水木しげるさん、その魅力は「底なし沼」 没後7年でも地元鳥取・境港で愛され、恩人と感謝され、「ロード」が賑わう訳

水木さんの死去を受けて設置された献花台に手を合わせる着ぐるみの鬼太郎やねこ娘ら=2016年1月、水木しげる記念館前

 漫画家の故・水木しげるさんの生誕から今年で100年となった。代表作の「ゲゲゲの鬼太郎」は1968年から繰り返しアニメ化され、3世代に渡りファンがいる。自身の戦争体験をもとに描いた漫画「総員玉砕せよ!」の新装完全版が7月に発売されるなど、関連書籍の刊行も後を絶たない。今も多くの人の心をつかみ続ける作品を残した水木さんとはどんな人だったのか。出身地の鳥取県境港市を訪ね、ゆかりの人に話を聞いた。(共同通信=堀内菜摘)

水木しげる記念館のリニューアルオープンを祝って餅をまく水木さん(左)と妻の武良布枝さん=2015年11月

 ▽「犬猫通り」が妖怪で様変わり、屈指の観光地に
 水木さんは1922年3月8日生まれ。本名は武良茂(むら・しげる)という。幼少期に、武良家の近所に住む「のんのんばあ」から妖怪の存在を教えられた。太平洋戦争中、出征先のラバウル(現パプアニューギニア)で爆撃を受け、左腕を失った。戦後は紙芝居作家、貸本漫画家を経て、43歳の時に「別冊少年マガジン」に発表した「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞。売れっ子漫画家になった。ほかに「悪魔くん」「河童の三平」などの代表作がある。7年前の2015年11月、93歳で死去した。

JR境線を走る鬼太郎列車=9月、鳥取県米子市の米子駅(C)水木プロ

 故郷の境港市は鳥取県の日本海側にあり、ベニズワイガニやクロマグロなどが水揚げされる漁港として栄えた。隣接する米子市の米子駅からJR境線で「鬼太郎列車」に乗ると、約45分で終点の境港駅に着いた。駅前から、道の両側に約800メートルに渡り計177体の妖怪のブロンズ像が並ぶ「水木しげるロード」が延びている。1993年に完成し、像を追加で設置してきた。2003年完成の「水木しげる記念館」と合わせ、今では多くの観光客が訪れる県内屈指の観光スポットだ。

目玉おやじの像=8月、水木しげるロード

 ロードの企画に関わった元境港市職員の黒目友則さん(73)が水木さんと出会ったのは1988年。各分野で活躍する市出身者に故郷を語ってもらう講演会を催し、招いた写真家や作曲家ら5人の中の1人が水木さんだった。講演会の終了後に料亭で懇談した際、水木さんの隣に座った。「境の誰よりも境のことをよく知っている。誰よりも境を愛している」。黒目さんは、水木さんのこんな言葉が特に印象的だったという。黒目さんはその後、後にロードとなる商店街の道路改良を担当することに。当時の商店街は活気がなく、犬や猫が堂々と歩く「犬猫通り」と呼ばれていた。どうにかして観光客に来てもらう方法はないかと考えていたとき、地元コンサルティング会社の担当者が用意した計画書の中に1枚の妖怪の絵を見つけた。水木ファンだった担当者は「海女房という妖怪です」と教えてくれた。「これだ!」。水木さんの地元を愛する思いを知っていた黒目さんは、ロードの構想を固めた。

水木しげるロードを企画した黒目友則さん=9月

 水木さんに電話で「水木しげるロードを作りたい」と話すと、「いいよ」と一言。ただ、構想を知った市民からは「妖怪は怖い」「これ以上、人が来なくなったら本当の妖怪通りになる」との声が上がった。そうした声も考慮し、「鬼太郎」と「ねずみ男」、「目玉おやじ」の像は等身大で、ほかは子どもが親しみやすいよう小さいサイズにするなど工夫した。黒目さんは当初、キャラクターを使用する際には高額な著作権料がかかると聞いていた。だが水木さんに相談すると、思いがけない言葉が返ってきた。「黒目君、今日、君からもらった(ことにしておく)。その代わり、領収書は書けんぞ」。今では地元の商店主らが口々に水木さんのことを「境港の恩人」と語る。

