【新日本】大張高己社長インタビュー<第1弾>AEWとの禁断の扉、全選手が完走した『G1』、感謝のシンニチイズム、涙の9月声出し大会の裏側を明かす!

新日本プロレスは2022年団体設立50周年を迎え、様々な仕掛けを実施し、早くも4分の3の日数(9ケ月)が過ぎた。

プロレスTODAYでは新日本プロレスの大張高己社長に50周年イヤーについて今年2回目の独占インタビューを実施。

今回はAEWとの合同興行、G1 CLIMAX32の振り返り、シンニチイズムの地方展開、9月の声出し大会、スターダムとの合同興行、約3年ぶりのイギリス大会、50周年の集大成となる来年の1.4東京ドーム、そして10月1日に逝去されたアントニオ猪木さんに対する想いについて多岐に渡り語ってもらった。

今回はインタビュー第1弾を掲載。

①AEWとの合同興行『AEW x NJPW: FORBIDDEN DOOR』について
日時:2022年6月27日(月)
会場:アメリカ・United Center(イリノイ州シカゴ)
観衆:16,529人(札止め)

――今回は50周年イヤーとして4分の3が終わっての振り返りというテーマをさせていただこうと思っております。6月にAEWとの合同興行を開催した「AEW x NJPW: FORBIDDEN DOOR(禁断の扉)」、これはプロレス界にとっても非常に大きい出来事だったなと思っています。しかも観衆も1万6,529人、札止めという入りになりました。この大会を振り返って今の感想はいかがですか?

「50周年の施策の発表したときに『ドリームマッチを実現します』と申し上げました。それで直近で実現したのがノアとの合同興行(1.8横浜アリーナ)であり対抗戦でした。皆様それで打ち止めだと思っておられたかと思います」

――確かにノアとの対抗戦は相当チケットの売れ行きもよかったですし、普段見れない顔合わせでした。でも50周年だから、もしかしたらまだ何か仕掛けがあるのかな?と思いました。

「ドリームマッチでしたね。」

――AEWとつながりをどういうふうに持っていったのかというのはすごく気になりました。

「アメリカに会社を作って、コロナの中でも試合を止めずに、無観客であろうとコンスタントにストロング(NJPW STRONG)やビッグマッチ、そういうものを続けてきたことで、アメリカのリングを軸に人や会社の交流が行われたということだと思うんです。だから、ストロングを通じて皆様お馴染みのメンバーもいるわけじゃないですか。例えば懐かしい顔、(ランス)アーチャーはストロングであったり、リサージェンス(RESURGENCE)とかそういうところにも顔を出して戦ってくれていて。だから、そのリレーションというのは、新日本対AEWへ向けて、新日本プロレスのアメリカ法人であるニュージャパンプロレスリング・オブ・アメリカ、NJoAと我々は呼びますが、そこがあったことで実現したものだと思います。」

――やはり現地法人を立ち上げることによって、その窓口とコンスタントに連絡が取りやすいと。

「私はレスラーではないのですが、きっとレスラーはリング上で肌を合わせることが一番のコミュニケーションじゃないですか。その場所が新日本の場所としてあったということが非常に有意義でした。中2階みたいなものです。間の位置でアメリカ、つまりお互いにホームなんだけどアウェイという状態です。だからアメリカの人たちにとっては、国としてはホームなんだけど、会社としてはアウェイの会社で、その関係を作るには一番適切ですね。完全に物理的にもアウェイ、かつ会社の所属的にもアウェイなリングって、2段階難しいですよね。その間を取れる場所としてアメリカの法人があり、ストロングのリングがあり、ということだったので、それがなかったら恐らく実現していないでしょうね。」

――そのおかげで僕らはドリームマッチを今も見れているということで、非常にうれしい交流だったなと思います。

「新日本プロレスワールドでも発信をコンスタントにさせてもらっていますしね。」

――これは実際、大張社長が現地に行って、この大会前(現地時間・4月20日)に観衆の前に現れたわけじゃないですか。あのときの心境たるものはどんなものなんですか?すごく大変な場に躍り出ていくわけじゃないですか。しかもちょっと臨戦態勢で。

「まず、バレてはいけないと。」

――周囲にも極秘だったのですか?

