▲写真左より司会進行・吉田、浅沼ワタル、ロジャー・M・高橋
『浅沼ワタル写真集 ザ・ゴールデン・イヤーズ・オブ・ブリティシュ・ロック』出版記念トーク・パーティが10月15日、Space Withにて開催された。
壇上には浅沼ワタル、クイーンのtribute band QUEERのドラマー ロジャー・M・高橋が並び、センターのスクリーンに貴重な写真を投影しながらMUSIC LIFE CLUB 吉田聡志の司会で進行。
吉田:
本日は、浅沼ワタルさんに加え、今回特別ゲストでクイーンのトリビュート・バンド、クイーアで活躍中のロジャー・M・高橋さんにも登壇いただきます。まず浅沼さんに伺いたいんですが、なぜイギリスに行かれたのですか?
浅沼:
25歳の時、もともとモーターレース、FIの写真を撮りたくて渡英したんです。そこで日本の音楽業界のスタッフからバンドを撮ってくれという依頼があって。それがテン・イヤーズ・アフターとプロコル・ハルム。
吉田:
そのきっかけを作ってくれたのは?
浅沼:
カメラマンのデゾ・ホフマン。彼が居候してもいいよって言ってくれて。当時はモノクロの写真が中心だったので、暗室を使う代わりに彼のアシスタントをし、それで音楽業界で顔が知られるようになりました。
吉田:
彼はどんなカメラマンだったんですか?
浅沼:
聞いた話だと、スペイン内戦(1937〜39年頃)に国連のカメラマンとして現地に行きヘミングウェイと一緒に仕事をしていたとか。
吉田:
(笑)ビートルズの話が出るかと思ったのですが、歴史的な話で。
浅沼:
それから彼はイギリスに住むようになって、その後ビートルズと知り合ってオフィシャル・カメラマンになりました。
吉田:
その人脈で、浅沼さんはイギリスで音楽関係の仕事を始められたということですが、最初テン・イヤーズ・アフターの音楽とかはどんな印象でした?
浅沼:
何も考えずにただシャッターを押せばよかっただけで、音楽を聴いていたわけじゃないんですよ(笑)。
吉田:
渡英された1971年は、まだクイーンがデビューする前。
ロジャー・MT:
僕はまだ7歳の悪ガキでした。
吉田:
クイーンの話は後半でいろいろ伺うとして、この写真集に登場するミュージシャンで浅沼さんが仲がよかった人は?
浅沼:
ジャパンは未だ日本で紹介される前に撮っていました。最初ドイツのアリオラ・ハンザ・レーベルのロンドン事務所から撮影依頼があって。
吉田:
最初の印象は?
浅沼:
なんてケバい奴らだろう! って。撮ったら逃げようって感じでした。
吉田:
妖しい髪の毛の色とかインパクトが強かった。皆んな個性的ですが話が合ったのは誰でした?
浅沼:
ミック・カーンとスティーヴ・ジャンセン。いつも僕を入れて3人で食事したり飲みに行ったりしてました。
吉田:
スティーヴ・ジャンセンはつい先日来日したのですが、それに関してロジャー君に話してもらいましょう。
ロジャー・MT:
スティーヴ・ジャンセンは端正なドラムを叩く人です。僕が尊敬しているドラマー高橋幸宏さんのプロ活動50周年記念のライブが先日あり、そこにスティーヴが来る──というのをTwitterで見かけたんです。そこで、今年の4月くらいに彼が浅沼さんとご家族の写真をTwitterに上げていたのを思い出して。
たまたまスティーヴ・ジャンセンが描いてくれた似顔絵を浅沼が持っていたのを知ったロジャー・MTが、そのイラストを付けて、<ワタルが会いたがってるよ>とスティーヴ・ジャンセンにTwitterを送ったところ、なんと3分で返事が来た(このイラストは池袋ジュンク堂で開催の写真展で展示中)。
続いて浅沼所縁のアーティストたちが次々と映し出され、撮影時のエピソードが語られた。
吉田:
スティーヴ・ジャンセンはどんな人?
浅沼:
一言で言うと子どもっぽい。当時は話してるとやたらと寄ってきて、何かあるとすぐ電話がかかってきてた。今回このイラストを見せたら凄く喜んでました。
吉田:
続いて、ポリスの写真。
浅沼:
80年モントセラット島でレコーディングを行っていた時ですね。撮影中のリラックスした姿。
ロジャー・MT:
こういう自然体の写真が撮れるのは信頼感とか親しみがあるからだと思うんです。
浅沼:
3年前スティングに会った時、写真を撮る段になったらいきなり首を絞められました(笑)。
吉田:
個人的にポリスというバンドはどうですか?
