80年代以降の音楽の構造を変革したクラウト・ロックの鬼才ホルガー・シューカイの傑作『ムーヴィーズ』

『Movies』('79)/ Holger Czukay
『Movies』('79)/ Holger Czukay

あれはインドネシアを旅している時のこと、民宿のような宿(ロスメンという呼び名だったか)に泊まっていた朝、村のどこかに設置された拡声器から大音量で流されるイスラム教の経典コーランで叩き起こされた。しばらく寝床の上で放心状態でコーランを聴きながら、この群島国家がヒンズー教のバリ島以外はイスラム教を信仰することを改めて実感したのだが、それとは別に脳内に音楽が流れ始めた。それがホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラヴ(原題:Persian Love)」だった。ふと思い出したそんな記憶から、今回は同曲を含んだ彼の2ndソロ『ムーヴィーズ(原題:Movies)』(‘79)を紹介したいと思う。

先の旅の続き。一度鳴り出した脳内の「ペルシアン・ラヴ」は麻薬的に響いて離れず、私は街のカセット屋を何軒も回り、苦心して『ムーヴィーズ』を手に入れたことを覚えている。初めて聴いてから10年振りくらいに、しかも旅の途上で猛烈に聴きたくなったわけだ。それは1990年頃のこと、日本でも外出先で聴くのはウォークマン+カセットだったが、タイやインドネシアあたりではまだまだカセットテープが音楽メディアの主流だった。

ホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラヴ」は彼の書いたオリジナル曲に短波ラジオから流れるコーラン、どこの国とも判別できない女性ヴォーカル、電子楽器による効果音、規則正しいリズム等を効果的にコラージュした作品だった。エキゾチックで、浮遊感のある、桃源郷をさまよっているような不思議な曲だ。これが発表当時は日本ではCM(サントリー角瓶、出演:三宅一生)にまで使われ、ヒットしたのだ。

こんな思い出もある。アルバムが出た1979年当時のことだが、ある時、女友達と飲んでいて音楽の話になり、彼女は最近聴いてるのはホルガー・シューカイだと言うので、ひっくり返りそうなくらい驚いたことがあった。「ペルシアン・ラヴ」がヒットする少し前のことで、シューカイのことはまだ一般には知られていなかったはずだが、先の女友達は流行に敏感な広告業界に身を置いていたから世に先んじてシューカイのこと、アルバム『ムーヴィーズ』を聴き、ハマったらしい。私はその時、「ホルガー・シューカイって、あのカンの?」と彼女に訊ねたが、本人はカンのことなどまったく知らなかったのだ。首を傾げる彼女にシューカイはカンのメンバーであり、自分がカン(CAN)の『フューチャー・デイズ(原題:Future Days)』『モンスター・ムーヴィー(原題:Monster Movie)』『タゴマゴ(原題:Tago Mago)』など、アルバムも持っていたし、クラスター&イーノ、ノイ、ラ・デュッセルドルフ、アシュラ・テンプル、アモンデュール、そしてクラフトワーク、タンジェリン・ドリームなど、ドイツのバンドも耳にしてきていたからシューカイがいかなる人物か分かっていたし、特別な存在だと思っていたと話した。ところが、その時点ではあくまでマニア受けの人であるはずのシューカイを、先の彼女などは、カンだとかジャーマン・ロック(現在ではクラウト・ロック?)の過程などすっ飛ばして、お洒落、最先端、トレンドという感覚でもって辿り着くとは! それはちょっと衝撃的なことだった。その頃私は別の音楽に関心は向かっていたので、シューカイがカンを脱退してソロ活動に入り『ムーヴィーズ』を出していたことも知らず、慌てて買いに走ったのだ。先を越されて悔しかったのだろう。

鬼才ホルガー・シューカイとは

彼は1938年に現ポーランド・グダニスクで生まれている。ナチス・ドイツが台頭し、ユダヤ人の排斥運動なども始まったような年である。子供の頃の生活や音楽体験などは伝わっていないが、25歳の時にドイツの現代音楽の作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンの元で学んでいる。約3年間師事した後、1968年に同じくシュトックハウゼンの元で学んでいたイルミン・シュミット(キーボード)と、他にミヒャエル・カローリ(ギター)、ヤキ・リーベツァイト(パーカッション)を加え、ロックバンド「カン」を結成する。シューカイはベースのほか、多くの作品で作曲を担当している。1969年にカンは1stアルバムである『モンスター・ムーヴィー』でデビュー。同年にシューカイはソロ作『カナクシス5(原題:Canaxis 5)』も出している。1977年にカンを脱退、同時にバンドは解散している(カンは1989年にオリジナル・メンバーのマルコム・ムーニーとのリユニオンで『ライト・タイム(原題:Rite Time)』をリリースしている。シューカイも制作に関わっている)。
※カンについては以前このコラムで紹介しているので、ぜひご覧ください。

カン脱退から2年の歳月をかけ、シューカイは1979年に2ndソロ作『ムーヴィーズ』を発表し、世界的なヒットを記録する。ソロ作は10作以上あるほか、コニー・プランク、デビッド・シルヴィアンらとのコラボ作も多数。2017年にシューカイは住まいでもあったカンのインナー・スペース・スタジオで亡くなっている。享年79歳。