「はい。控室にもゲストという名前しか書いてなかったです。ほかはみんな実名で書いてあったんですけど。」

――現場でもそうだったんですか?

「もうホテルに入るときからコソコソと。そして会場の控室の名前はスペシャルゲストだったかな。NJPWとは書いていませんでした。だからトイレに行くときもコソコソ行って、ましてやお客さんの前には出れなくて。手塚も行ってたんですけど、アジア人でスーツ着ている人は多分感づかれてしまうので、NJoAのCOOである手塚とも申し合わせて、なるべくお客さんの前に出ないようにしようと。試合の展開やお客様の雰囲気は生で見たかったですけど、中のモニターで見ていました。」

――極秘プロジェクトとして、現地入りして実際ステージに上がった瞬間はどうでした?

©All Elite Wrestling

「すごかったですよ。久々の大観衆でしたから。たしか1万数千人入った会場だと思うんですよね。トニー・カーン(AEW)が先に出ていって、いろいろ想定外のことがあったんですけど、ニュージャパンプロレスリング、オーバリさん!と言って、ドンとわいて、みんなが立ち上がって拍手してくれたんですけど、多分私の名前なんて知らないし、新日本プロレスのプレジデントが来たということがサプライズだったんでしょうね。新日本プロレスの凄みを背中に感じました。これはもう引き返せないな、ここで戦うしかないな、という覚悟が決まりましたよね。」

――大張社長は背が高くて見栄えもいいから、正々堂々とその禁断の扉を開けにいったというその姿勢はすごくよかったなと思いました。歴史的な扉を開けました。でもモード的にはどうするか悩みますよね。

「首相や外交官のような役割じゃないですか。会社と会社のトップがどう触れ合うか、となりますよね。もちろんにこやかに仲良くやるのもある。でも、実際は厳しい臨戦態勢を選びました。今から戦う相手だから、カードをどう組むかが決まっていた状態ではなかったし。戦うカードというのは、対抗戦の部分が少なくともあるだろうから、普通の日本人っぽくにこやかに愛想をふりまくのは違うなと。戦う相手として握手するという。自然と、厳しい顔つきになりました。」

――臨戦ムードがその対抗戦感をしっかり出していて、そこからジェイ・ホワイトが間に入ってきて。

「想定外が二つありました。トニー・カーンがどう動く、そしてどのタイミングで呼ぶか。それで、先にリングに上がってもらうはずでした。分かった、じゃあ俺は呼ばれたらリングまで行けばいいのね、と。いつも私は神聖なリングに上がるときには靴を脱ぐので、いつも通り靴をちょっと緩めてるんです。生放送だしスムーズに上がらなきゃいけないかなと思って。それで、ゲートから出てきて、私はパッと周りを見渡しながら、前に進んでいるんです。なんでかって、リングに行こうとしているから。そしたら、気づいたらトニー・カーンは後ろにいたんです。」

――あれ?って。

「ゲートを出たところで待っていたんです。だから画的に私が上から握手をガシッてしているように見えるじゃないですか。あれは私が勇み足で前に出でしまっているからなんですよね。」

――なるほど。画角的にそうなっちゃうと。

©All Elite Wrestling

「背の差もありますけど、余計に上からかぶせるようになってしまったのは不可抗力だったんです。正面カメラから追うと私がすごくかぶっちゃうという。それと、いろいろ話そうと思っていたのは全部ジェイに持っていかれたという。あれには驚きました。めちゃくちゃ私、ジェイを睨んでいたと思います。なんでお前出てきたんだ?と。」

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――だけどジェイは一応新日本プロレス側の人間ですからね。

「新日本と言うよりも、あのときはBULLET CLUBとして来た感じで中断させられちゃったんですけど。バックステージインタビューでは言いたいことは言えたんですけど、完全に言いたいこと持っていかれましたね。ジェイが話している間、私はトニー・カーンに、どういうことだ?と聞いてるんですね。」

