広島都心『サンモール』の半世紀 「ぶち!ありがとう」 キーワードは今も昔も“ヤングマインド”

移り変わりの激しい広島市の中心部で半世紀もの間、買い物スポットとしてだけでなく、文化の発信拠点であり続けてきた商業施設「サンモール」

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若者たち
「上(の階)に古着屋があるので、そこがおしゃれです」

「ユニクロやGUなど」「ビレバン(ビレッジバンガード)、ここら辺にないから、ちょっと行って、ちょっとした雑貨を買う」

おしゃれな服やおもしろいモノとの出会いを求めて、あるいは有名アーティストを一目見たくて訪れる、あらゆる世代の居場所がそこにはあります。

10月5日に50歳となったサンモールの歴史と今を深掘りします。

小林 康秀 キャスター
「誕生日を迎えますと、わたしと青山 高治 キャスター、ライター・小説家の清水 浩司さんの3人ともサンモールと同級生の50歳です」

青山 高治 キャスター
「いろんな思い出がありますけど、HMVという大型レコード店によく行きましたし、広島修道大学の学生だったBivattcheeというバンドが、サンモールのインディーズバンドコンテストで優勝してプロになったのをよく覚えています」

清水 浩司さん
「広島はパルコができる前は、八丁堀のウィズワンダーランドと紙屋町のサンモールの2つが文化の拠点で、レコードや本を買いによく行きました」

小林 康秀 キャスター
「そうした歴史も振り返りたいと思います。郊外型のショッピングモールとは一味違ったコンセプトのサンモール。キーワードは、『ヤングマインド』です」

□ サンモール(広島市 紙屋町)の半世紀

小林 康秀 キャスター
「50周年を迎えましたサンモールです。大きな文字で『ぶち!ありがとう』と…」

桝本社長が出迎えてくれました。受け付けには通りの垂れ幕と同じ文字が…。

サンモール 桝本 三知代 社長
「これが、直筆です。奥田 民生さんに『ぶち!ありがとう』って書いていただきました」

サンモールのテーマは今も昔も「ヤングマインド」。実際の年齢が「若い」かどうかではなくて、「若々しい気持ち」でいる人をターゲットにしているそうです。

桝本 三千代 社長
「年をとったから暗い色とか、そういうのではなく、自分が着たいものや自分がしたいことをやれる方たちをわれわれはウェルカムです」

― この階が?
「サブカルチャー。みなさんの趣味の館です」

― フィギュアやプラモデル系とかありますね。

たとえ「中年」や「高齢」と呼ばれる世代であっても子ども心いっぱいに遊んだり、若かった時代に浸れたりするようにフロアごとにテイストを変えて構成されています。

桝本 三千代 社長
「こちらが、“ゴスロリ” になります。40~50代でもだいじょうぶです。年齢層は問いません」

これまでにリニューアルは3回。平均4年程度で店が入れ替わるそうですが、中には50年前のオープン時から続く店も…。

1階 時計店 DOLCE 5階 民芸品 たくみ

サンモール 桝本 三千代 社長
「オープン当時の新聞になります」

― 『きょう10時オープン!』と書かれています。

オープンの日の中国新聞には、地下1階で今も続く飲食店の名前が並んでいました。

天津飯で有名な「蓬莱」。

ふわっととじられた卵の上のボリュームたっぷりの甘酢あんが人気で、お昼どきには行列ができるほど…。

オープン当時からは代替わりしましたが、今も変わらぬ味が受け継がれています。

ちょうど半世紀前(1972年)、もともと、この場所にあった「広極商店街」を前身としてサンモールは誕生しました。

牧野 睦夫 アナウンサー(1989年当時)
「4月から導入される消費税というのは薄く広くということで、全ての商品・サービスに3%の税金がかかるんです。たとえば、この商品をわたしが買いますと、これにも3%が付きます」

1980年代は、DCブランド真っ盛りの時代。八丁堀にはファッション専門のウィズワンダーランドが開業し、人気を博していました。

1回目のリニューアル(1986年)では、その「ウィズを超えよう」と、より敷居を低くしたカジュアル路線で大改革しました。

桝本 三千代 社長
「“雑居ビルではなく、雑多な” というのを主張していきたい。おもちゃ箱をひっくり返したって言うんですけど、ひっくり返した中でみなさん、それぞれ感性が違うので、セレクトしていただいて楽しんでもらいたい」

90年代には、ビル・メンテナンスのための2回目のリニューアル(1994年)を経て、わずか3年後、3回目のリニューアル(1997年)を実施。

きっかけとなったのは、広島パルコの存在でした。

桝本 三千代 社長
「競合他店とどう差別化できるかということで、やはり109系(東京・渋谷)をまだ広島はどこもやっていないので、それを立ち上げていこうということで動きました」

2000年前後にはユニクロの出店や音楽メディア専門のHMVなど、一部店舗が大型化します。

一方、街中にあるビルの屋上を舞台にインディーズバンドやファッションなどのコンテストを開催。広島から新しいムーブメントを起こそうと若者文化を応援しました。

桝本 三千代 社長
「メジャーになりたい人たちをどうフォローできるかなと。若者の夢を何か少しでも近づけてあげられたらっていうことで」

梅川 千輝 記者 2014年当時
「今、たくさんのブルーベリーに囲まれています。でも、実はここ、ビルの屋上なんです」

そして、2010年代、その屋上はブルーベリー園に。

サンモール 枡本 三千代 社長
「とにかく、みなさんと集える場所を提供しようと、ここ10年ぐらい、ずっと続けてきています。新たな思い出を作っていただくことができたらいいですね」

地元に密着しつつ新しい文化を発信し続けてきた半世紀…。今、買い物のあり方が多様化する中で、また、新しい歴史を積み重ね始めます。

― サンモールでは、50年を記念して、みなさんから思い出を募集して1冊の本にまとめました。この本をまとめたのが、実は清水 浩司さんです。

清水 浩司さん
「サンモールの思い出についてエッセーを送ってもらって、50点収録しています。『ヤングマインド』というキーワードが出ていますが、みなさんにとっても『青春の思い出の地であることが多いんですよね。デートで使ったり、バンドコンテストに出たり、本当に友だちと蓬莱で食べたとか。今も食べていますが、みなさんの思い出をあらためて広島の地元のファッションビルであるサンモールが作っていて、こういうことがあったよねと。われわれも50歳ですけど、1回、青春のことを思い出して、また、それを踏まえて、さらに未来に行くきっかけになればいいなという思いを持って作らせてもらいました」

「サンモールの50年は、広島の繁華街や日本の50年も象徴しているので、そういう意味でも貴重な本ができたと思います」

― 懐かしい写真やイズミの山西社長もサンモールのリニューアルに関わっていたという逸話も紹介されています。広島都心部の再開発が進んでいますが、サンモールが今後、どういう拠点になっていくのか注目していきたいと思います。

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