チェッカーズの実質的デビュー?「NANA」はメンバーが手がけた最初のシングル  リリース36周年! 藤井郁弥、尚之兄弟がクレジットに名を連ねた作品

チェッカーズ「NANA」作詞・作曲に名を連ねた藤井郁弥、尚之

1986年10月15日。ザ・チェッカーズ(以下チェッカーズ)は12枚目のシングル「NANA」をリリース。ソングライティングに名を連ねたのは、藤井郁弥(当時)、藤井尚之。メンバーが手がけた楽曲のシングルカットが当時大きな話題になったのを鮮明に覚えている。しかし、そんなパブリックイメージと、ファンの思いには大きな隔たりがあったのが印象的だった。

ヒットチャート番組の常連となり、テレビでその姿を見ない日はないという状況の中、一般的な認識は圧倒的にアイドルだった。だから彼らがアルバム収録曲やシングルのB面でソングライターとしての腕を磨き、ロックバンドとしての力量を着実に積み上げてきたことなど知る由もなかった。

しかしファンは違っていた。チェッカーズの姿かたちとして見えない部分も含めてのファンというのが大部分だったから、メンバーがソングライティングに名を連ねたシングルがリリースされたとしても、さほど大きな事件には感じられなかっただろう。ただ、「ついに!」という喜びは隠しきれなかったと思う。

また、7枚目のシングル「俺たちのロカビリーナイト」から、デビューから一貫してレコードジャケットに使用されていた花びらにチェックをあしらったロゴマークが使用されなくなっていたから、その兆候に早くから気づいていたファンも少なくなかっただろう。

ザ・モッズのステージに登場した藤井尚之

「NANA」はブリティッシュビートを下敷きに、ブラックフィーリングも垣間見られる圧倒的なバンドサウンドであった。この傾向は、セカンドアルバム『もっと! チェッカーズ(MOTTO!! CHECKERS)』に収録され、リーダーの武内享が作曲を手がけた「ジョニーくんの愛」で、そのフォーマットは確立されたと思う。ドゥーワップを起点としたアメリカン・オールディーズを基盤した印象の強い彼らにとって、このスタイルは決して本質ではないように感じられた。しかし敢えてこの流れを「NANA」としてシングルカットし、真正面から勝負に出たというアティチュードの背景には何があったのだろうか。

作曲者である藤井尚之の当時の状況を考えてみると、「NANA」がリリースされた同年、12月30日に、新宿のディスコ、ツバキハウスで深夜に告知もせずに行われたザ・モッズのシークレットライブにゲスト出演しサックス・プレーヤーとして共演。

このライブには僕も偶然居合わせたのだが、ステージの隅で、俯き加減にサックスを吹く尚之の姿にアイドル然とした印象は全くなかった。60年代のブリティッシュビートのカバー曲を中心としたセットリストの中で、バンドとのアンサンブルは絶妙だったし、紫煙で曇るステージに佇むその姿は、パブリックイメージとして築き上げられた偶像ととは異なる本来の藤井尚之だったのだろう。

チェッカーズ実質的なデビューシングル「NANA」

その時、チェッカーズが「NANA」でやりたかったのはこういうことなのだろうな、と思った。つまり、アイドルというパブリックイメージを完全に葬り去り、アマチュア時代にダンスパーティーやライブハウスへの出演を重ねたチェッカーズの出自である “ストリートの匂い” を時代に即しどのように打ち出すか―― それが「NANA」に帰結していたと思う。原点に戻りながらも、これまで蓄積された音楽的なスキルと力量を一気に放出する。そう考えると、「NANA」は実質的な彼らのデビューシングルなのかもしれない。

周知の通りチェッカーズは「NANA」以降もメンバーがソングライティングを担い、1992年の解散までに20タイトルのシングルをリリースする。つまり、売野雅勇、芹澤廣明というヒットメーカーが提供する楽曲で一世を風靡していた期間はわずか3年間である。石の上にも三年という言葉があるが、この多忙な時期に、ミュージシャンとして先を見据え、好機を伺う。だからこそ「NANA」でマキシマムな熱量を放出できたのだと思う。

歴史にIfはないが、もし、ザ・チェッカーズがあのチェックのステージ衣装とアシンメトリーのチェッカーズ・ヘアでデビューしたのではなく、彼らの本来の持ち味であったキャロル、クールスの系譜を踏襲したリーゼントに革ジャンといったスタイルでオデビューしたらどうなっていただろう…。とふと考えることがある。

確かに、今も語り継がれる名盤を何枚かリリースしていたと思う。しかし、インパクト絶大のスタイルだったからこそ、最大公約数で彼らの魅力を届けることができたのだと思う。多くのファンに彼らの音楽性がじわじわと浸透していった。デビューから「NANA」をリリースするまでの3年間があったからこそ、ミュージシャンとしての基盤を確立できたのではないだろうか。

カタリベ: 本田隆

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