【F1日本GP特別コラム/山本尚貴】思い出す角田裕毅との講師時代のエピソード。F1鈴鹿での再訪と旧友たち【前編】

 スーパーフォーミュラ、スーパーGTでチャンピオンに輝いた山本尚貴。現役の国内ドライバーが3年ぶりのF1日本GP、そして今年の新規定のF1マシン、現役のF1ドライバーをどのように見るのか。オートスポーツwebならではの、日本GPスペシャル企画第1弾をお届けします。

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 みなさん、こんにちは。レーシングドライバーの山本尚貴です。今回、オートスポーツwebさんの取材依頼で、F1日本GPの予選日にコースサイドで走りを見て、今のF1マシン、ドライビングについて解説してほしいという依頼を頂きましたが、まったくもって、外から見てクルマの個々の動きがわかるほど、自分の見方に自信がありません(苦笑)。

 ですが、コースサイドでF1マシンの走りを見ることができるのは非常に貴重な経験になりますし、トップカテゴリーに上がると、外からクルマの走りを見る機会はあまりないので、貴重な機会だと思い、依頼されたハードルは高いですが、コースサイドで見て感じたことを伝えさせてもらいたいなと思います。

 そもそもですが今回、F1日本GPに僕が来たのは、HRC(ホンダ・レーシング株式会社)の40周年記念イベント、そしてタイトルスポンサーがホンダということで、スーパーGTのGT500クラスでチャンピオンを獲得した2018年のRAYBRIG NSX-GTのデモランを担当することになり、金曜からの3日間、鈴鹿に来場しました。そのなかで、オートスポーツwebさんからの依頼を頂いたわけですが、今までそういう解説をしたことがないので、まったく不安です(笑)。

 デモランの機会を頂けたことは、非常にうれしく思っています。今年、四輪のモータースポーツがHRCに統合されて、HRCとして再ブランディングが必要な初年度に、こういったスーパーGTで自分がチャンピオンを獲ったマシンで、ホンダがタイトルスポンサーとなったこのF1日本GPを走る機会を頂くというのは、誰もができることではないので非常に光栄です。

 しかも、自分がはじめてスーパーGTでタイトルを獲った2018年の時のパートナー(JB/ジェンソン・バトン)が、デモランの時に同じサーキットにいました。乗り終わってクルマを降りたときに「ナオキ!」って大きな声で呼びかけられて、どこのファンの方かなと思ったらJBがピットウォールで大きく手を振ってくれていました。一緒に戦った2019年以来、なかなか会える機会がなかったので、僕もひざびさに会えてうれしかったです。

デモラン後にはジェンソン・バトンが山本の元へ駆けつけた

 JBはイギリスのSKYスポーツのF1コメンテーターとして鈴鹿に来ていたのですが、僕が走ることを知らなかったみたいで、モニターの中継でRAYBRIGのマシンが走っているのを見て、駆けつけてくれたみたいです。JBも乗っていたクルマなので、僕も『ドライバー交代で待ってるよ』と言ったら、彼は笑っていましたね。

 そのあと、パドックでは同じホンダ陣営としてスーパーGTで走っていた(ロイック)デュバル(フランスの放送局でF1を解説)とも遇うことができました。ロイックとは国内と海外のレース事情とかの話をしていました。ロイックもジェンソンも口を揃えて『またオファーがあったらスーパーGTに乗りたい』と言っていましたね。

フランスのF1解説を務めるロイック・デュバルとパドックで遭遇

 やっぱり、スーパーGTのコンペティション、特にタイヤのコンペティションがあるというのは多くの興味を引いていますよね。今の時代背景的なものもあって、世界的にどのカテゴリーでもシャシー、エンジン、タイヤもワンメイクになってきているなかで、タイヤがマルチメイクのカテゴリーは日本にしかないような状況ですからね。

 F1は車体もエンジンもコンペティションですけど、やっぱりタイヤはレースを面白くする重要な要素ですし、タイヤもマルチメイクはスーパーGTが一番なくしてはいけないものなのかなあと、改めて思いましたね。逆に、それだけF1村の人たちも日本のレースのことを気にしているし、知っている。