浅沼:
3人がバラバラなんですよ、それをまとめて音楽を作るんですけど、レコーディングの時は揉める。一番凄かったのはオランダのフォノグラムのスタジオでリハーサル中に揉めて、いきなりスチュワート・コープランド(ドラムス)が「俺はイヤだ! もうやってられない!」ってスティックを投げつけて、スティングが「オゥ、解散か?」と、この日はこれでリハも中断。ポリスは3人がフロント・マンなので大変でした。
吉田:
それぞれ個性が強いですからね、そこを上手くまとめていたのが4人目のメンバー浅沼さんだった──とも言われてます。では続いてミュージック・ライフでも人気のあったデュラン・デュランです。
浅沼:
最初はEMIレコードから撮影依頼があったんです。たまたまミュージック・ライフの東郷編集長がイギリスに来ていて、一緒にバーミンガムに行ったら、東郷さんが「これっ!!!」ってすぐに飛びついた、これはウケる!って。
吉田:
デュラン・デュランは衝撃的でした。
ここで浅沼を語る上で外せない写真とその裏話が披露された。まずは、エリック・クラプトンの名盤『スローハンド』。実はライブ撮影をオーダーされ納品したところ、なんとその写真がトリミングされてアルバム・ジャケットになったとのこと。他にもバッキンガム宮殿前、数秒間でゲリラ的に撮影された<レコード会社移籍の際の契約書にサインをするセックス・ピストルズのシド・ヴィシャス>、撮影禁止のお達しが出たのをBBC広報の尽力で一人だけ撮影できたという番組TOP OF THE POPSの<写真集の表紙に使われたデヴィッド・ボウイとミック・ロンソン>、取材が最も難しいアーティストのひとつレッド・ツェッペリンのマネージャーから「ワタル、インタビューする?」と話があって実現した<ミュージック・ライフを片手にOKサインを出すジミー・ペイジ>。数日前に届いた雑誌を手渡して、これを持ってとお願いしたらOKとサインを出したところを撮影したもの。さらにレッド・ツェッペリンが設立したスワンソング・レコードの<ハロウィン・パーティ(ツェッペリンのほか、バッド・カンパニー。プリティ・シングスが参加)>も。他にも浅沼ワタル名言集、マニアック写真などが紹介された。
吉田:
ではここから怒濤のクイーン特集! まず、一人一人の印象から。フレディ・マーキュリーはどうでした?
浅沼:
75年リッジ・ファームで最初に会った時と、85年最後の武道館では人間が全然違ってました。頭でっかちになったのは確かですね。
吉田:
変わらなかったところもありますか?
浅沼:
ライブが終わった後に声をかけてくれるんですよ、「いい写真撮れた?」って必ず聞いてくる。「撮れたよ」と言うと、そうかそうか…って。
吉田:
続いて、ブライアン・メイ。
浅沼:
この人は典型的な英国紳士。若かったけど凄くいい人。優しく気遣いもよくしてくれて、でもステージに上がると顔が一変してミュージシャンになる。
吉田:
ジョン・ディーコンは?
浅沼:
物静かな人。パーティとかで僕の顔を見かけると、すぐ寄ってきて一緒に行動して。本当にミュージシャンぽくなかった。
吉田:
ロジャー・テイラーの話は後でゆっくりするとして写真を続けて見ましょう。
75年リッジ・ファームでベヒシュタインのピアノを弾くフレディ、日本からのお土産の法被を着たブライアン、そのブライアンから渡された自宅の連絡先と住所(当時)、ブライアン/ロイ・トーマス・ベイカー(クイーンのプロデューサー)/リチャード・ブランソン(ヴァージン・レコード創業者、実業家)のスリー・ショット、「ボヘミアン・ラプソディ・セッション」(PV撮影中、ムービー・カメラの横に張り付き撮影したもの)、そして最後はロジャー・テイラー特集として、まず全身オイルでテカったロジャー・テイラーの写真が映し出された。
吉田:
これはいったいどこで撮ったんですか?
浅沼:
「ボヘミアン・ラプソディ」のPV撮りの時のエルストリー・スタジオでのショットでしょう。フィルムを回していない時の表情。
ロジャー・MT:
「ボヘミアン・ラプソディ」の最後のところで大きな60インチくらいの銅羅を鳴らすシーンがあって、あれは物凄くカッコつけて鳴らしてますね。ロジャーはマレット(打楽器を鳴らすヘッドの付いた枹)を持ってますが、あれはメチャクチャ重いんです、重くないと銅羅が鳴らないんで。それをライブの時に盛り上がると最後放り上げるんですが、グルグル回って結構危ないんですよ。
他にも着物をリメイクした衣装姿のロジャーとフレディ、ロジャーの「アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー」の歌詞のモデルになった車好きのローディ/ジョン・ハリスとジョン・ディーコン、スコーピオン・スタジオで音出しを待つ上下白の衣装のロジャー、ロジャーからランチに誘われた時の待ち合わせショット、絶妙の配置で収められた『Jazz』ツアーの時のアコースティック・セット演奏時のロジャーとフレディが紹介された。
吉田:
最後に、今回の写真集でクイーン以外で浅沼さんが一番気に入っている写真を伺ったんですが、それがこのシド&ナンシー。
浅沼:
この時、シド・ヴィシャスだけのスチルを撮ろうと思ってたんですが、ナンシーがシドに「あのカメラマン、2人のショットなのにあなただけ撮ってる」。と、シドが怒って「一緒に撮れ!」。それで、わかったわかったと言いながらまたシドを撮ると、「お前さっきも言ったのにわからねえのか!」。で、最後にキメの写真で撮ったのがこれ。
吉田:
シド&ナンシーというのはパンク・ロック・シーンを席巻した2人。こうやって揃うととんでもない存在感ですね、よくこんな至近距離で撮れましたね。
浅沼:
これはマネージャーのマルコム・マクラーレンが借りていたアパートの2階のトイレ。僕がトイレの扉を塞ぐ形で、奥に2人を押し込んで逃げないように閉じ込めたんです。
吉田:
おそらく世界で最後のシド&ナンシーのキメ・ショットの中の一枚だと思います。本当にこうやって見ると、ブリティッシュ・ロック・シーンを切り取ってリアルな写真をたくさん残していただいたって感じです。この後、懇親会タイムになりますので、皆さんには浅沼さんといろいろお話ししていただければと思います。
この後、ポリス好きの方のジャンケン大会が行なわれ、浅沼からプレゼントが渡され、休憩後、懇親会&写真集即売/サイン会が開かれた。