政府が人権DDガイドライン策定 国際規範、企業活動の実態に対応

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政府は9月中旬、すべての日本企業に国内外のサプライチェーン上における企業活動が人権侵害につながることがないよう求める「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を策定した。近年、ウイグル族の強制労働問題などを念頭に、欧米を中心に義務化が加速している「人権デューデリジェンス(DD)」の指針で、国際規範に基づき、企業活動の実態に即した対応を具体的に解説しているのが特徴だ。もっとも法的拘束力はなく、今後、どれだけの日本企業が内容を遵守し、海外での強制労働や児童労働の根絶、さらには技能実習生ら国内の脆弱な立場に置かれている労働者の人権救済に実効性を発揮するかが注視される。(廣末智子)

「ビジネスと人権」に対する日本政府の動きは遅く、国連が2011年に制定した「ビジネスと人権に関する指導原則」に基づく国別行動計画(NAP)を2020年にようやく策定。昨年上場企業を対象に行った調査では人権DDを実施している企業は半数にとどまり、「実施方法が分からない」といった回答も目立つなど、企業の認識と対策が不十分な実態が浮かび上がっていた。

こうした状況を踏まえ、政府は企業の人権尊重の取り組みの促進に関してイニシアチブをとるべく、今年3月、経済産業省にガイドラインの検討会を設置して協議を重ね、8月に原案を公表。これに対し131の団体や個人等から寄せられたパブリックコメントをもとに「必要な修正を行い、内容を決定した」としている。

サプライチェーンは「上流」と「下流」、直接の取引先に限らず

指針は、「企業の規模、業種等にかかわらず、すべての企業は、国際スタンダードに基づき、国内外における自社とグループ会社、サプライヤー等の人権尊重の取組に最大限努めるべきである」とした上で、サプライチェーンを「自社の製品・サービスの原材料や資源、設備やソフトウェアの調達・確保等に関係する『上流』と、自社の製品・サービスの販売・消費・廃棄等に関係する『下流』を意味する」と定義。さらに企業の投融資先や合弁企業の共同出資者なども含み、「直接の取引先に限らない」とした。

また人権DDについては、「企業が自社とグループ会社、およびサプライヤー等における人権への負の影響を特定し、どのように対処したかについて、ステークホルダーとの対話を重ねながら情報開示し、その影響を防止・軽減するための継続的なプロセス」であると説明。

守るべき人権の具体例としては、強制労働や児童労働に服さない自由、結社の自由、団体交渉権、雇用および職業における差別からの自由、居住移転の自由、人権、障害の有無、宗教、社会的出身、性別・ジェンダーによる差別からの自由などを挙げた。

脆弱な立場にあるステークホルダーの支援の重要性を強調

一方、ステークホルダーとは、「企業活動により影響を受ける、またはその可能性のある利害関係者(個人または集団)」とし、自社とグループ会社および取引先の従業員、労働組合・労働者代表、消費者のほか、市民団体等のNGO、業界団体、人権擁護者、周辺住民、先住民族、投資家・株主、国や地方自治体等が考えられる、と説明。

例えば海外で土地開発事業を行う企業にとっては、取得しようとしている土地に現地住民が居住していたり、生計のためにその土地を使用していたりする場合、その現地住民はステークホルダーに当たり、企業は具体的な事業活動に関連して影響を受け得るステークホルダーを特定する必要がある。

その上で指針は、中でも「脆弱な立場にあるステークホルダー」として外国人、女性や子ども、障がい者、先住民族、民族的または種族的、宗教的および言語的少数者を挙げ、「これらの属性は重複することがあり、その場合には脆弱性がさらに強まり得る」と記載。

さらにそうした人たちの支援策として、▷技能実習生を含む外国人や女性に対し、外国人や女性であることのみを理由とした賃金差別や、コロナ禍での労働環境の変化等について、対象者にとってコミュニケーションが容易な言語を用いてヒアリングなどの調査を実施▷先住民族の転住が必要な土地開発事業などに融資する場合には、融資予定先による負の影響の防止・軽減策を確認するとともに、社内の専門部署が実地調査を行う、といった視点の重要性を強調している。

紛争地域などでは「強化された人権DD」の実施や「責任ある撤退」も

企業が人権への負の影響を正確に理解するには、潜在的に負の影響を受けるステークホルダーとの直接対話に努めるべきであり、そのためには人権侵害の発生しやすいセクターや地域を抽出し、自社のサプライヤー等における状況を確認することが必須となる。