 アルファタウリの外国人メカニックさんからも『(スーパーフォーミュラ第7戦)もてぎの優勝おめでとう!』と言ってくれて、結構、嬉しかったです。F1に来ている人たちも日本のレースのことを気にしてくれているし、見てくれている人がいる。国内だけを盛り上げるというよりも、いろいろな国の人が見てくれていることも常に意識しないといけないなあと感じましたね。

 それから(フランツ)トストさん(アルファタウリ代表)とか、(ヘルムート)マルコさん(レッドブル・モータースポーツアドバイザー)とも挨拶ができましたし、金曜午後のFP2ではアルファタウリのピット内でセッションを見させて頂きました。ピエール(ガスリー)も途中で気づいてくれて、こちらに来てくれて、挨拶だけでしたけど遇うことができました。

●生徒と講師の関係だった角田裕毅と山本尚貴。F1ドライバーになっても変わらなかった角田の武器

 3年前ですがFP1でF1に乗ったということがF1村のなかでも認知されていて、アルファタウリのスタッフのみんなも覚えていてくれていた。F1を担当しているHRCのメンバーとも会えて、スーパーフォーミュラやスーパーGTでチャンピオンになったことで、いろいろな方に知って頂くことができて、世界的に活躍されている方と話が出来る機会が得られるというのは、これまでドライバーとして残してきたものの大きさを感じるきっかけにもなりました。

 金曜の時に見ていて思ったのは、僕が乗った2019年の時とはクルマが変わって、PU(パワーユニット)/エンジンはそこまでシステムは変わっていないですが、3年経って現行規定のクルマになって、クルマの形とか重量が大きく変わりましたよね。まず、今のF1マシンを見て予想以上に感じたのは、当然F1なので速いなとは感じましたし、ダウンフォースもすごく大きそうに見えたのですけど、一方で車重の重さが悪い意味で際立っていたように感じました。

 S字の切り返しとか重そうに見えたのですけど、ストレートがやっぱり速いのと、グランドエフェクトでコーナーも上手にダウンフォースを獲りに入っている感じがしたのですが、重量のところだけが気になりましたね。

 この日本GPで注目されている角田(裕毅)については、彼を語るほど、多くのエピソードがあるわけではないですけど、SRS-F(現HRSF)に入って来た当時(2016年)に講師をしていたときに会ったことを覚えています。その時、他にも同期はたくさんいたのですが(笹原右京、大湯都史樹ほか)、当時、誰が僕のところに一番聞きに来ていたかというと、覚えているのはやっぱり角田だったなあと。

 でも面白いのが、角田は聞きに来るので『速くなりたい』という貪欲さはその同期のなかでも一番あったのですけど、それをまだ言葉で表現するのが上手ではなくて、聞きに来ても『どうでしたか?』とか、アバウトな聞き方で、的を得たような質問がありませんでした(苦笑)。

 自分でなんとかしたいのだけれど、それをまだ言葉で表現できる時期ではなかった。何についてどう聞けばいいのかわかっていなくて、でも、とりあえず聞きにきた。面白い子だなあと思っていたことが記憶に残っています。でも、他の若いドライバーが自分のところに聞きに来た記憶がない中で、当時の角田のことだけを覚えているということは、今思うと相手に印象を残すという才能は長けていたのかもしれませんね。

 彼が今、このF1村で特質的なキャラクターを持っていて、(フランツ)トストさん(アルファタウリ代表)とか、(ヘルムート)マルコさん(レッドブル・レースディレクター)とか、主要な人物たちに好かれるのも何かわかりますね。地頭がよくてスマートかと言われたら、お世辞にも当時はそうではなくて不器用で(苦笑)。裏を返せば、言葉にはできないけど唯一、行動に移すことはできていたドライバーだったなあということが印象に残っています。

 当時は見た目もすっごい小さかったですけど、金曜日にアルファタウリのピット内で見せてもらっていたときに彼が気づいて、挨拶に来てくれました。そのときは『カラダ、大きくなったね』って筋肉のことを言ったつもりだったのですけど、『そうですか?! まあ、ちょっと大きくなりました』と、お腹をさすっていました(笑)。いやいや、そこじゃなくて、首とか肩まわりのことを言っているのに(苦笑)。相変わらず面白い子だなあと。レーサーとしても人としても、相手に印象を残すのもひとつの才能だと思いました。

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