京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さん=鹿児島市出身=が8月下旬、亡くなった。日本を代表する経済人になってからも鹿児島を愛し、支えた「経営の神様」。薫陶を受けた人々に、心に残る教えや思い出を聞く。
■鹿児島大学教授・彫刻家 池川直さん(64)
稲盛和夫さんの銅像を作るよう、鹿児島大学から依頼があったのは2016年3月末ごろ。稲盛さんは、鹿大で初めての名誉博士号を贈られた卒業生だ。一般的に、銅像が生前に建てられるのは珍しい。その上、功を成した偉大な経済人の像を引き受ける重圧は大きかった。
当時の前田芳實学長からは「胸像を」と頼まれたが、稲盛さんの大きな人間性を表すには物足りない。予算を確認したところ、この金額なら立像を作れると踏んだ。再び理事会にかけられて1カ月後にはゴーサインが出た。
早速、資料に使う写真を撮るために京セラ本社へ向かった。稲盛さんは84歳。温かな歓迎を受け、帰り際に「この後はどうするんだね」、続けて「夜ご飯を一緒にと思ったけど」。せっかく声をかけてもらったのに、予定通りの便で帰ってしまった。今でも惜しまれる。
制作に取りかかってひと月後の10月、今度は稲盛さんが鹿児島市喜入にあるアトリエへ足を運んでくださった。京セラの秘書らも交えた打ち合わせでは台座の話に。そこで、郷土愛が深い方だというイメージを持っていた私は「古里にちなみ、桜島の火山灰を使った鹿児島産の素材にしてはどうか」と提案した。するとご本人の顔がふっとほころんだ。今も心に残っている。
像はほぼ等身大で制作した。モデルに似せるのは当たり前。だが私は、後世に残る姿としてはギラギラした、血気盛んな雰囲気を織り交ぜようと考えた。初めてお会いする前、京セラ本社隣にある稲盛ライブラリーに立ち寄ると、顔写真が入り口に飾られていた。ちょうど日本航空の経営再建に取り組んだ2010年ごろに撮られたもの。当時の生命力あふれる顔つきと、お会いした頃の柔和さを合わせて制作したつもりだ。
稲盛像は鹿児島市の郡元キャンパス内の「進取の気風広場」に設置され、17年3月にお披露目を迎えた。セレモニーで幕を引いた稲盛さんは像を見上げ、驚いたような表情。あいにく感想を聞くことはかなわなかった。次の朝7時に再び見に行くと、像の周りでは大学の近所の人が集まって「すごいな」「よく似ている」と口々に話していた。それを聞いてほっとした。
像が建って5年、卒業式や入学式に記念撮影するスポットになったようだ。大先輩が体現した鹿大の「進取の精神」を思い起こすきっかけとなるよう、学生たちを見守り続けてもらえたらと願っている。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)