ポールの弟がビートルズのオリジナルドラマーのはずだった「腕を負傷し現実と向き合った」

ポール・マッカートニーの弟、マイク・マッカートニー(78)が、ザ・ビートルズのオリジナルドラマーだった時代を振り返っている。前身バンドとなるザ・クオリーメンで、マイクはポールとジョン・レノンの後ろでスティックを握っていた。しかし、ボーイスカウトのキャンプで腕を負傷、神経まで痛み出しドラマー人生が絶たれたという。

BANGショービズからのインタビューで、ザ・ビートルズのオリジナルドラマーだったのかと聞かれたマイクは「イエス」と回答、こう続けた。

「私はザ・ビートルズのドラマーだった。しかし腕を負傷してしまった。ジョンがザ・クオリーメンと(英リバプールの)フォースリン・ロードに来ていた頃で、ジョージ(ハリスン)が参加するよりも前さ。キャンプで負傷した腕は手首をコントロールする神経に達していてね。ダメになってしまった。電気ショックや腕を温めたりと神経の回復をしなければならなかった。数年に渡って、ワイヤー入りのサポートストラップを付ける羽目になったんだ」

「腕を負傷していなかったら私はビートルの1人だった。しかし腕を負傷した。私はビートルではない。夢ではなく常に現実と向き合わなくてはいけないね」

ザ・ビートルズはジョージが加入した当時、ピート・ベストがドラムを担当。1962年ドイツのハンブルグでのライブ後、ピートはクビとなりリンゴ・スターが加入、伝説のラインナップが遂にそろい世界を席巻することとなる。

そんな同バンドから漏れたマイクだが、ステージネームをマイク・マクギアに変更し、ロジャー・マクゴフ、ジョン・ゴーマンらとコメディ、ミュージック、ポエトリーを駆使したパフォーマンストリオ、ザ・スキャフォールドを結成した。

グループは1966年から74年にかけて英チャートにも入り、68年のクリスマス定番曲『リリー・ザ・ピンク』や67年の『サンキュー・ベリー・マッチ』が有名だ。後者は故エリザベス王妃クイーン・マザーや英首相だった故ハロルド・ウィルソンもお気に入りの曲として挙げていたという。

一方マイクは写真家としての腕も高く、2005年には60年代の写真を集めた展覧会「マイク・マッカートニーズ・リバプール・ライフ」を開催、そんな写真やザ・ビートルズの初期の舞台裏やツアーの記録を収めた新書『マイク・マッカートニーズ・アーリー・リバプール』は現在コレクターズエディション版が購入可能となっている

(BANG Media International/よろず~ニュース)

© 株式会社神戸新聞社