【日/En/Es】根強い日系差別、強制収容~県系人の歩み・カナダ<海を越え、つながる輪>

 まっちょーたんどー!今月30日から11月3日の日程で第7回世界のウチナーンチュ大会が行われます。新天地を夢見て世界に羽ばたいたウチナーンチュやその子孫が故郷沖縄に帰ってきます。小中学生新聞にこれまで掲載してきた連載「海を越え、つながる輪」の中から、県系人の歩みと現地で活躍するステキな先輩を紹介します!
[English]Matcho-tando! The 7th Worldwide Uchinanchu Festival will be held from the 30th of this month to the 3rd of November. Uchinanchu and their descendants who dreamed of a new land and spread their wings to the world will return to their hometown Okinawa. From the series of articles in the elementary and junior high school newspapers, "Crossing the Sea, Connecting Circles," we introduce the progress of Uchinanchu and their wonderful seniors who are active in their hometowns!
[Espanol]¡Machotando! Los VII Juegos Mundiales de Uchinanchu se celebrarán del 30 de este mes al 3 de noviembre. Uchinanchu y sus descendientes, que soñaban con un nuevo mundo, volverán a su ciudad natal, Okinawa. A partir de la serie "Cruzando el mar, enlazando el círculo" en el periódico de la escuela primaria y secundaria, presentamos el progreso de Uchinanchu y sus maravillosos mayores que son activos en sus ciudades de origen.
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 カナダで日本人移民の受け入れが始まったのは1870年代。ブリティッシュコロンビア(BC)州で材木業や農業、鉱業、漁業に従事しました。初めてカナダの地を踏んだ沖縄人は、1900年にアメリカ合衆国から転住した2人。1907年に沖縄から初の集団移民として152人が渡航し、鉄道敷設作業に就きました。以降、38年までに403人の県人がカナダに渡りました。多くはバンクーバーやアルバータ州レスブリッジのハーディベル炭鉱に就職し、定住しました。
 1911年にアメリカからカナダに移った大宜味村出身の宮城新昌は日本からカキを持ち込み、養殖に成功。日本帰国後は宮城県で大規模養殖場を経営し、「世界のカキ王」と呼ばれました。
 20世紀初頭には日本からの移民が急増。日本人に職を奪われることを恐れた白人の反日感情が高まり、1908年にはルミュー協定で家族の呼び寄せ以外の日本人の渡航が制限されました。41年12月、日米が開戦。カナダ政府は国内の日本人を「敵国人」と見なしました。BC州を含む太平洋沿岸を「防衛地域」に指定し、そこに住む日系人は財産を没収され、内陸部の収容所に送られました。戦後も防衛地域内に戻ることは許されず、国内東部に転住するか、日本に帰国するかを迫られました。
 沖縄県系人の多くは防衛地域外のレスブリッジに住んでいたため強制移動を免れました。レスブリッジの県系人は戦中戦後にかけて県人会の強化に力を入れます。第2次世界大戦後は「在カナダ沖縄救援連盟」を組織し、地上戦で荒廃した故郷・沖縄に救援物資を送りました。
1964年、カナダ政府はアジア諸国からの移民受け入れを再開します。68年に農業・技術移民として沖縄県から16人が移民したのを皮切りに、多くの県民が新天地を求めてカナダに移住し、現地社会の発展に貢献してきました。現在カナダには五つの県人会があり、会員同士で交流を深め、沖縄文化の継承に努めています。
 
 
<ステキな先輩!>移民の言葉支えたい/カルガリー在住・県系2世 平良麻璃さん(21)English   Espnol
 カナダ西部カルガリーの大学生・平良麻璃さん(21)は日本語、英語、北京語(ペキンゴ)を操るマルチリンガル。「移民の子どもたちを言葉の面から支えたい」と将来を見据えます。
 平良さんは4歳の頃、宮古島出身の父親の仕事の都合で1年間カナダで暮らしました。その後東京に戻りますが、中学2年で「子どもに広い視野を身に付けてほしい」という両親の教育方針の下、家族でカルガリーに移住。地元中学校に編入しました。「英語を聞くことができたけど、話すのも書くのも苦手だった。移住して1年はとても苦労した」と振り返ります。
 高校卒業後、単身台湾に渡り、日系企業で半年間インターンシップで働いた後、台湾の語学学校で1年間北京語(ペキンご)を学びました。その後カルガリー大に入学。現在言語学を専攻しています。自身が言葉や文化の壁に悩んだ経験から「移民の子どもたちはどうしても言葉で苦労する。彼らの言葉の発達を支えたい」と話します。
 平良さんは数えるほどしか沖縄を訪れたことがありません。しかしカルガリーの県人会で、県系1世の沖縄への思いや父親が話す宮古の言葉に触れるたび、「自分のルーツの半分は沖縄だ」と感じるそうです。「もっと沖縄の歴史や文化を学び周りに伝えたい」と力を込めます。今後アジアの移民大国・シンガポールで見聞を深めたいと考えている平良さん。沖縄の子どもたちに「自分がやりたいと思ったことはすぐに挑戦したほうがいい」とエールを送りました。
(2022年5月1日付りゅうPON!掲載)
 

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