【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑩】「病は気から!」「復活」…金本さん、掛布さんから激励の色紙 。そして「背番号24を空けて待ってるぞ」。僕には阪神という戻る場所がある

闘病中に掛布雅之さんと金本知憲さんから贈られた色紙を手にする横田慎太郎さん

 脳腫瘍(しゅよう)の入院中、目がまったく見えない時期がありました。突然の暗闇。心も沈んでしまい、つらい日々が続きました。その頃は、これからのことなんて考える余地もありませんでした。

 そんな中、両親や病院スタッフの方が「焦らなくて大丈夫」「必ず見えるようになる」などと励ましてくれました。おかげで少しずつ前向きになれたのを覚えています。

 復帰を目指していた僕にとって、阪神球団とつながっている、戻れる場所がある、と思えたことも大きな希望でした。球団の方々が次々とお見舞いに来てくれ、「無理するな」「頑張りすぎるなよ」と声をかけてくれました。「(背番号の)24番を空けて待ってるぞ」と言われた時のうれしさは、言葉では表せません。

 当時の金本知憲監督は、シーズンまっただ中に何度もお見舞いに来てくれました。「病は気から!」と書いた色紙をはじめ、中学生だった娘さんが一生懸命折ってくれた千羽鶴をいただきました。

 有名店のお寿司を差し入れてくれたこともありました。それなのに、僕は何を思ったか「肉が食べたかった」と言ったそうです。まったく記憶にないのですが…。金本監督は「この野郎!」と言いつつ、ステーキ弁当を手配してくださいました。

 2軍の掛布雅之監督からいただいた色紙には「復活」と大きく書かれていました。「今は野球より自分の体だ。治療に専念しろよ。そうすれば必ずまた野球ができる」と言ってくれました。

 掛布監督には2軍時代、毎日のように指導していただきました。その時、「独(ひと)りに強くなれ」と言われ続けてきました。バッターボックスに立てば、必ず独りで投手と向き合うことになるからです。脊髄腫瘍の抗がん剤治療で一番苦しい時、この言葉を思い出して耐えました。

 両監督の色紙は入院中、常に枕元に置いて、気持ちが折れそうになると力をもらいました。今も大切に自宅に飾っています。

 下を向いている場合じゃない。前を向いて、今の自分にできることを、少しずつ少しずつやっていこう-。たくさんの人に支えられ、気持ちを切り替えられました。

 とはいえ、野球はすべてのプレーに目を使います。復帰後、いくら練習しても、目だけはなかなか元に戻りませんでした。それでも絶対に下を向かず、1軍のグラウンドに戻れる日を夢見て、一日一日が必死でした。

 その積み重ねが、野球人生の最後の最後、引退試合でのあの「奇跡のバックホーム」と言われたプレーにつながったのかなと思っています。

■横田慎太郎さんの著書「奇跡のバックホーム」が文庫になりました。元阪神タイガースの鳥谷敬さんの解説が新たに収録されています。幻冬舎刊、660円。

【プロフィル】よこた・しんたろうさん 1995年、東京都生まれ。3歳で鹿児島に引っ越し、日置市の湯田小学校3年でソフトボールを始める。東市来中学校、鹿児島実業高校を経て、2013年にドラフト2位で阪神タイガースに入団。3年目は開幕から1軍に昇格した。17年に脳腫瘍と診断され、2度の手術を受けた。19年に現役引退。20年に脊髄腫瘍が見つかり、21年に治療を終えた。現在は鹿児島を拠点に講演、病院訪問など幅広く活動している。父・真之さんも元プロ野球選手。

2度目の入院中、泊まり込みで付き添う母横田まなみさん(左)。つらい治療に耐える慎太郎さんを支えた=2020年11月23日
横田慎太郎さん著書「奇跡のバックホーム」

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