公開されるのは初めて。

 遺族は独協医科大准教授の木村真三さん(55)。祖父の兄に当たる木村仙太郎さん(1886年生まれ、愛媛県出身)が1939年に愛生園に入所し、そのまま園で亡くなった。

 仙太郎さんの解剖録は用紙5枚(各縦33センチ、横22センチ)で、死因とされる結核の病変が肺に見つかったことや、ハンセン病の後遺症のためか両手の指が失われていたことなどを医師が記している。ドイツ語を交えてあり、展示では翻訳文を付けた複製も並べている。

 仙太郎さんのカルテや死亡届も併せて公開。カルテには入所時に撮ったとみられる仙太郎さんの上半身の写真も添付されていた。山本典良園長は「カルテを読む限り、ハンセン病の治療を行った形跡がない」と指摘。既に自然治癒していたが、患者を療養所へ送る無らい県運動が各地で盛んとなる中、入所を余儀なくされた可能性があるという。

 木村さんは「個人史としてだけでなく、ハンセン病の歴史を考える上でも貴重な資料。同様の資料が適切に保管・活用されるきっかけになれば」と話している。

 午前9時半~午後4時。月、金曜、年末年始は休み。

カルテに添付されていた木村仙太郎さんの写真(1939年ごろ撮影)
公開された木村仙太郎さんの解剖録。両手の指が失われていたことなど亡くなった時の状態がドイツ語を交え記されている
木村仙太郎さんの解剖録の写し。ハンセン病の後遺症のためか、両手の指が失われていたことなどが記されている。展示に当たって翻訳文を付けた

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