――いや、俺も分かんないよ、ってなっちゃいますよね。AEWとの対抗戦という部分では、まだまだこれからも禁断の扉は開き続けていってほしいです。

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「お互いに両方の主力の中のメンバーで欠場者いましたからね。(高橋)ヒロム選手も出れなかったし、向こうはCMパンク、ダニエル・ブライアンも出てないですよね。」

――まだまだ夢のカードというのはこれからも残っているなという感じがしますよね。

「率直に言って、実現した夢のカードは、ほんの一握りという印象ですね。」

――そうですね。

「出場選手という意味でも組み合わせとしても、シングルタッグの別としても、ほんの一握りだから、普通に考えると続きはみたいですよね。」

――見たいです。やっぱりカール・アンダーソンやドク・ギャローズ、そしてランス・アーチャーも日本で活躍していた選手がまたこちらで見れるという。各々の成長した姿というのが、ファンにとっては幻想が膨らむ部分なので、そこがリアルでまた見れるというのはすごくうれしいですね。

「点じゃなくて、新日本プロレスワールドで、前回の『AEW x NJPW: FORBIDDEN DOOR』からの流れも追えるわけじゃないですか。AEWの流れも追えるし、もちろん新日本の流れも追えるわけなので、両方見て色々コメントを頂ければと。私は、そういったファンの皆様の醸成する機運というものには敏感な方だと思います。」

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――AEW側にとっても日本のファンの開拓というか、AEW DYNAMITEなんかはTwitterのスポーツトレンドにも入ってくるようになりましたし、そういう部分ではお互いにとってプラスに働いているのかなという気はしました。

「PPV(ペイパービュー)もやりました。日本のお客様は、簡単に向こうに行けるタイミングではなかったので、PPVを買っていただく手段しかなかったんですけど。海外の大会、それから海外から見た日本の大会って、海を越えて、言語を越えるだけでハードルが上がるんですよね。日本の企業として新日本プロレスはアメリカで試合やったり、UKでもやったりしますが、地元の国でやるのとは運営やコストの面で、破格にハードルの高さが違うんです。大きな事業リスクを取らないといけません。なので、例えばAEWが単独で日本のお客さんに対してプレゼンスを上げようとしても結構苦しいところはあると思うんです。新日本プロレスと戦うことで、AEWの人たちってこんなに強いんだ、とか、逆にこの選手はこのレベルなんだな、というのが分かったと思います。

プロレスのマーケットってアメリカは大きいとはいえ、メジャーリーグとかNFLのサイズとは全然比にならないので、グローバルな意味でのプロレスマーケットを、我々は例えばメキシコではCMLLとか、イギリスではRPWとか、各地にパートナーがいますので、グローバルな意味でのプロレスマーケットを協力して盛り上げていくというところではぜひ継続的に協力したいなと思いますよ。それは戦う、向かい合うことでそれに貢献できるかも分からないし、それはいろんな形があると思います。」

――ファン目線では非常にうれしいという声が圧倒的に多いので、また引き続きこれからも継続的にやっていただきたいなと思っております。

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②G1 CLIMAX32の振り返り(コロナ禍でも参戦選手が完走できた要因や感じた事)

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――真夏に行われた『G1 CLIMAX32』の振り返りということで、私が一番すごかったなと思うのは、コロナ禍でも参戦選手が皆さん完走できた事。これは企業努力の賜物であって、なおかつ選手、スタッフ全員が一致団結しないとできなかったことだと思うんです。これを代表者の大張社長として、どのようにそれをやってきたのか。みんな一致団結して乗り切っていくための秘訣みたいなものは、振り返ってみていかがですか?

「これは、企業秘密ですね(笑)」

――(笑)。しかし間違いなく思いっきり沢山の感染対策を講じたわけですよね?

