長崎くんち “4世代共演”夢見て 新大工町、根曳の高木さん 壇尻前に決意新た

7年ぶりに壇尻を曳く高木さん(中央)=長崎市出島町

 諏訪神社(長崎市上西山町)の秋の大祭「長崎くんち」で、もともと新大工町は今年の踊町(おどりちょう)として曳壇尻(ひきだんじり)を奉納するはずだった。同町で生まれ育った高木(たかき)淳平さん(40)は祖父からの“4世代共演”を夢見て日々鍛錬を重ねてきたが、奉納踊りは3年連続で中止となり、出番もさらに先送りに。それでも、7日開幕のイベント「ながさき大くんち展」のため久々に姿を見せた壇尻を前に「いつか本番の舞台で」との決意を新たにした。
 壇尻は方形の山車(だし)。かつては12カ町ほどが奉納していたが、現在は新大工町のみで、記録が残る1901年以降続けている。86年に現在の朱塗りの壇尻に新調。当時、同町の奉賛会長だった祖父庄藏さん=93年に81歳で死去=の名前が天井部分に筆書きされている。
 高木家は呉服店を100年以上営み、創業時から同町のくんち衣装を手がけてきた。78年以降は父哲郎さん(71)が引き継ぎ、演(だ)し物の曳壇尻と詩舞(しぶ)を支えている。
 淳平さんは5歳の頃、先曳(さきびき)として初出演。就職や転勤でしばらく長崎を離れたが、2015年に念願の根曳(ねびき)として諏訪の舞台を踏んだ。20人が3日間交代することなく、重い壇尻を曳き歩き、豪快に回す。そのうち「全身がぼろぼろで動かなくなる」ほどだが、最終日には不思議と疲れや痛みはなかった。むしろ、終わってしまうのが寂しく、「ずっと回し続けられるほど心が燃え上がった」という。
 祖父の名が残る壇尻を曳き、父が仕立てた衣装の長着を着る“3世代共演”。うれしいだけでなく、伝統を引き継ぐ責任に気が引き締まる思いだった。
 7年後の今年、再び踊町の出番が回ってくるはずだった。2児の父となり、子どもたちがいずれ囃子方(はやしかた)や根曳になれば“4世代共演”が実現する。だが新型コロナウイルスの影響で順番がずれ込み、新大工町の出番は最短でも25年に。囃子方には目安の年齢があり、長女絢乃ちゃん(5)は25年では届いておらず、その次には超えてしまう。
 「7年に1度だから、1年ずれるだけで出られなくなることもある」。淳平さんは悔しさをにじませがらも、長男一織(いおり)ちゃん(1)と一緒に出演する日に望みをつなぐ。そのため筋トレを日々欠かさず、急勾配や階段を駆け上がり、足腰を鍛え続けている。
 大くんち展会場へ各踊町が曳物を運んだ2日、壇尻を曳く父の姿を初めて見た絢乃ちゃんと一織ちゃんの目は輝いていた。7年ぶりに壇尻と“再会”した淳平さんは「やっと帰ってきたな、という感じ。早くくんちが戻ってきてくれたら」と未来を見据えた。


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