そして、武力紛争などが生じている地域では、▷従業員等のステークホルダーが人権への深刻な負の影響を被る可能性が高く、性的・ジェンダーに基づくリスクが特に頻発する、▷地域に影響力を持ち、人権侵害を行う可能性が高い紛争等の当事者自身がさまざまな活動に関与していることから、自社の事業活動と当事者の活動が関連しているかどうかの判断が困難になり、意図せず紛争等に加担してしまう可能性が高まる、といった理由から、こうした固有の事情が存在する地域では、「強化された人権DD」を実施すべきだとした。

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「強化された人権DD」とは、企業が紛争等を助長する潜在的な要因等を特定することを通して事業活動が人権への負の影響を与えず、暴力を助長しないようにする取り組みを指す。具体的には、紛争等の影響を受ける地域で現地企業と合弁事業を行っていた企業が、強化された人権DDを実施した結果、その現地企業が、市民に対して広範に武力を行使している反政府組織と密接な関係にあり、合弁企業の収益がその反政府組織による人権侵害行為の大きな資金源になっていることが判明、撤退によるステークホルダーへの影響を考慮・検討した上で、合弁事業を解消した事例が紹介されている。

こうした地域では、急激な情勢の悪化により企業が突如として撤退せざるを得ないケースもあるが、その場合は、代替企業が登場しないことにより消費者が生活に必要な製品やサービスを入手できなくなったり、撤退企業から解雇された労働者が新たな職を得ることが一層難しくなるといった事情も鑑みた上で、「責任ある撤退」を検討することが望ましい、とする項目もある。

上記の事例が2021年に起こったミャンマーの政変や、今年2月にロシアがウクライナ侵攻を始めた当初のグローバル企業の動きを想起させるように、指針は「企業の事業活動の事態に即した」内容を多く扱う。紛争地域の問題とは別に、日本企業特有の事例としては技能実習生の問題がよく挙げられ、「サプライヤーが、技能実習にかかる契約の不履行について違約金を定める契約の締結を強要したり、パスポートを取り上げるなどの不適切な状況が確認されたことから、事実の確認や改善報告を求めたものの十分な改善が認められず、監理団体に対して情報提供するとともに、そのサプライヤーからの今後の調達を行わないこととする」など、具体的に解説しているのが特徴だ。

苦情処理メカニズムは利用者が存在を認識、信頼し、利用することができて初めて目的を達成する

このほか指針は、人権DDの取り組みの実効性の評価方法や、社内プロセスへの組み込み方、評価結果の活用、積極的な情報開示などについて触れ、最後に人権救済の仕組みについて、「企業は、企業とそのステークホルダーに関わる苦情や紛争に取り組む一連の仕組みである苦情処理メカニズムを確立するか、業界団体等が設置する苦情処理メカニズムに参加することを通じて、人権救済を可能にするべきである」と明記。

苦情処理メカニズムは、「利用者がその存在を認識し、信頼し、利用することができる場合に初めてその目的を達成することができるもの」であることから、正当性や公平性、透明性、(国際的に認められた人権の考え方との)権利適合性、対話に基づくこと、といった要件を挙げている。

ガイドラインは日本企業が主体的、積極的に動く第一歩に

今回のガイドラインについて、一般社団法人「ビジネスと人権対話救済機構」の共同代表理事を務める弁護士の蔵元左近氏は「企業の人権尊重責任を定める国際的に最も重要な文書である『ビジネスと人権に関する指導原則』や、OECDガイダンスなどの国際規範を分かりやすく解説し、日本企業向け人権DDの手引き書としての参考例も豊富で具体的、かつ踏み込んだ記述もなされている。パブリックコメントの手続きを経て国際規範により即した内容に改善されたと考える」と評価。

さらに「一般に日本企業は法令やガイドラインが制定されないと様子見にとどまる傾向があり、今回のガイドラインの策定を、日本企業を動かす第一歩として歓迎したい。今後はこれを基に各企業が主体的、積極的に取り組む必要がある」とした上で、「政府には法制化の準備を急いでほしい。ビジネスと人権の問題においてもEUなどのルールに従うばかりでなく、日本側からルールメイキングしていくことが重要だ」と話している。

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