「そうですね、順を追って話すと、今回のG1 CLIMAXは人数しかり、あと海外から渡航してくる選手が半分いましたね。トータルでは28人の参戦、過去最多クラスだと思います。あとは、原則全選手を全大会でご覧頂ける、というポリシーでした。なぜかというと、コロナ禍で止まってしまった来場習慣をもう1回皆さんに呼び起こしたいというか、もう1回習慣を再起動してもらいたいというのがあったので、これでもかというぐらいに閾値を大幅に超えるものを、来場するかどうか迷うんじゃなくて絶対に行くという大会にしたかった反面、さっき言った人数の面、海外から半分来るということ。それから常に毎日戦いがある、毎大会全選手に出番がある。これはコロナが一番喜ぶ、コロナリスクが最も高いシリーズなんです。連戦で欠かすことができない、一人も欠場できない。だから、覚悟を決めましたね。普通にやったら絶対どこかで感染者が出でしまうと。

もちろんケガもあるし、あと海外から渡航してこれないというのも大きなリスクです。あのときはまだPCRの検査が必要だったんです。PCRがもし陽性だった時の対応など、いろいろ考えて対策は打ったにしろ、来れないリスク、離脱するリスク。そもそもプロレスとしてのケガのリスクなどがある中で、コロナのリスクがあって、なおかつ1大会じゃない、全大会完走しなきゃいけない。しかも50周年、5万人のご来場を目標にしますと公約もして、退路を絶ったという状況に自分で追い込んだ大会でしたね。」

「私はレスラーではないので、戦いをどうこうということは、言ったこともないし言うつもりもないです。だけど、選手、社員、全員にお願いしたのは、「とにかく完走しよう」ということです。心の面で言うと、完走するという目標にみんなで一致団結したということ。あとは、2年半前のパンデミックが始まったときから、私はコロナ対策のトップでずっとやってきたので、いろんな検査であったり、予防策も発症したときの対応も、ずっと陣頭指揮を執ってきて、いまだにそれをやっているんですけど、その経験、ノウハウが結果的には生きたのかなと思いますね。

みんなにお願いしたのは、申し訳ないけど、世の中は緩和されているけど、外食には行かないでくれ、お弁当を出すからと。そして、手洗いと、今まではうがいはやってなかったんですけど、うがいもルール化して、バックステージの洗面所にコップとうがい薬を置いてくれと。あとはマスク。まさに私、マスク警察です。マスクも全員着用で、海外から来ている選手は、私もこの間イギリスから帰ってきたばかりですけど、マスクを朝忘れました。それぐらい習慣が違うから、悪意がなくてもしないケースもあるんですけど、とにかくしてくれ、常にしてくれ、とにかく完走しようと。それで5万人行ったらみんなにボーナスだと話しました。マスク警察だと言ったのは、僕はなるべく試合に帯同して行くんですけど、バックステージとか練習時間に顔を出して、マスクをしていない外国人のレスラーがいたから英語で、とにかく完走しないといけないからみんなマスクしてくれってお願いしたり、怖い選手にも勇気を持って声をかけたり。」

――よく皆さんそれを守ってくれましたね。

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「100%守ったかというとそうじゃないかもしれないです。経営の話をしちゃうと、経営者から見えないところが9割9分だと思うんです。その9割9分の見えない面を何が突き動かすかって、自分も共感できたゴールとかビジョンだと思うんです。完走したいよね?に反論する人はいないじゃないですか。それはファンの皆さんもそうです。だから、そのシンプルなフレーズでみんなの気持ちを1つにできたことがこの完走につながったのかなと思います。これまでで初めて言いましたよ、シリーズ完走しようだなんて。だって当たり前な目標すぎて。でも今は、なかなか難しい目標でもあるじゃないですか。あとは京都の九頭竜大社にお参りに行きました。」

――そうだったんですね。その効果はてきめんですね。

「八方塞がりを打破してくれる神様なので。」

――なるほど。あえてお参りにきちんと行かれたんですね。

「そうです。日本電産の永守会長が困ったときに必ず行くというところに行って、そこで9周回るんですよ。ちなみに、最後におみくじを引くんですが、そこで出てきたのが、先祖を大切にしろ、だったんです。私たちにとっては先祖って1人しかいないですね。鳥肌が立ちました。」