水木さん夫妻とねずみ男の像=10月、水木しげるロード

 ▽ヒーローを嫌い、生きるための哲学を描いた
 水木しげる記念館の館長を21年3月まで12年間務めた庄司行男さん(66)は、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の第6期に「庄司おじさん」として登場する。水木さんについて、こう語る。「漫画だけで食べられるようになったのは44歳になってから。高度経済成長期でほかにたくさん仕事がある中でも、いつ売れるか分からない漫画を書き続けた。原稿料が入って唯一のぜいたくは、喫茶店でコーヒーを飲むことと、プラモデルの船艦を作ることだった」。2007年に自伝的作品「のんのんばあとオレ」がフランス・アングレーム国際漫画祭で日本人初の最優秀作品賞を受賞した際、「ようやく世界もわしの漫画の良さが分かるようになった」とちゃめっ気たっぷりに話したと家族から聞いた。「売れない時代からぶれずに書いてきた自信が垣間見えた。水木さんの本音だと思った」と庄司さん。

 また、水木さんは「ヒーローが嫌いだ。お金をほしがらないから」と常々話していた。庄司さんは「貧乏時代が長かったため、お金の大事さが分からない人は信用できなかったのではないか」とその真意を推し量る。その上で、水木作品の特徴をこう解説する。「漫画は子どもに夢を与える内容が多いが、水木さんは生きるためにどうしたらいいかという哲学を描いた。『努力は必ず報われるとは限らない』『きれい事だけでは世の中は生きていけない』というメッセージを込めた」。苦労をしてきた水木さんだからこそ、こうしたことを伝えられるし、読者も納得するのではないかと庄司さんは考えている。

 庄司さんは最後に、こう呼びかけた。「亡くなって7年になるのにこれだけの人が境港にやってくるのは、水木さんのような二度と出てこないユニークな漫画家に惹かれるから。入り口は漫画やアニメだが、水木さんの人生哲学をより知ってほしい。多くの人に水木さんの底なし沼にはまってほしい」

水木さん(左)と武良布枝さん夫妻=2014年7月、東京都調布市

 ▽「なまけ者になりなさい」の解釈は?
 ロードを抜けて記念館に着くと、入り口近くで妖怪の「砂かけばばあ」が待っていた。少女が並んだ写真を父親に撮ってもらい、満足そうな様子。「私も」と次は祖母がツーショット写真を撮ってもらっていた。記念館には妖怪のオブジェや映像などが展示され、「水木ワールド」を体感することができる。現館長の住吉裕さん(61)は、老若男女がそれぞれ違った楽しみ方ができる施設だと話す。子どもは「だますことが得意なねずみ男は結婚詐欺にかかったことがある」などの雑学コーナーで足を止め、大人は、水木さんの年表を追いながら人生観を知る。コアなファンは、18歳で死を覚悟した水木さんが戦地に持参した「ゲーテとの対話」の上中下巻(岩波文庫)のうち、館内で展示する中巻の実物をじっくり見ている。

水木しげる記念館にある、水木さんの仕事部屋を再現した展示=10月

 水木さんは、何十年にも渡って世界中の幸福な人、そうでない人を観察してきたという。その体験から、幸せになるための知恵をシンプルな言葉で残した。その中に「好きの力を信じる」や「目に見えない世界を信じる」などとともに、「なまけ者になりなさい」という言葉がある。ロードで販売している湯飲みやトートバッグなどにこの言葉がプリントされ、人気商品となっている。境港で出合った3人に、この言葉をどう解釈するか聞いてみた。
 黒目さん「根を詰めて漫画を書く中で、ちょっとした休みを取らないといけないという教訓。逆接的な言葉だ」
 庄司さん「『なまけ者』の反対は、勤勉や実直。学校の先生の言うことを聞いて、親の望むような人間になったら面白くないということを伝えたかったのではないか」
 住吉さん「すごく頑張りすぎて糸が切れてしまうくらいなら、少しなまけ者になりなさいという思いではないか。ご飯を食べて、寝て、息抜きも必要だという水木さんのすてきさが感じられる」
 三者三様の解釈に、あらためて水木さんの奥深さを感じた。

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