「脳脊髄液減少症」乗り越え準V 日本スポーツマスターズ・テニス男子シングルス 松永

「テニスを通じて少しでも勇気や喜びを届けられたら」と再出発した松永=諫早市、県立総合運動公園テニスコート

 日本スポーツマスターズ2022はこのほど、岩手県内で行われ、テニス男子シングルスに初出場した松永雅俊(tennissalon雅)は「脳脊髄液減少症」を克服して準優勝。髄液が漏れて激しい頭痛などを引き起こす一方、診断が難しく認知度も低い病に2018年から悩まされてきた。かつて実業団選手として国体にも出場しながら昨年末に退職。個人で再出発した37歳は「マイナーな病気を知ってほしい。テニスを通じて少しでも勇気や喜びを届けられたら」と意気込む。
 両親の影響で小学6年から本格的に競技を始め、大村中、大村高、佐賀大を経て親和銀行(現十八親和銀行)に入行。「小さい頃から環境は決して恵まれていなかった。雑草魂、ハングリー精神でやってきた」。実業団選手になって2年目の08年大分国体に出場し、その後も仕事と両立して県内外の各種大会で活躍。だが、18年6月に突然の病で日常を失った。
 「意識が飛びそうなくらいの頭痛や上半身のしびれ、硬直。いきなりおかしくなった」。複数の病院で検査したものの、原因は不明。「脳脊髄液減少症」と聞き慣れない診断が出たのは約1カ月後だった。横たわるときなど調子がいいこともあるだけに「怠け病」と揶揄(やゆ)される可能性があるのも病気の特徴という。
 自らの血液で髄液の漏出部をふさぐ治療「ブラッドパッチ(硬膜外自家血注入)」を重ね、今年になってようやく「ほぼ改善」した。ただ、仕事は最初に症状が出た後、復職することなく昨年末に退行。「テニスを忘れようともしたけど、一度きりの人生だから自分の気持ちに素直にやろうと思った」。県内全域でテニスサロンなどを展開する事業を少しずつ始めた。
 学生時代に幼稚園、小中高の教員免許を取得。現在は小学生から70代までを教え、自らも競技者として復帰した。6月の日本スポーツマスターズ県予選で以前のチームメートらを下して優勝。全国でも結果を出した。苦難を乗り越えた再挑戦に「家族や周囲の支えのおかげ。本当に良かった」。
 大村市在住。今後も活動の幅を広げたいと意欲的で「まず自分自身が強くないと説得力がないので大会には出続けたい。エリート街道イコール上達ではない。今までの経験をもとに“自分でもやれる”と多くの人に感じてもらいたい」と誓う。


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