――そうですね。神ですよね。

「そういうできるところはやりました。自衛隊に導入されているという空気清浄機を巡業バスや控室に導入してみたり、とにかくできることは全てやりました。」

――すごいですね。大張社長を筆頭に皆さんがワンチームになって、一つのゴールに向かって、本当に完走できたというのは、選手、スタッフの皆さんが、外食もそれぞれも地方においしいものもある中で我慢していって、弁当で乗り切ったというのは、これはプロフェッショナル魂ですね。

「準備が結構早かったというか、私たちはもう去年の段階で医療用の抗原検査のキットを数百入手していて、全選手がすぐさま検査でき、自宅でもすぐ検査できる体制をとっていたり、いろんなプロスポーツの世界のノウハウや医療のノウハウがあるので、私ももしかしたらお医者さんより詳しいんじゃないかと思える部分があるぐらい知識が増えてきてますけど、そういうのがあって、コロナと向き合ってきたのはあると思いますね。シリーズ中に熱が出た人は何人かいます。それをどういうルールで復帰させるのか?熱中症になった人もいました。だけど検査でクリアになって、戻して、陰性だったから拡大しなくて、というのが、その判断基準みたいなものも自然と体に染み付いていたというのがあるかもしれません。そういうときに限って私が現場にいて速やかに判断できたのはラッキーだった部分もあります。」

――どんな大会でもいろんなかたちでコロナ感染者が、試合もできないというぐらいになっていた状況下で、ロングランシリーズとして皆さん完走されたという。

「選手、社員を称えたいですね。」

――そのときの社長って本当に大変だったんだろうなと思います。選手や社員の皆さんを率いて、この状況下で全員で完走できた事はファンもすごい喜んだと思います。その中でジェイ選手が1回欠場になってしまいましたが、あの時の心境はいかがでしたか?

「広島でしたかね。」

――あのときはゾワッとしますよね。

「検査何回やった?とか、どのキットでやった?とか。それで戻せるのか戻せないのか、いつから戻すのか?長野からか?とか、そんな話をしましたね。そして基準をクリアして無事に戻ってきました。」

――G1 CLIMAXというトップ選手が集結するシリーズでコロナ禍での全選手が完走できた、本当に素晴らしいワンチームだったなと思います。

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「当然、野生のライオンのようなものですから、言うこと聞かない選手もたくさんいますし(笑)手懐けることなんてできないけど、まずはファンの皆さんに最後まで闘いを見せるという使命感が一番だったと思います。あとは、興行が大成功ならボーナスだって狙える。でも一言言っておくと、オカダ選手が頂点に立ったじゃないですか。私は今回本当に歴代最も熾烈な戦いだったと思います。もちろん強敵揃いではあるけど、輪をかけてコロナとの戦いもあって、タイトなスケジュールで連戦なわけですよ。シングル、タッグ、シングル、タッグと。それで、私が5万人って言っているわけじゃないですか。というのもある中でみんな戦い抜いて、その頂点に立ったオカダ選手は、歴代最高のG1チャンピオンだと思いますね。だから権利証の話が出たときも、納得感はありました。」

――それぐらいの価値だと。

「そう思いますね。選手、スタッフみんなで戦い抜いた特別なG1だったから、権利証を奪い合うんじゃなくて、これを制した人がドームに進むというのは素直に納得できましたね。」

――あのオカダ発言は社内会議の中では割と満場一致で、そうしよう、という認識になった感じですか?

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「誰が勝ったとしても、その点についてはおそらく反論はなかったでしょう。選手だけじゃない、スタッフも経営も、みんな苦労しているし、この道のりを知っているから。7月からの苦しい戦いを、リング上だけじゃないですからね。全てで我慢して、自粛して、そして大爆発させる、という戦いで、過去歴代最高のチャンピオンだという認識じゃないですかね。」

――もうみんなが、スタッフ含めて当事者でしたもんね。本当に素晴らしいG1クライマックスだったなと思います。

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③シンニチイズム東京以降の名古屋、福岡、大阪、広島を終えてみて

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――そしてそ50周年イヤーとして、シンニチイズムの東京以降の開催ですね。名古屋、福岡、大阪、広島、全国各地が待ち望んでいたシンニチイズムでした。これをやってみて、感想はいかがでしょうか?

