「移民の父」松原氏の功績講演 田辺市で真砂さん

戦後ブラジル移民の父、松原安太郎氏について講演する真砂睦さん(14日、和歌山県田辺市中三栖で)

 「戦後ブラジル移民の父」と称される松原安太郎氏(和歌山県みなべ町出身、1892~1961)の功績をテーマにした講演会が14日、和歌山県田辺市中三栖の三栖コミュニティセンターであった。講師で県中南米交流協会代表の真砂睦さんは「高い志とそれを実現するための努力があった人で、移民先で日本人の信頼を勝ち取った」と強調した。

 戦後、県内から多くの人がブラジルに移住した歴史に触れてもらおうと、松原氏の生誕130周年記念顕彰事業実行委員会が主催、紀伊民報が共催した。旧三栖村(田辺市)からも10家族53人が移住している。講演会では地域住民ら45人が、先人の奮闘ぶりに耳を傾けた。

 かつての移住は出稼ぎ。4、5年で帰国する人が大半だった。しかし、松原氏は大農園主を志し、1918年に26歳でブラジルに移住。コーヒー栽培と牧畜で成功し、30年足らずで夢を実現した。

 戦後、日本の窮状を救いたいと当時の大統領に「日本移民4千家族」の受け入れを申し入れ、認められた。52年に一時帰国すると和歌山をはじめ、全国で移住者を募った。53年に65家族が渡航したが、56家族が和歌山県人。これが戦後移住の始まりとなった。

 移住の現実は厳しく、大半はすぐに開拓地を離れてしまう。しかし「松原移民」の定着率は高かった。真砂さんは「成功を支えたのは旧三栖村から優秀な人材を送り出した冨家晃医師、旧清川村(みなべ町)の村長でありながら一家で移住し、入植後初代日本人会長として尽力した谷口文太郎氏の功績が大きい」と解説した。

 松原移民の子孫は今もブラジルで活躍している。真砂さんは「三栖村は南米移住のパイオニア。この歴史を語り継いでもらいたい。来年は海外で活躍する県人が田辺市に集う。ぜひ交流してほしい」と呼びかけた。

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