米英ポピュラー音楽市場に 衝撃をもたらした『ムーヴィーズ』

全4曲、トータルで40分ほどの収録はいかにもアナログ時代のLP盤ならではのものだが、曲構成もきちんと考えられたと思しき本作は無駄なものが一切ないし、必要十分なまとまりがありながら、物足りなさなど微塵もなく、濃密な音世界でたっぷり満たされる。レコーディングには元同僚ヤキ・リーベツァイト(EX:カン/ドラム、パーカッション)が参加している以外、ほぼすべての楽器・ヴォーカルパートをシューカイ自らが担当している。

カンの頭脳であり、その風貌から変人、奇人をイメージさせるシューカイのソロだから、出てくる音はさぞや実験性たっぶりで難解だろうと身構えていたところが、出てきたのは何ともポップなサウンドだった。実はカンの音楽性も意外とポップで聴きやすいところが多々あったものだが、最初の印象は裏をかかれたと思うくらい意外なものだった。

冒頭、「クール・イン・ザ・プール(原題:Cool In The Pool)」は、一瞬ヒップホップを思わせる、ねじれたダンスチューンみたいな曲。何も知らずに聴けばシューカイだと気づかなかっただろう。デヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス(原題:Let's Dance)」(’83)の先を行くようでもある。続く「オー・ロード,ギブ・アス・モア・マネー(原題:Oh Lord, Give Us More Money)」は一転して冷ややかな空気感に支配されたインプロビゼーション風の長尺曲。ここでもテープ・コラージュやオーバーダブを駆使し、様々なフレーズや音源が重ねられている。万華鏡のように曲は変化していくが、不思議な統一感があり、聴くほどに馴染んでいく。

アナログ時代はB面のオープニングとなる「ペルシアン・ラヴ」は先のほうでも少し述べたが、改めて聴くと、この奇妙なダンスビートも、80年代のユーロビートよりもずっと先んじたものだったことに唸らされる。私は未確認だが、発表当時、ディスコではこの曲で踊る人たちもきっといたことだろう。何というクールなことをやっていたのかと、今の耳で聴いても古さを全く感じない。そし、て不可思議な曲構成を持った「ハリウッド・シンフォニー(原題:Hollywood Symphony)」はいかにもカン=シューカイらしさが現れた傑作だ。次々と現れては消える音像の展開はタイトルからうかがえるようにハリウッド・ムーヴィーを切り貼りしたようにイメージを喚起させる。15分という長さにも関わらず冗長さをまるで感じさせない。

このアルバムで聴ける様々な音のコラージュは、録音テープを微細に切り貼りするという手法で行なわれている。ビートルズやピンクフロイドなどもやっていたアナログな作業である。さぞや手間のかかる作業だっただろう。デジタルデータ化した音源をPC上でDTM編集する現在なら1日でやれてしまいそうな作業に、当時は2年もの時間と労力を費やしたことになる。だが、手作業というプロセスを経たからなのか、本来なら硬質かつ無機質、機械的なものにまとまりそうなシューカイの音楽が、ローファイな質感を伴い、妙に人肌のぬくもりさえ感じさせる温かさ、人間味が加味されているようにも思える。そんなところも、本作を傑作たらしめているのではないだろうか。

音楽の制作スタイルさえ変えてしまったシューカイの革新性、智能

本作以降、80年代に入るとデジタル機器の進化が加速し、シューカイが短波ラジオから音源を拾うという奇策など、サンプリングマシーンの登場によって、いっそう簡易なものとなり、レコーディングにサンプル素材を導入するアーティストも増えることとなる。シューカイがサンプリングの祖と呼ばれたりするのはそんな先駆者的な発想を本作で提示したからだろう。あと、80年代以降、エスニックというか、米英独仏以外の音楽がヒットチャートに登ったり、そうしたワールドミュージックを取り入れるアーティストが現れるが、「ペルシアン・ラヴ」だけをとってみても、シューカイが先鞭をつけたのではないかと思えてくる。そういえば、シューカイが在籍した最後のカンのアルバム『ソウ・ディライト(原題:Saw Delight)』(’77)はワールドミュージック色が濃く反映された作品だった。

『ムーヴィーズ』以降、特に次作となる『ノーマルの頂へ(原題:On the Way to the Peak of Normal)』(‘81)も高い評価を受け、世のシューカイへの注目はもちろん、カンへの再評価も高まり、80年代以降、それまで一般には関心を持たれなかったカンやジャーマンロックに光が当たるようになった。ジャーマンロックという言い方さえ、90年代に入るとクラウト・ロック(語源はドイツの一般的な食品ザワークラウトから来ている)と呼び名を変え、今や日本のマーケットでも特別なものではなくなっている。シューカイの功績と言ってもいいかもしれない。

TEXT:片山 明

アルバム『Movies』

1979年発表作品

<収録曲>
1. クール・イン・ザ・プール/Cool In The Pool
2. オー・ロード,ギブ・アス・モア・マネー/Oh Lord, Give Us More Money
3. ペルシアン・ラヴ/Persian Love
4. ハリウッド・シンフォニー/Hollywood Symphony

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