「本当に最初、東京だけの予定だったんです。東京で最低1万人規模と思ってやって、1万人は行きました。ただ、ビッグマッチ1個分のコストは掛かるので、複数打つつもりはなかったんです。そうしたら、真壁さん、棚橋さんから別件で呼ばれて行ったら、いきなり他のエリアでもやってくれという話になって、さすがに時期的にも財政的にも厳しい時期なので、と思っていたら、2年目の若手社員が、クラウドファンディングやりましょうよ、って言ってくれたんです。いや、ちょっと待てと。新日本プロレスが苦しいからといってお客様から資金を集めることをやるの?と。でもみんなからやってくれ、って言ってほしかったんですけどね。」

――自分からは言いにくいと。リーディングカンパニーとしての威信もありますしね。

「私自身、2年半前に幹部会で提案しているんです。それは会社の方針をはっきりさせたかったからで、そのときはコロナ禍に入って厳しいわけじゃないですか。ブランドを傷つけるからやめようって結論になったんです。そのとき私は社長ではなかったんですけど、社長になって、いろんな外部の状況を見てて、サッカーでもやってますよね。別に私たちが食っていくお金を集めるわけじゃなくて、シンニチイズムという、まさに文字通り新日本プロレスの魂を皆さんに世代を越えてご覧いただくというものを各地でやるためで、決して儲けのためではないので、皆さんの意見を問う意味でもやってみようかと。そうしたら目標を超えて、1,000万円の目標を超える金額が集まりました。でも始まったときには散々言われましたよ。ツイート、僕全部見ていますんで。このクラウドファンディングは失敗する、とかね。」

――厳しい意見も多かったんですね。

「そういったネガティブな意見が多くて、だけどクラウドファンディングを助けてくれるREADYFORさんからは、最後に伸びますよ、と言われて、本当に最後ガッと伸びて、それで複数の土地で開催することができました。今はかたちを変えてミュージックフェスを準備していますが、いろんな意味で新日本プロレスに、私は自分がそうであったように、いつも3世代と言っているんですけど、触れていただいて、最近プロレスファンになった人には、多分猪木さんが新しいと思うんですね。で、猪木さん世代の人たちには今のプロレスが新しいと思うし、映像を見て、語り合って、プロレスからたくさんの人がいろんなものを得る機会を持ってほしいなと。そしてシンニチイズム、はっきり言って収支は数万円のプラスです(笑)」

――でもギリギリのプラスになったというのはすごいじゃないですか。

「グッズ販売分も含めて、全部合わせてギリギリの事業です。」

――でもこれ、ファンからはものすごく、わが町でやってくれてよかった、という声がSNS上でもたくさん見受けられました。私自身も、もちろん東京でも拝見したとき、自分のふるさとの大阪の人にも見てもらいたいなとすごく思ったんですね。それを大阪の友人が見に行ってすごくよかったよと話していました。

「そう言ってもらえるとうれしいです。」

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――日本全国各地にいらっしゃる新日本プロレスファンの皆様が、ああいう空間を待ち望んでいたことだと思うんですよね。今回は50周年という特別な年だったからという部分もあったと思うんですけど、またどこかのタイミングでこういう企画を、採算がまた大変かもわからないんですけど、ぜひファンの皆さんも含めて期待している部分だと思います。こういう地方での開催、いろんなかたちでやっていただいて本当によかったなと思います。

「クラウドファンディングでいただいた分でちょうど赤字を穴埋めしたという感じでした。」

――皆さんの助けがあって成功できたと言うことですね。

④9月5,6日の後楽園大会で“声出し解禁”で改めて感じた事

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――そして久しぶりの9月5日と6日の後楽園大会で声出し解禁大会というものがありました。改めて大張社長が声出し大会で感じたことをお伺いしたいと思います。

