「自業自得だ」。民主党の元衆院議員に稲盛さんは冷たい反応だった。政権交代で国民との約束が守られなかったから

稲盛和夫氏

 京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さん=鹿児島市出身=が8月下旬、亡くなった。日本を代表する経済人になってからも鹿児島を愛し、支えた「経営の神様」。薫陶を受けた人々に、心に残る教えや思い出を聞く。

■元衆院議員 川内博史さん(60)

 稲盛さんとは2002年ごろ、小沢一郎衆院議員を通じて面識を持った。民主党政権の衆院国土交通委員長として、稲盛さんとJAL(日本航空)の再建に関わったことは一番の喜びだ。

 JALは「親方日の丸」体質が抜けず、自民党政権時代から経営破綻寸前だった。そんな体質を変え、立て直せるのは誰か。京セラを町工場から日本を代表する企業に育てた稲盛さんしかいないと確信し、鳩山由起夫首相に進言した。私以外にも推す声があったと思う。最終的には会長を受けていただいた。

 JALが直面していた課題の一つは巨額の赤字を出す国際線の立て直しだった。当時、国交省は米アメリカン航空との提携を解消し、米最大手デルタ航空との提携を進めようとしていた。

 ある日、稲盛さんから電話があった。「デルタとの提携はJALの再生にならない。手伝ってほしい」。アメリカンとは成田をハブ(中軸)空港に位置づけ、互いの強みを生かせる関係を築いていた。一方、デルタの北東アジアのハブは韓国・仁川。提携すれば、日本のナショナルフラッグが地に落ちる。そんな危機感を抱かれたのだろう。

 公的管理下にあるJALの提携交渉は、民間企業の選択というわけにはいかなかった。鳩山さんや小沢さんの承諾を得て、アメリカンとの提携を守る方向で動いた。デルタに傾いた形勢を覆すエネルギーは相当なものだったが、アメリカンとの提携強化が実現し、JALが再生できたことは日本の航空業界にとって本当に良かった。

 再生の目鼻がつき、稲盛さんから食事に誘われた。ホテルのステーキハウスで「川内さんがいなければJALの再生はなかった。感謝している」と頭を下げられたことは大切な思い出だ。

 政権交代後、国民との約束が守られず、厳しい思いを持たれたようだ。党が政権から落ちる12年の衆院選で、私が応援を求めると「自業自得だ。恩があるから推薦人には名を連ねていいが、応援には行けない」と冷たい反応だった。人間味にあふれ、情に厚いが、情に流されない。経営者としての冷徹な部分も併せ持っていてさすがだなと思った。

(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)

川内博史前衆院議員

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