「まずなんでやったかというと、言ってみれば、見方によっては中途半端なんですよね。だって声出し大会2戦やったあとは声出しNGじゃないですか。だから短期的に見れば、声出し大会って半分しか入れられなくて、売上面で言うと痛手なんです。さらに声出し大会だけ行こうとなったら、これも逆効果じゃないですか。だからやってこなかった部分はありましたが、絶対やりたいなと思ったのは3つ理由があったんです。一つは、もちろんファンの皆さんに向けてなんですよね。歓声を失ってから、試合を見ているモヤモヤ感が、何のせいだろう?ってみんな探していて。私は4月にシカゴのWindy City Riotに行って、声だと確信したんです。」

――ご自身の中でその違和感は声だと分かったんですね。

「諸説ありましたけど、確実に声だなと。同じような試合を同じ2人が戦っているのに、日本では評判も含めて10ぐらいなのが、アメリカはもう100ですよ。あ、声だ、って確信したんです。ファンの方々が声が出せない期間で、いろんなことを新日本プロレスにコメントされていました。選手にも、関係者にも、いろんなことを。けれども、このモヤモヤは何だろう?の答えは、皆様の体験を通じてお伝えしたくて。新日本プロレス面白いでしょ?というのをどうしてもお見せする必要があったと。面白かったでしょ?」

――最高に盛り上がったし面白かったですね!選手がうれしそうというか、それに対してテンションが上がっている感がファンに伝わるというのがすごくよかったなと思うんですよね。

「それをAbemaとワールドで無料配信して、新日本プロレスから遠ざかってきた人も、見に行こうかどうか迷っている人も含めて、いろんな人が、新日本プロレス面白いな、と。会場に来た人はもちろん、売り切れだったので来れなかった人たちもそうだけど、新日本プロレスは面白いということを再認識してもらうというのが一番の大きな目的ですね。

二つ目が、ニュースになったわけじゃないですか。2時間以上ずっとTwitterトレンド1位ですよ。これは機運を高めたいということです。声出し解禁への機運を高めたいということです。実際会場にはスポーツ庁の幹部の方もお呼びして見てもらいました。2日とも。もちろんそのあと地上波でも出てきたりするわけですけど、無料配信の先にいる人も多いわけで、世論形成にも、あと政府関係者の方々にも見てほしいなと。声を出さないままじゃライブ、スポーツ、エンタメは死んじゃうんだよと。それらは本来、大人も子供も明日を生き抜くための活力ですよ。私はアメリカでそれを完全に感じたんです。でも言葉で説明しても分からないじゃないですか。声があるのとないのと、これらのギャップを見てもらいたいなと。それが二つ目です。

三つ目は、選手、そしてこれから選手を目指そうという人に向けてですね。特にヤングライオン。ずっと申し訳ないなと思っていたんです。」

――確かにヤングライオンはデビューしてから、声援なしの大会でもずっとやってきましたからね。

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「声を一言も浴びたことがない、ファンの皆さんから名前を呼ばれたことがない選手がいる。あとは、これだけ無歓声でやっていると、中堅、ベテランの選手も感覚を忘れますよね。俺って何やっているんだろう?って悲しい思いもするじゃないですか。だから、その声で、みんなを勇気づけたいし、ヤングライオンはそれが経験になるし、そういう体験、経験をさせたかったという使命感が私にはありましたね。」

――声のあるなしでエネルギーの感じ方がだいぶ違うなというのは思いますよね。

「声を出すというのは、自分の言葉、声が選手の耳に届くわけじゃないですか。私がファンでいたときも、それがなかった観戦を想像できないというか、それをしに行っているのに、というのもある。」

――そうですね。でもテスト的にああいう大会をやっていただくと、そういう機運ももちろんそうですし、ファンがやっぱり、これだったよな、って思い出すきっかけになったと思うんですよね。あとは選手も、棚橋選手含め、ああいう感激の涙というか、そういうものって感慨深いものがあったと思うんですよ。

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「私は全試合終了して、退場ゲートでちょうど棚橋選手とそこで会ったんです。そうしたら棚橋選手が、そこまで我慢した涙が一気に流れ始めて『社長、ずるいですよ、ここまで我慢していたのに』って言いながら、2人でハグしたんです。男同士、抱き合って二人で泣きました。汗まみれで号泣している姿で、あれは何だったのかな?って、さっき準備してきた言葉で三つ挙げましたけど、何だったのかなと。やっぱり選手も辛かったのかなと。」

――棚橋選手は小さな子どもが手を出してきたときにも、本来であればタッチしてあげたい気持ちがコロナ対策でできないというところでの葛藤も非常にあったと思います。

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「そういえば、シカゴで石井(智宏)選手と鈴木(みのる)選手がシングルで戦っていて、スタンディングオベーションでみんな立ったまま、チャントもすごくて、Fight foreverとか、This is awesomeってずっと鳴り止まなかったんです。あれを見ているとき、もう涙が出て止まらなかったんです、感動ではないです。とにかく日本での足かせが悔しくて。だってあの2人の戦いが日本で、そんなに頻繁ではないけど、見れるじゃないですか。アメリカでは、ボンボン盛り上がっていて、本当のプロレスはこれなのにな、って肩震わせていたら、後ろからクラーク・コナーズが来て、肩抱いてくれたので、これが本物のプロレスだよな、悔しいよな、と言いました。やはり私は、泣いてばかりです。」

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「私、その試合映像を撮っていたんです。なんでかというと、日本に早くレポートしたかったんです。何日かあとに新日本の幹部会、そしてブシロードの取締役で、この映像を見せながら、アメリカのスポーツライブ、それからエンタメの状況ということで、声出しがこれだけコンテンツの価値を支配する、声がないことはコンテンツの価値を下げてしまうということと併せて、今後の声出し解禁のステップ論を説明しました。それを受けて木谷オーナーもブシロードとして取り組もうと言ってくれました。」

「それでなおかつ我々も関係省庁にどういうやり方だったらいいのか。声を1人でも出すんだったら全体50%だったんですが、声を出すエリアは50%で仕方ない。声を出さないエリアは100%入れていいじゃない?というのを提案したんです。濃厚接触者の定義って、距離×時間じゃないですか。今の50%というのは、距離の変数を触る解き方です。で、時間という考え方は今ないんです。だから、この試合はOKというのもあってもいいんじゃないかとか、そういう解禁の仕方を求めていくという話をして、そこから動いてきてやっと声出しエリアだけ50%、それ以外は100%が認められるようにルールが変わっていったんですよね。

だから、本来の姿を忘れないでいてほしいというのは、お客さんに対しても選手に対してもそうなんだけど、我々も甘んじて、このプロレスをはじめとしたライブスポーツやエンタメの価値が潰されていくのを黙って見ていちゃダメなんだと思いますね。」

――行政への働きかけというのは新日本プロレス、ブシロード含めて、リーディングカンパニーとして旗振りしていただけるのは非常にありがたいですし、ファンの皆様も基本は元の姿を取り戻してほしいなというのは心から願っていると思います。そして男泣きする大張社長は熱いですね。

「プロレスは特に感情を揺さぶりますよね。」

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――感極まっちゃうというか、自分の想像を超える激闘を見たり、あと選手が感動してつられ涙というのもあると思うんですけど、そういう部分というのは今失っているものを取り戻していく感情がより涙に流れるという部分は、やっぱりみんなあるんでしょうね。

「しかも私はシカゴで悔し泣きをしたけど、その結果、後楽園で棚橋選手の嬉し泣きにつられた涙で終わったので、いい完結の仕方ですね」

――ある意味いいリベンジができましたね。

【新日本】大張高己社長インタビュー<第2弾>スターダム合同興行、約3年ぶりのイギリス大会、50周年イヤー集大成の1.4ドーム、そして亡き猪木さんへの思いを語る

◆写真提供:新日本プロレス

<インタビュー:プロレスTODAY総監督 山口義徳>

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▼前回インタビューはこちら(2022年3月)

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